未着の言葉

1/1
前へ
/1ページ
次へ

未着の言葉

「それにしても、最近はまた、めっぽう忙しくなってきたなぁ」 「手紙の文化が廃れてしばらくは、暇な時期もあったけど、息を吹き返してきたって感じだな」 「届ける内容と言やぁ、決して褒められたものじゃないが……」  職場の連中と、久々に飲みに出た。安い早いで有名な場末の炉端焼き。大将の鉄板さばきを眺めていると、会話も酒も進む。 「それにしても、みんな好き放題言いやがる。ほんと、言葉を何だと思ってやがるんだ」 「まぁ、そのおかげで、言葉を届ける俺らの仕事が潤い、こうして酒を飲めてるんだから、文句は言えねぇがなぁ」 「いちいち陰鬱な気持ちになるわ。届ける身にもなってみろ! って言ってやりたいよ」  人々が何気なく送り合う言葉。SNSやコミュニケーションツールを通じて放つメッセージ。その昔は、手紙に思いを託し、届けていた時代もあった。形態はどうであれ、俺たちのように、それを届ける人間がいて、はじめて言葉は相手に届く。誰もそんなことは気にしちゃいないが。 「昨日は、『死ね!』のオンパレードだったぞ」 「『殺す!』なんて物騒な言葉も、あちこちで飛び交ってやがるよなぁ。無責任な言葉が多すぎる。手紙を届けていた頃は、そんな言葉、滅多に目にしなかったけども」 「手紙でそんな内容を書くヤツぁ、よほどの恨みを持ったヤツと相場が決まってらぁ」  便箋に筆を走らせるとき、人はどこか冷静に、自分を客観視している。気持ちを清書していくあの感覚。相手のことを頭に思い浮かべ、直接話しかけるような距離感で文字を連ねていた。  ところがどうだ。SNSが主流の時代になり、言葉はあまりにも軽くなった。相手の気持ちなど考える間もなく、湧き出た感情をそのまま投げつける。品も情もあったもんじゃない。 「汚ねぇ文字で、好きな子にラブレターを書いてた野球少年の手紙を思い出すよ。あの頃はよかった。平和だったなぁ」  それぞれが触れてきた懐かしい言葉たちに思いを巡らせる。酒の優しさも手伝って、みんなの表情は丸くなっていった。 「またか……」  今朝の配達リストに列挙された言葉たち。その中には目も当てられないほどの罵詈雑言が並ぶ。子どもの頃から文章に触れるのが好きで、高貴な仕事と思って就いたこの職も、今じゃ負の感情のデリバリーに成り下がってしまったらしい。 『お前の顔なんか見たくないから、今すぐ死んでください』 『生きていて恥ずかしくない? ねぇ、死んでよ。早く死んでよ』 『お前の家を特定したから、今夜、お前を殺しに行きます』  尖り散らかした文字を見て、思わずため息が漏れる。こんな言葉に果たして価値があるのか。これほどまでに荒んだ言葉を、送り主はほんとに相手に伝えたいのか?  気づけば俺は、配達ルートから少し逸れたエリアにある橋の上で佇み、眼下に流れる川を眺めていた。 「別にバチなど当たるまい」  そんなセリフが口をついて出た。そして、配達中の言葉を鷲掴みにすると、川面に向かって投げ捨てていた。 「君の配達エリアからクレームが山のように来てる。どう責任取ってくれるんだね!」 「は、はぁ……」 「サボりか?」 「いえ」 「じゃあ、なぜ未着のクレームが来るんだ?」 「捨てました」 「はぁ?!」 「川に捨てました。言葉を」 「バカヤロウ! 送り主の大切な言葉だぞ! なんてバカなことをしてくれたんだ!」 「大切な? あんな言葉が?」 「当たり前だ! 我々の商売はお客さんあってのもの。君は何を勘違いしとるのかね?」  所長の怒りは沸点に達したのか、手にした新聞紙を俺に投げつけてきた。 「手紙の頃は大切な言葉がたくさんあって、配達にも精を出せましたが、今じゃ――」 「だから、それが勘違いだって言ってるんだ! 日本人は総じて奥手。『ありがとう』だの『好き』だのなんて言葉は、恥ずかしがってなかなか伝えられないんだよ。そんな言葉に頼ってちゃ、我々は廃業してしまう。だからこうして、メディアも広告も、人々に不毛な言葉を吐き出させるよう、躍起になって先導してる。バカがバカな言葉を吐きまくることで、我々の生活は成り立ってるんだ!」  耳障りの悪い説教を垂れる所長を、俺は睨みつけていた。 「キレイ事で生きていけるほど、世の中甘くないんだ。配達員など、いくらでも代わりがいる。君には辞めてもらうだけだ!」  所長は凄みながら俺の前に迫ってきた。額が触れ合うほどにその顔を近づけると、嫌味たっぷりに鼻を鳴らした。 「そんな世界があっていいものか……」  所長に向けて? いや、社会に向けて俺はそんな言葉を吐き捨てていた。ここで所長をぶん殴ってみても、社会は何ひとつ変わらない。行き場のない悔しさを抱えたまま、所長室をあとにした。 『所長を殺してやる!』  思いもよらず職を失った俺は、ひとり部屋で座り込み、意味もなく足の爪をむしっていた。そして、気づくとそんな言葉をSNSに投稿していた。心に巣食う恨み辛み。負の感情を吐き出したことで、それらが軟化した気がして、気持ちが少しだけ晴れた。  しばらくして、電話が鳴った。 「もしもし」 『おう、大丈夫か?』  それは同僚からの電話だった。 「仕事、クビになったよ。所長の逆鱗に触れちまってなぁ」 『それであんな言葉を?』 「あんな言葉?」 『物騒な言葉を吐いてたじゃないか』 「あぁ。SNSの投稿か――アンタが配達してくれるのか?」 『厄介な仕事を増やしやがって。あのなぁ、少なからず俺はこの仕事に誇りを持ってる。人間がまた、温もりある言葉を送り合う日を心待ちにしてる。人間はこんなもんじゃねぇって』  同僚の強い意志が心に染み入る。それに呼応するように、俺の胸は熱を帯びた。  同僚は人間が変わる日を願っている。俺だってほんとはそうさ。たくさんの言葉に触れてきた職業人生。人の素晴らしさは、誰よりも知ってる。 『俺も所長に頭下げてやるからよぉ。戻ってこいよ!』 「いいよ。お前にまで迷惑かけちまう……」 『なに水くさいこと言ってんだ。俺たち仲間じゃねぇか』 「仲間……そうか。そうだよな。ありがとう。それじゃあ、お願いするよ」  気づけば俺は泣いていた。人間、まだまだ捨てたもんじゃない。こうして心に刺さる言葉を伝えられるんだ。 『それはそうと――』 「どうした?」 『さっきお前がSNSに投稿した言葉を配達してる途中なんだが――ちょうど今、橋の上にいてなぁ。これ、川に捨てちまってもいいよな?』
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加