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「…佐伯くん」
「何?」
「東京、行かないでよ」
「……」
思わず漏れ出た本音。
ハッと我に返り、口元を覆う新開は、すぐに佐伯の方を向いて弁解をした。
「いや、ごめん! 何を言ってるんだろうね、私」
「………」
「栄転…凄いよ。私、ずっと佐伯くんの背中を追っていたからさ。誇らしさもあり、悔しさもあり…感動もあり…何とも言えないや。ここから東京まで、日帰りでは困難な程に距離があるけれど…。私はここで、佐伯くんのことを応援しているから。頑張ってよ、東京本社でも」
「新開さん…」
お互い握る手に力だけが入り、訪れる…無言の時間。
「……」
「……」
暫くそのまま歩き続けていると、ふと佐伯が足を止めた。
「…佐伯くん?」
そして、唐突に言葉を発する。
「新開さんのことが、好きだ」
「……えっ?」
目をまん丸に見開いて驚いている新開から手を離し、そのままゆっくりと身体を抱き締めた。
突然の出来事に、新開は頭がフリーズする。
「……佐伯くん…」
徐々に現在の状況を理解し始めると、次第にジワッと涙が滲み始めた。
滲んだ涙をそのままに、新開も同じく、そっと佐伯を抱き締める。
「………」
静かな路上に2人…。
街灯の灯りだけが、2人を静かに見守っていた。
「新開さんのことが、ずっと好きだった。だけどそれ以上踏み込んではいけない気がして…ずっと言えなかった」
「佐伯くん…私も好きだった。私も同じで…ずっと言えなかったの。ライバルとしての関係も崩したくなくて、もう長いこと…この想いを隠してた」
お互い抱き締める腕に力が入る。
両片想いだった、平島支店の営業担当の2人。
仕事を優先し続けて来た2人だからこそ、今このタイミングで想いが出てくる。
「僕さ、東京行って…新開さんと離れるのが嫌で、そんな現実から目を背けたくて。それで…東京に異動になること、新開さんに言えなかった。…馬鹿だよね。言わなくても、バレることなのに」
歩道のど真ん中に突っ立ったままの2人を、ごく稀に車が横を通り過ぎる。
しかし2人はそれに目もくれず、夢中で抱き締め合う。
「………」
佐伯はそっと腕を上げ、新開の長い髪の毛を優しく撫でた。
ふわっと香る甘いシャンプーの香りに、佐伯は思わず唇を噛む。
「…新開さんの居ない送別会なんて楽しくないし。何より、どうせ今日が最後なら伝えたいと思った。ずっと言えなかったこの想いを。…ただ、新開さんも好いてくれていたことに…驚いたけれど…」
「……不器用だね、私たち。私も気が付かなかったよ、まさか両片想いだっただんて」
「両片想いって何?」
「お互いがお互いに片想いをしていることだよ、佐伯くん…」
明日の朝、佐伯は東京に旅立つ。
別れの直前に知った相手の想いに、胸が焦がれてどうしようもない。
「…歩こうか」
「うん」
抱き締めていた腕を緩め、再び手を繋いで歩き出す。
歩いている最中、2人は沢山の思い出話をした。
営業に失敗した時のこと。
上司にめちゃくちゃ叱られたこと。
疲労が溜まりすぎて、誤って側溝に落ちたこと。
当時は笑いごとでは無かったけれど、時間が経過した今では、ただ笑い話。
新開と佐伯の2人にしか分からない。
2人だけの、共通の出来事。
ライバルとして、友人と過ごしてきた。
かけがえのない…大切な思い出。
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