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時刻は21時を過ぎていた。
泣いてそのまま眠っていたことに気付いた新開は、飛び起きて身の回りを片付けて支店を後にする。
今頃、送別会は2次会といったところか…。
そんなことを考えながら駅に向かって歩き始めると、背後から新開を呼ぶ声が聞こえてきた。
「新開さんっ!!!」
真っ暗闇の中に見える人影。
その声の主は足早に駆け寄り、あっという間に新開の隣に立つ。
「……さ、佐伯くん? な、何で居るの」
肩で呼吸をしている佐伯は大きく溜息をついて、新開の肩に腕を乗せた。
左頬だけを上げ、苦しそうな表情の佐伯は、声を詰まらせながら言葉を発する。
「や…新開さんを探してた。……家まで行ったんだけど帰ってなかったみたいだったから。ここに戻って来たんだ」
「そ、そんなの…。連絡くれれば…」
「したよ。何回も」
「えっ」
その言葉に焦ってスマホを取り出す。
無音設定にしてあり気が付かなかった新開。スマホには佐伯からの着信が4回入っていた。
「ご…ごめん…」
「いや、結果的に会えたから良いんだ。…今日は、何で来なかったの。送別会」
「な…何でって。大体、佐伯くんが異動することを今日知ったんだよ? …いきなり送別会なんて言われても心が追いつかないよ。…な、何でさ、私に教えてくれなかったの?」
「………」
申し訳程度に設置されている街灯だけが新開と佐伯の2人を照らす。
車通りも少ないこの場所には、小さな虫の声だけが響き渡っていた。
佐伯は腕を組み、少し顔を俯かせる。
そして、小さく…小さく。虫の声よりも小さい声で囁くように口を開いた。
「…ごめん、実は言えなかった。泣く自信があったから」
「……え?」
その言葉通り、佐伯の目からは大粒の涙が1粒ほど零れ落ちる。
街灯の光が反射する涙に、いつもと違う佐伯の表情。
新開の肩に乗せたままの佐伯の腕は、小さく震えていた。
「…何で泣いているの」
「聞くなよ、そんなこと」
佐伯は溢れる涙を拭い、小さく溜息をついて上を見上げる。
空は曇っているようだ。
月がどこにあるのかさえ、分からない程に。
「…ていうか、佐伯くん。送別会に本人不在ってどういうこと。それで良いの?」
「…みんな2次会に行ったけど、送別会という名目は最初だけだよ。2次会以降は飲むだけだし。良いじゃん」
「そうだけど…何か違うじゃん」
「違わないよ」
怪訝そうな表情の新開に、佐伯は泣き笑いを浮かべる。
そしてニコッと子供のような笑顔で、新開の手を取った。
「一緒に帰ろう」
「……」
新開の返答を聞かずに歩き始める佐伯。
仄かにアルコールの匂いがするものの、酔っぱらっている素振りは無い。
いつも通りの足取りと、言葉遣い。
だけど少しだけ赤い、耳と頬。
「…新開さん、異動のことを隠していたのは、本当に申し訳なかった。…言わなくても、どこかで漏れると思っていたんだけど…そんなこと無かったんだね」
「私が外回りばかりだからじゃない? 自分のデスクに座って仕事することなんて、殆ど無いし」
「…そうだね。実はそれも、本当は分かっていた」
「……」
車も人も通らない。
この世界には新開と佐伯の2人しかいないのではないかと、錯覚をしてしまうほどの静寂に…新開はつい、時間が止まることを願ってしまう。
何気に、初めて繋いだ手。
新開の手を包み込むような佐伯の大きな手。それに意識を向けると、次第に胸が熱くなってくる。
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