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1. 魔女の目
「ふんふんふーん♪ 」
このあと控えている仕事の前に大好きなレモネードでも飲もうと、私は鼻歌をうたいながら食堂に向かっていたのだが……。
「邪魔だ、退け!」
「……きゃっ!」
突然、後ろから体当たりをされて思わず転びそうになってしまった。
「呑気に歩きやがって」
「ここはお前みたいなやつがいていい場所じゃないんだよ」
いきなりぶつかってきた挙げ句、暴言まで吐いてきたのは同僚の男三人組だ。こいつらはいつもこうして私に突っかかってくる。今だって普通に廊下を歩いていただけなのに、酷い言い掛かりだ。
「なんでこんな女が王立魔術師団の試験に合格できたんだ」
「属性魔法もろくに操れない足手まといのくせに」
「どうせコネでも使ったんだろ、卑怯者が」
三馬鹿は嫁をいたぶる性悪な姑のように、ねちねちと嫌味を言い続ける。
非常に腹が立つが、属性魔法をまともに使えないくせにコネを使って王立魔術師団に所属していることは事実なので、ぐっと堪えてやり過ごす。
(……私が上にチクれば、こんな奴らすぐに左遷できるだろうけど、さすがにそれは大人気ないから)
海のように広い心で三馬鹿の無礼を水に流してやる。
「おい、聞いてんのか、ブス」
「ダサい眼鏡かけやがって」
「せめて器量がよければ遊んでやったのに」
(こいつら……。やっぱりチクってやろうかな……)
私の反応がないことが気に障ったのか、外見まで詰ってきた上に、下卑たことまで言い出した三馬鹿に、さすがの私もキレそうになったそのとき。
「邪魔だ。失せろ」
横から低い声が聞こえて私と三馬鹿が振り向くと、そこには恐ろしい目で私たちを睨みつける長身の男がいた。
「ク、クリストフ様……!」
三馬鹿が焦った様子で長身の男の名を呼ぶ。
クリストフ・エウレニウス。侯爵令息であり、師団随一の魔力を持つ男だ。
三馬鹿など、身分も魔力も実力も、この男の足下にも及ばない。
そんな遥か上の立場のクリストフ・エウレニウスに邪魔だと言われ、三馬鹿は私のときとは正反対のへりくだった態度でヘコヘコと謝り出した。
「も、申し訳ございません。この女が鈍臭くて通行の邪魔だったので説教してやってたんです」
しかも私に罪をなすりつけようとして卑怯なことこの上ない。
本当に最低な奴らだな、肥溜めにでも落ちてしまえと内心で悪態をついていると、クリストフ・エウレニウスが先ほどよりもさらに低く冷たい声で言い放った。
「失せろと言ったのが聞こえなかったのか」
「い、いえっ! 失礼いたしました……!」
三馬鹿は三人ぴったり同じ角度で最敬礼をすると、そのまま一目散に逃げていった。
「えっと……お邪魔をして申し訳ありませんでした」
私に非はないといえ、一応クリストフ・エウレニウスに謝罪すると、彼は眉間にシワを寄せながら険しい目つきで私を一瞥し、「いや……」と一言だけ返事をしてそのまま歩いていってしまった。
この男も、嫌味などは言ってこないけれど、会うたびに何かしてしまったのかと思うくらい凝視してくるので、三馬鹿とは違う意味で苦手だ。
「……はぁ、無駄に時間をつかってしまった」
おかげでもう仕事の時間だ。せっかく仕事前にレモネードを飲もうと思っていたのに。
私は小さく溜め息をついて、約束の場所へと向かうのだった。
◇◇◇
「遅れてすみません。ちょっと輩に絡まれてしまったもので」
先ほどの無駄なやり取りのせいで、仕事の時間に少しばかり遅れてしまった。
とりあえず、他人に巻き込まれたせいで仕方なく遅れたのだと上司にアピールすると、彼は焦った様子で私の顔色をうかがった。
「大丈夫か!? まさか師団の奴が何か……?」
