第二話

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第二話

 男の顔は最初に見たときよりも青白さが増している。出血しているから体温が下がってきている のかもしれない。  着ていたコートを男の上に羽織ってやるが上 半身しかかけられず、気休めにもならない。  足で枯れ葉を集め、その周りに石を円上に 囲んだ。葉巻用のマッチに火を点けて放ると枯 れ葉が瞬く間に燃えて黒い煙がのぼっていき、 焦げ臭い匂いが風にのった。  「うっ……」  男がまた唸りだし、瞼が震えた。ゆるゆると 目を開けた瞳の色はこの曇り空のように青みが かったグレーだった。  空を見上げ、視線を落として目が合 うと男は息を飲んだ。  「大丈夫か?」  「……それはあんたがかけられるべき言葉だと 思うよ」  現状を理解できていないのか男は不思議そう 眉をハの字にさせた。そして身体を起こそう肘 をつくと小さく悲鳴を漏らし、その体勢のまま 固まってしまう。切り傷だけでなく打ち身もあ ったのかもしれない。  二、三度息を吐くと痛みが落ち着いてきたの か男はゆっくりと上半身を起こして周りを見 渡した。  「ここは?」  「プロッツェ国近くの森だ」  「……そうか」  状況を理解してきたのか男は小さく頷く。  「一応訊くけど客じゃないよな?」  「客……?こんなところで店でもあるの か?」  「違うならいい」  声がか細くなって消える。この男の声は芯が 太いので鼓膜がビリビリと震えるほど威圧感が ある。  鋭い眼光も釣り上がった眉も肉食動物の名残りが強くあり、犬といえども怖い。  一歩後ずさると途端に男の眉尻が下がる。  打ち身した箇所をぶつけないようにゆったりと した動作で起き上がると上着が落ちて男が気 づいた。  「これは?」  「寒いだろうと思って俺の上着をかけた。でも あんたデカいから意味なかったな」  「いや、そんなことない。ありがとう」  立ち上がった 男は少しふらりと足元がもたついたが、すぐに 背中をまっすぐ伸ばした。  立つとより背の高さがよりわかる。自分より頭二つ 分はあるだろうか。まるで覆いかぶさられている ような圧迫感に息が詰まる。  捕食される側と捕食する側。  遺伝子に組み込まれた立ち位置は人に進化 しても変わらない。  男は一歩後ろに下がって距離をとり、意外 な行動に瞬きをした。  肉食獣は獰猛でわがまま。仲間と家族が大 切で赤の他人を気遣うようなことはしない。  けれど男は自分が怖がっていると気づき、パー ソナルスペースに入らないように注意を払ってい る。こんな扱いを受けたのは初めてだ。  そのさりげない気遣いが男への警戒を少しだ け解いた。  「俺はラビ。見ての通りうさぎ。あんたは?」  「ウォルフだ。上着ありがとう」  ウォルフは精一杯腕を伸ばしてコートを手渡 してくれた。受け取ってコートを羽織る。  「どうしてそんな怪我をしてるんだ?」  ウォルフは逡巡してから口を開く。  「……困っている人を助けたら逆に怖がら れてしまって。そしたら今度はオレが襲われてこ こまで逃げてきた」  つまり善意のつもりの行動が不幸を招いたの だろう。  多分草食動物の人間を助けようとしたのだ。  人の心に根強く残る動物の頃の遺伝子にはこ ういう弊害もある。  まだまだお互いの偏見や差別はなくなりそう もない。  「うちで手当てする?」  ウォルフは口をぽかんと開けた。怖がっている くせに意味がわからないと言いたげな顔をして いる。  いままで出会った肉食動物たちとは違う。本 音を言えば怖い部分もあるが、怪我をしている のにおいそれと無視をしたら後味も悪い。  「いいのか?」  「日が沈んできたし」  空が橙色と群青色が混ざり合っていて、日が 傾き辺りは暗くなり始めている。  夜の山道は危険だ。足元が見えないから崖に 落ちたり、滑って転んでしまうかもしれない。  先導して歩きだすとウォルフは 二歩ほど離れた距離でついてくる。歩幅が違う からすぐ追いつかれそうになるが、そのたびにウ ォルフは立ち止まって距離を一定に保った。  五分ほど歩くと自宅に着いた。平屋のログハ ウスはまだ真新しい木材の匂いがする。暖炉に 火をつけると部屋はすぐに温もりを取り戻し、 冷えた身体を温めてくれた。  「適当に座ってて」  ウォルフは逡巡してから二人がけのソファに腰 を落ち着けた。  救急箱や布を出している間、ウォルフはきょろ きょろと室内を観察している。普通あまり見な いもんだろと思いながらそっと自室の鍵をかけ た。ここは見られるわけにはいかない。  無遠慮な視線は壁にかけられている油絵に 止まった。
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