2話

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ーーーー 「朝陽、学校はどう?」  そんな朝陽の悩みなどつゆほども知らない母親が、台所で優雅に夕ご飯の支度をしながら問いかけてきた。  パートタイマーで、家事や育児に支障のない範囲で働く母親は、過保護といってもいいほどに、日ごろから一人息子の世話をやいていた。  朝陽はわき腹の痛みを隠しながら、「楽しいよ」と小さく答える。 「友達はもうできた?」 「うん」 「ほら言ったでしょ。朝陽ならどこに行っても上手くできるって」 「……うん」 「いつでもウチに連れてきていいからね。ーーああでも、今度テストがあるんだっけ。こっちに来て初めてのテストなんだから、まずはそっちに集中しないとね」 「……うん」  でも朝陽は勉強できるからそんな必要ないわね、とおだやかに母は笑う。  その意味を理解した朝陽は、さきほど思い浮かんだ選択肢を頭の中で消去した。  世の中には、面と向かって「ああしろ」「こうしろ」と怒鳴る親も多いが、朝陽の母親は昔からおだやかで優しい母親だった。  むやみに声を張り上げないし、理不尽な命令もしない。  表面的には。  朝陽は知っていた。  その言葉や表情の奥に、他の母親と何ら変わらぬ要求が潜んでいることを。  テストで普段より悪い点をとれば、かすかに悲しみのにじんだ目をし、友達との遊びに傾倒しすぎれば、心のこもっていない声で「最近、あの子とよく遊んでいるのね」とさりげなくつぶやく。  多くの子どもがそうであるように朝陽も、母親のわずかな仕草や声のトーンで、彼女の感情や要求を読み取ることができた。  そしてその繊細な長所こそが、朝陽自身のほとんどの行動を牛耳っていた。  母親を失望させないように行動する。それが朝陽の無意識の習慣だった。  むろん母親はそれを無意識のうちに知っていて朝陽の思考や行動を操っているのだが、まだ生まれて十数年の朝陽はそれに気づくはずもない。 「はい。今日は朝陽の好きなハンバーグよ」 「おいしそう」 「ドレッシングとってくるわね」  母の背中を見ながら、朝陽は目の奥から何かがあふれそうになるのを必死でこらえた。
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