「いえ、程度の低い悪口を聞かされただけなので平気です」
「本当にすまない……。今度また何かあったら遠慮なく言ってくれ。しっかり処分するから」
「分かりました」
「……では、悪いが今日も頼めるか?」
ここ王立魔術師団の師団長であり、私の依頼主でもあるアルフォンス・ラインフェルト様が申し訳なさそうな顔で言う。ちなみに彼はこの国の王弟殿下でもある。
私はゆっくりと頷いて、アルフォンス様の隣の席に座る。
「それで、今日の相手は誰ですか?」
「今日はフリーデン伯爵だ。……おい、奴を連れてきてくれ」
アルフォンス様が部下に命じると、やがて小太りの貴族男性が部屋に通された。
「アルフォンス殿下、昨日申し上げたとおり、私は何も知らなかったのです。むしろあの男に騙されて利用された被害者だ」
やって来て早々、フリーデン伯爵は哀れっぽい声で訴え始めた。
「まあまあ、伯爵。今日は貴方の話を聞きたいだけだから、リラックスしてくれ」
アルフォンス様に促されて、伯爵が向かいの席に腰掛ける。
「それならよろしいですが……。ところで、その方はどなたです? 占い師か何かですか?」
伯爵が訝しむような目つきで私を見る。彼が部屋に入ってくる前に、目の部分だけが開いた布で顔を覆っていたので、占い師のように思えたのだろう。
「……まぁ、そのようなものだな。伯爵は占いは信じるほうか?」
「私は占いなど眉唾だと思いますがね」
私をチラリと横目で見ながらそんな返事をする伯爵にアルフォンス様が笑う。
「はは、では騙されたと思って彼女の目を見てほしい」
「彼女の目を? はあ……」
まったく気が乗らないようだったが、王族に言われれば従うしかない。
伯爵の意外につぶらな瞳が私の目をじっと見つめる。
「……それで、何を占ってくれると言うんです?」
明らかな疑いの色を滲ませていた伯爵の目が、次の瞬間、大きく揺らいだ。
「なっ、瞳の色が変わった……!?」
そのまま伯爵は私の目から視線を逸らせなくなる。
魔法とは違う、私の能力──《魔女の目》。この目を見た者は皆、心の奥に隠している秘密を口にしてしまうのだ。
伯爵も例に漏れず、私の目に囚われた。
「──アルフォンス様、質問をどうぞ」
「ありがとう、シルヴィア」
私を見つめたままの伯爵に、アルフォンス様が尋ねる。
「フリーデン伯爵。何か隠していることがあるだろう?」
アルフォンス様の問いかけに、フリーデン伯爵は夢うつつのようなぼんやりとした表情で呟き始める。
「隠していること……? 横領の件か? クソッ、ハーンの奴が疑われるように仕組んだのに、まだ疑われているのか。でも、裏帳簿が見つからない限り、私が罪に問われることはないはずだ。大丈夫、執務机の引き出しが二重底になっていて、そこに裏帳簿が隠してあるだなんて、誰も気づくはずがない。シラを切り続けていれば、そのうち諦めるだろう」
伯爵がそこまで自白したところで、私は瞳を閉じ、力を封じる。すると伯爵はようやく我に返り、先ほど自分が口走ったことを思い出して青褪めた。
「で、殿下……! 今のは違います! 本当のはずがありません! ……そうだ、その占い師が怪しげな術でデタラメを言わせたのです!」
焦って捲し立てる伯爵に、アルフォンス様が冷静に言い返す。
「それは調べてみれば分かることだ」
アルフォンス様が立ち上がって部下たちに命令を下す。
「フリーデン伯爵の執務机を探せ。二重底の引き出しに裏帳簿があるはずだ!」
「はっ、かしこまりました」
「そっ、そんな……」
頭を抱えて項垂れる伯爵を見下ろしながら、私はこれでようやくレモネードが飲めるなと考えていた。
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