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2. 魔術師団で働く理由
それから数日後のある日の昼下がり。休憩時間になった私は、人気のない屋外通路で柵の上に頬杖をつき、城下町を見下ろしていた。
そういえば、あの三馬鹿はそれから肥溜めには落ちなかったものの、馬の糞が落ちていた場所でなぜか盛大に転んで顔面が糞まみれになってしまったらしく、かなり笑わせてもらった。
もしかすると、《魔女の目》のほかに呪いの力まで身につけてしまったのかもしれない。
「ふふ、ざまあみろだわ」
思い出し笑いをしている私の頬を柔らかな風が撫でていく。ぽかぽかした陽気も気持ちよく、今日はもう仕事をサボってずっとここにいたいなぁなんてことを考えていると。
「シルヴィア!」
ふいに名前を呼ばれ、びくりと肩を揺らして振り返ると、そこには金髪翠眼の美丈夫がいた。
「……なんだ、アルフォンス様ですか」
「なんだとは何だ」
私が溜め息をつくと、アルフォンス様は心外そうに眉を寄せた。
「せっかくレモネードをやろうかと思ったのに、やっぱりやめるか」
「すみませんありがとうございますアルフォンス様」
私が頭を下げながら両手を差し出すと、アルフォンス様は苦笑しながら私の手にレモネードの入ったカップを載せた。
「それにしても、どうしたんですか? 私に何かご用でも?」
レモネードをごくごくと飲みながらアルフォンスに尋ねる。
「いや、ただ普段頑張ってくれている部下を労おうと思っただけだぞ」
ぽりぽりと頬をかきながらそんなことを言うが、なんだか怪しい。
「いやいや、そんな訳ないですよね。また何か面倒な頼み事があるんじゃないですか?」
半目で問いただすと、アルフォンス様は軽く溜め息をついた後、観念したように話し始めた。
「あー、実はな。先日の横領の件でいろいろ調べていたところ、さらに厄介なものが隠れてたんだ」
「さらに厄介なもの?」
「謀反だ」
「謀反……」
「ああ、一部の貴族たちが現国王を廃して、先王の叔父であるヨハンソン公爵を新たな国王にしようとしているらしい」
アルフォンス様がさらりと答える。
そんな重大な話を私なんかにしてもよいのかと思うが、私はそもそもそういう時のために雇われたのだったなと思い直す。
「……つまり、また私が関係者と思しき人たちに自白させればいいんですね」
「まあ、そういうことだな。頼めるか?」
「そういう条件ですから構いませんよ」
「ありがとう、助かる」
アルフォンス様がほっとしたように笑う。
「……それにしても君──辺境の魔女が我々の味方になってくれてよかった」
「まあ、私にもメリットがありますから」
「ああ、人探しのために魔術師団に入れてくれるならって条件だよな。お安い御用だったよ。でも、どんな奴か教えてくれれば俺も探すのを手伝ってやるのに」
「……いえ、自分の力で探したいので」
遠くを見つめながらクールに返した私は、内心ドキドキしていた。
(……まさか、一目惚れした人を探しているだなんて恥ずかしくて言えない……)
そう、私は一目惚れした人を見つけるために辺境の森から王都へと出てきて、この王立魔術師団で働いているのだ。
彼との出会いは、数か月前。仕事の依頼で王都の富豪の屋敷を訪れた帰りのことだった。
私の《魔女の目》の力でライバル店のスパイを見つけ出してほしいという仕事で、無事に容疑者を自白させ、多額の報酬を受け取ってほくほく顔で街の大通りを歩いていたところ、突然目の前に現れた──というか、私が浮かれて前をよく見ていなかったのだけれど──男の人にぶつかって思いきり尻もちをついてしまった。
『い、いたた……』
無防備に転んでしまったせいで結構な衝撃を受けてしまい、しばらく立ち上がれずにいると、ぶつかってしまった男の人がしゃがみ込んで、私に手を差し伸べてくれた。
『申し訳ない、怪我はないだろうか?』
『え、ええ……』
私が顔を上げると彼はハッと息を呑んだ。
『──可愛い…………っすまない、俺は何を……』
彼が慌てて片手で口を押さえる。どうやら突然、心の声が漏れてしまったようだ。
もしかしたら、私の《魔女の目》の力の名残りが効いてしまったのかもしれない。
(……あれ、でもちょっと待って。ということは、この人は私を見て「可愛い」と思ってくれたということ……?)
