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あれは今から三月ほど前のことになりましょうか。あたくしは腹部に違和感のある男性と出会いました。
あたくしは小さな町で医者を生業としております。町の人の殆どと面識がありました。しかし、彼のことは、とんと存じ上げておらず。聞くと、彼は最近越してきたばかりだと言うではありませんか。
腹部の違和感と度々続く吐き気に苛まれ、挨拶もなかなかできぬまま。唯一顔見知りになれた町長に勧められ、ここへ来たと言います。
なるほど。それならあたくしが知らぬはずだ。とあたくしは会話を続けながら、彼の腹を診るのです。下腹を触ってやると彼は「違和感があるのは胃の辺りだ」と言います。
――思い込みというものは、いけない、いけない。
あたくしは首を横に振り、気を確かめてから、彼の胃の辺りを撫でてやりました。
触ると微かにしこりを感じたので、あたくしはすぐにエコーでの検査準備を看護婦に命じました。
男は不安を眉に浮かべておりました。あたくしはその背中に腕を回し、耳元で、「アア、大丈夫ですよ」と囁き、落ち着かせようと努力したのですが、かえって逆効果だったらしく、彼は眉間に深い皺を作っておりました。この方法が効果的であるのは、子どもだけだったようです。
検査準備が整ったので、男を診察台に寝かせ、ジェルを塗りつけました。ジェルが冷たかったようで、彼はビクンビクンッと跳ねておりました。
ちょうど、胃の映像がモニターに映し出されます。
その瞬間、診察室の空気が一変しました。
まさか、男の胃の中に胎児がいるとは、常識では考えられないことでした。
あたくしは言葉を失いました。
見間違いであると信じ、目を擦って再度モニターを確認するも、モニターに映る小さな生命体は、確かに胎児の形をしているのです。しかし、頭部が人間とは異なって見えました。
幸か不幸か。モニターは男の死角にありました。ですが、男はあたくしの表情の変化に気付き、不安げに尋ねました。
「何か、悪い病気なんでしょうか?」
その声は不安で震えていました。
あたくしは、どう答えるべきか迷いましたが、冷静さを保ち、できるだけ落ち着いた声で言いました。
「少し珍しい状況ですね。もう少し詳しく調べる必要があります」
この言葉で彼を安心させようとしましたが、あたくし自身もこの現象を理解しきれていないのです。言葉に説得力はありません。彼の不安を煽ってしまうかもしれません。
病と認識するのも、新たな生命への冒涜となってしまう。だからと言って、これが病で無いとも言い切れない。着床部位を誤っただけ――にするにしては――男の体での妊娠――の前例が無い。
どの医学書にも存在していないような現象が起こっている――それだけを認識することで、今は精一杯でした。
「詳しく調べるというのは?」
「どう説明すれば良いものか――イイエ、悪い病ではないと思うのですが――あたくしには、どういった病であるか――イヤイヤ、病と言って良いものかさえ判断に迷うものでして――――」
「――それで、悪い状態なんですか?」
「少し珍しい状況なので、もう少し詳しく調べる必要があるのです」
あたくしは同じ言葉を繰り返すことしかできませんでした。
ここで彼に胃の中に胎児がいることを説明して、果たして信じてもらえるのだろうか、と悩みました。
もし、あたくしが気狂いの医者だと言われれば――――これまでの生活が終わってしまう。
その一瞬の思考で、胃の中の胎児について、もう少し詳しく調べてから説明することに決めたのです。
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