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「本当のことだから、です。」
須佐の声は悲しげだった。後悔だろうか、顔が歪んでいる。
「理由は言えません。」
ニ、
日暮はクシナの訴えた男子生徒、須佐を思い浮かべた。
ひょろりと高い背を、猫背気味にした痩せた生徒だった。細面に眼鏡を掛けて、制服姿が何処か学者然としていた。
口数の少ない、物静かというより根の暗い印象を受けた。だが、時折眼鏡の奥に強い知性の光を見た気もする。
そんな生徒だった。
クシナの言うような暴言を吐くタイプには思えなかった。
翌日の昼休み、日暮はスサを生徒指導室に呼んだ。
放課後でも良かったが、こんなクダラナイ揉め事、と日暮は思っていた。
今日の午後の下校時までに、生徒どうしでサッサとケリをつけて欲しかった。
八畳ほどの指導室には、机と椅子が数脚置かれていた。まだ日差しが強いこともあって、窓には厚手のカーテンが引かれている。
じっとりと汗ばんでさえくる。
重苦しく薄暗い部屋に、スサは表情を固くして入って来た。
呼出しの理由を彼に伝えてなかった。
勿論、説教だと察していただろう。だが、スサの表情を一眼見るなり、担任として日暮は違和感を覚えた。
叱責される怯えより、もっと陰惨なものを感じたのだ。
これはチョット面倒かもしれない。
日暮は手招きすると、向かい合わせた机の対面にスサを座らせた。
向き合って座ると、彼はオドオドとうつむきがちに担任教師を見返した。こうやってスサと向き合うのは、初めてかもしれない。
「クラスの連中とは仲良くやってるか。」
担任教師の問いに、彼は当惑したようだ。だが、それでも薄く頷いた。
「スサ、この辺りはまだ、古くからの木樵連中の風習が強く残っている。たとえ馴染めなくても、理解して受け入れることも必要だ。腹が立つことがあっても、な。」
スサの目は依然としてうつむきがちだったが、唇は、はい、と動いた。
日暮は一つ息を吸うと、要点を切り出した。
「昨日の放課後、クシナがお前に脅されたって言って来た。
『もうすぐお前は死ぬ。ひどく苦しむぞ。』って。」
男子生徒の顔がさっと青ざめた。
「スサ、本当にそんなこと、言ったのか。」
日暮は語気を強めた。
後悔だろうか、一瞬、スサの顔が歪んだ。呻くようにしゃがれた声をあげる。
「本当です、先生。」
「女の子に、なんでそんなことを言ったんだ。」
日暮は少し声を荒げた。
「あの娘と口喧嘩でもしたのか。そうだとしても、生き死になど、口にするもんじゃないぞ。
口が滑ったんだったら、今日中にサッサと謝ってしまえ。アレは口から出まかせでした、って。」
スサは首を落とすと、更に下を向いた。肩に後悔の色が浮かんでいる。
「理由を教えろ。お前にも言い分があるなら、先生が中に入ってやるぞ。」
担任教師の叱責に、彼はうつむいたまま、
「本当のことだから、です。」
スサの声は悲しげだった。
「理由の答えになってないぞ、スサ。クシナに、なんでそんな暴言を吐いたんだ。」
「本当だからです。」
声は弱々しかったが、頑なに繰り返した。
「理由は言えません。」
その後、何度も強く理由を尋ねた。
だが、スサは薄い唇を引き締めたまま答えようとしなかった。膝に置かれた両の拳が固く握り締められて白くなっていた。
この男子生徒はなぜ素直に理由なり、たとえ言い訳でも、言わないのだろう。サッサと謝ってしまえば済むのに。
後悔の表情が滲んで見えるのに。
表情には出せなかったが、日暮は心の中で溜め息を付いた。
暑い。ハンカチを手にすると汗を拭った。
とうとう日暮も業を煮やした。
「お前は父親と二人暮らしだったな。明日の放課後、父親を連れて、先生のところへ来い。」
父親まで、とも思ったが、実は昨日クシナは苦情を言いに来た帰り際、こう言ったのだ。
「帰ったら、わたしのお父さまにもお話ししますからね。」
面倒な話だ。クシナの父親はこの辺の林業を取り仕切る顔役だ。スサの父親にも火の粉が及ぶかもしれない。知らせておかないと。
日暮は嫌な予感がしていた。
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