今まで男の人から可愛いだなんて言われたことがない私は、すっかり恥ずかしくなって真っ赤になってしまった。
彼はそんな私の手を取って立ち上がらせると、何度かためらった後に私の名を尋ねた。
『……貴女のお名前は?』
『シルヴィアです。貴方は……?』
『俺はク……クレメンスだ』
『クレメンス様……』
そうして二人無言で見つめ合っていると、クレメンス様の背後から連れの方が現れて「早く師団に戻って報告しないと」と耳打ちした。
『すまない、もう行かないと……貴女はこの近所の方だろうか?』
『あ、いえ……本当は辺境の森に住んでいて……』
『辺境の森のシルヴィア……分かった。では──』
そう言い残してクレメンス様は去っていってしまった。
私は高鳴る胸を押さえながら、クレメンス様のお顔を思い出そうとして、大変なことに気がついた。
(ハッ……私、クレメンス様のお顔を覚えてない……!)
いや、正確に言えば、お顔が分からないのだ。
なぜかと言うと、《魔女の目》を使った後は反動でしばらくの間、ド近眼になってしまうのだ。
さっきまでは眼鏡を掛けていたのだけれど(ちなみに、魔力のオン・オフで度付きと伊達を切り替えられる魔道具の眼鏡だ)、転んだ拍子に外れてそのままだった。
つまり、ド近眼状態でクレメンス様と話していたため、彼のお顔がよく分かっていなかったのだ。
顔も分からないのに一目惚れというのは変かもしれないけれど、クレメンス様の優しさに私はすっかり恋に落ちてしまった。
(クレメンス様……またお会いしたいな)
彼について分かっていることといえば、クレメンス様というお名前と、とても背が高いこと。そして綺麗な銀髪だったこと。
(そういえば、連れの方が「師団」って言っていたっけ)
王都で「師団」と言えば、たしか王立魔術師団のことだ。つまり、クレメンス様は王立魔術師団に勤めていらっしゃるはずだ。
(どうすればまた会えるかな……)
そうして彼との再会を願いながら、一人辺境の森で悶々と過ごしていると、まさに天の助けとも言える来訪があった。
『私はアルフォンス・ラインフェルト。この国の王弟だ。貴女に折り入って頼みがある』
アルフォンス様は、私が持つ《魔女の目》の能力を求めて、わざわざ辺境の森まで自ら足を運んでやって来たのだった。
近年、国王陛下が突然崩御され、兄である王太子が新王となったことで、一部の貴族たちがまだ年若い王を舐めてかかって賄賂や横領で私腹を肥やしているから、そうした国の害になる貴族たちを一掃するために、私の力を貸してほしいと。
私は迷った。だって、そんな大事で面倒そうなことに巻き込まれたくはない。
申し訳ないけど丁重にお断りしよう、そう決めたとき、ふと思いついた。
(王子だったら、王立魔術師団にだってコネが利くはず……)
私は単刀直入に尋ねた。
『アルフォンス様は王立魔術師団にコネが利きますか?』
アルフォンス様は一瞬怪訝な顔をした後、やや首を傾げながら返事をした。
『ああ、まあ、私が師団長を務めているからコネは利くが……』
なんと。私は驚愕した。まさか彼が師団長だったとは。
これはもう運命だとしか思えない。このチャンスを逃すなと私の乙女心が言っている。
私はずずいと身を乗り出して言った。
『そのご依頼、お引き受けします。その代わり、私を王立魔術師団に入れてください』
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