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少女の白くて長い手と足には、獣の爪にでもやられたのだろうか、赤くて長い引っ掻き傷のような線が何本も浮かんでいた。
四、
次の日も、二人とも学校を休んだ。
この学校に来て初めてだが、嫌な予感がする。
ああ、面倒だ。
日暮は溜め息を付いた。
午後からは担当の授業がない。病気見舞いということで、クシナの家を訪ねてみることにしよう。櫛奈家の名を口にすると、学年主任は黙って了承した。
小学生と違って、今まで家庭訪問などしたことなど無かったのに。
クシナの家は町の南東、山への登り口に面していて、想像以上に古風で重厚な門構えだった。まさに江戸時代から続く大尽のお屋敷、といった風格だった。
長い敷石を踏んで、玄関で使用人らしき家人に来意を告げる。
和服を着た父親と母親が走るように出て来ると、日暮を迎えた。
四十代と思えるクシナに似た色白の母親は顔色が青ざめ、おろおろと今にも倒れそうな有様だった。
豊かな総白髪の父親は六十代だろう、がっしりした恰幅だった。堂々とした貫禄で、さすが此処ら林業の頭領の迫力が感じられる。
挨拶を交わす間もなく、父親に促されて、日暮はクシナの寝ている部屋に通された。
フランス窓の採光の良い、広々とした洋間のベッドに、クシナは寝かされていた。クーラーで室温は適温に保たれている。
色白の少女の顔は熱で赤く火照っていた。時折歪んだ口元から、荒い息とも、微かな呻きとも聞こえる吐息が漏れる。
枕元には二十代と思われる男女が二人、控えていた。女性の方は白いナース服を着ている。付添いの看護師なのだろう。
もう一人は、背中に櫛の紋の入った濃紺の半被を着た若者。直立不動の姿勢で、クシナを見守っていた。削げたような頬をした、よく撓る鋼の棒を思わせる体躯の男だった。
二人とも一様に顔を曇らせている。
父親は部屋に入ると、真っ直ぐ寝ているクシナの枕元に向かった。
「こちらへ。」
手招きされて、日暮もベッドの脇に立つ。
父親は腰を屈めると、娘に顔を近付けた。抑えた口調だが、低く重みのある声を掛ける。
「クシナ、その男の子に『死ぬ』と言われたんだな。酷い死に方をする、と。」
父親の声に、寝ていたクシナは薄く目を開けた。
「ええ。」
青黒く濁った唇がかすかに動いた。
父親は振り向くと、底光りのする目で日暮を見据えた。
「直ぐに、その男子生徒を此処に連れて来てくれ。」
断固としたその剣幕に慌てて、日暮はなだめるように、
「いや、口から出まかせですから。ほんの子どもの口喧嘩ですから。」
父親は黙って、クシナに掛けられていた布団をめくった。少女の寝巻きの裾から、少女の白くて長い腕と足、それに首元も見える。
腕にも足にも、首元にも引っ掻き傷のような長くて赤い線が、何本も見えた。
獣の爪にでもやられたのだろうか。
父親の唇がかすかに動いた。日暮には「クマイタチ」、いや「カマイタチ」だろうか、そう呟いように聞こえた。
日暮は躊躇いがちに顔を近付けて見ると。
なんと、それは細かい水疱の束だった。
半被をまとった若い男が鋭い目で日暮を睨みつけた。
「そいつを連れて来るまで、生きてこの町から出られると思うな。」
「猿、余計なことを言うな。」
櫛奈組の総領である父親の鋭い叱責に、『猿』と呼ばれた男はがくんと日暮に頭を下げた。
だが、その目だけは射るようにじっと日暮を睨み付けている。
まるで、この事態の責任は、全てお前、担当の教師にあるのだぞ、と言わんばかりの形相だった。
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