20 完璧な聖女【第三王子オグマート視点】

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20 完璧な聖女【第三王子オグマート視点】

 フリーベイン領の騎士たちが、私を捕えようと追いかけてきた。  市場の人ごみを使って逃げたことでうまく撒(ま)けたようだ。  エステルを連れ去ってしまいたかったが、今はこの場から離れるしかなかった。  数か月前、私はエステルを連れ戻すために王都から旅立ちフリーベイン領を目指した。  王城から出る際は、「魔物が現れた。退治に行く」と告げると確認もせずにすぐに城外に出してくれた。本当にバカなやつらの集まりだ。だから魔物なんかに殺されるんだ。私の命令が悪かったわけじゃない。  王族から一兵卒に落とされた私では馬車や馬が使えない。仕方がないので歩いて王都から出た。行きかう人にフリーベイン領までの道を聞きながら進むべく方角を決める。  その途中で荷馬車を走らせていた男に声をかけられた。 「あんた、どこに行くんだい?」 「……フリーベインだ」  みすぼらしい姿をしている私が王子だとばれるわけにはいかない。フードを深くかぶって顔を隠していると、男はさらに話しかけてくる。 「あんた、腰の剣は使えるのか?」 「ああ」  男は親指をくいっと背後の荷馬車に向ける。 「よければ乗ってけよ。その代わり護衛をしてくれ。ほら、最近王都では魔物が出て物騒だろう?」  使えるものは使うかと、私は荷馬車に乗り込んだ。中には老婆と子どもが二人、そしてその子どもの母親と思われる女が乗っていた。  私に声をかけた男が御者台から話しかけてくる。 「ちょうど俺たちもフリーベインに向かっているんだ。親戚がフリーベインにいてな。ウワサでは今、聖女様はフリーベインにいるそうだぞ。王都はもうダメだ」  何も答えず私は荷馬車の端に座った。座席なんかない。ガタガタとゆれる荷馬車の乗り心地は最悪だった。 「ねぇねぇおかぁさーん」  耳障りな子どもの声を聞きながら、私は目をつぶった。  **  それから数日後。  何度も休憩をくり返し、ゆっくりと進む荷馬車はなかなかフリーベインにたどり着かない。もう我慢の限界だった。  夜になり皆が荷馬車内で寝静まったころ、私は静かに起き上がった。  荷馬車からおりると、馬と荷馬車を繋いでいる留め具を外す。鞍(くら)はないが手綱はあるので問題ない。乗馬は剣術の次に得意だった。 「何をしている!?」  背後から声をかけられたので、振り向きざまに剣を鞘から抜き馬主の男に突きつけた。 「金を出せ」 「……貴様」 「殺されたいのか?」  殺気を放ち凄むと男はしぶしぶ腰に下げていた袋をこちらに投げ捨てる。  男に剣を突き付けたまま袋を拾い、中を確認するとたしかに金が入っていた。正直、知識では知っていたが実際に持ったことも使ったこともない。だから、この量の金額がどれくらいかはよくわからない。  私の隙をついたつもりなのか、男がこちらに飛びかかってきたがサッとよけた。よろけた男ののど元にもう一度剣をつきつける。 「世話になった礼に殺さないでおいてやる。だが、次はない」  ガタガタとふるえる男をよそに、私は馬にまたがった。私の愛馬とは比べ物にならないくらい粗悪だが、それでもないよりはマシだった。  月明かりを頼りに馬をしばらく走らせた。すぐに馬の体力がつきて息が上がってきたので、道端の木に手綱をくくりつけて野宿で夜を明かした。  どうして高貴な生まれの私がこんな目に……。  そんなことばかりが頭によぎる。でも、この生活には必ず終わりがある。エステルさえ王都に戻ればすべてが元に戻るのだから。  夜が明けると、また馬を走らせた。馬の息が上がると休息を取らせる。それを数回繰り返すと、夕方ごろにようやくフリーベイン領にたどりついた。  近場の宿に泊まり久しぶりの食事を取る。そのあとは気を失うようにベッドで眠った。  目覚めたら、もう昼を過ぎていた。すぐにエステルのことを宿屋の主人に聞きに行く。 「エステル? ああ、公爵様の婚約者、聖女エステル様のことか?」 「は? 婚約者だと?」  主人は上機嫌に語る。 「ああ、そうだ。元は王都で暮らしていた聖女様がフリーベインに来てくださったんだ! すごいだろ?」  そんなことはどうでもいい。 「婚約者とはどういうことだ?」 「どういうことも何も、そのままだ。公爵様とエステル様は婚約されている。そのおかげか、魔物が出る頻度が少なくなっているそうだ。これでフリーベインは安泰だ!」  私は力任せにカウンターテーブルを叩いた。 「くそっ!」  フリーベイン領の若き公爵はそのあまりの醜さに公(おおやけ)の場に現れず、常に顔を隠して生活していると聞いていた。  醜いエステルとお似合いだと思っていたが、まさか二人が婚約していたなんて。醜い者同士気でもあったのか?  いや、フリーベイン領は魔物が頻繁に出るという。ならば公爵もエステルの聖女の力が目当てに違いない。  だとしたら、エステルを返せと言っても、公爵は決して返さないだろう。無理やりにでも奪い取らないと。  私は覚悟を決めて馬にまたがりフリーベインの中心にある公爵邸に向かおうとしたが、その途中でフリーベイン公爵とエステルが隣国カーニャに旅立ったという話を聞いた。  思わず舌打ちが出たが、すぐにこれはチャンスかもしれないと思いなおす。  フリーベインの騎士たちに警護されている公爵邸に忍び込むのは困難だ。だが、旅先なら簡単に接触できるかもしれない。  カーニャ国の王族とは何度か王家主催の夜会で会ったことがある。その際に「我が国から、こちらの国に来る際に、馬車が通れる広い道を使うとだいぶ遠回りになる」と言っていた。  しかし、馬でならもっと早く着くらしい。  私は馬でカーニャ国に向かう道を聞いて先を急いだ。うまくいけば、先にカーニャ国に向かっているエステルに追いつけるかもしれない。  私の予想は大当たりだった。私が野宿をくり返し、馬でカーニャ国にたどり着いたとき、ちょうどフリーベイン公爵とその婚約者がカーニャ国にたどり着いたとウワサになっていた。  二人は王家が用意した豪華な邸宅に宿泊しているらしい。  それに比べて私は街はずれのボロ宿にしか泊まれない。  私がこんなにみじめな生活をしているのにエステルは……。そう思うと腹が立つ。  エステルが宿泊している邸宅の周りをうろついたが、厳重に警備されていて中に入れそうもない。  だが、いつか必ず外出するはず。そのときはすぐに来た。  邸宅内から馬車が出てきた。方角的に市場(いちば)のほうに向かうようだ。  路地を使い先回りして市場に向かう。なんとかそこでエステルを取り戻さなければ。  しかし、予想外のことがおこった。エステルが乗っているはずの馬車から美しい女が降りてきた。  服装はこの国の平民が着る服だったが、立ち居振る舞いが貴族のそれだった。  滑らかなブラウンの髪に、エメラルドのように輝く瞳。顔に醜い黒文様が浮かび、常に黒いベールで顔を隠していたエステルはそこにはいない。  だが、次の瞬間、美しい女をエスコートしていた若い男が「エステル」と女に呼びかけた。エステルと呼ばれた女は嬉しそうに微笑む。 「あれが、エステル……なのか?」  確証が持てない。必死にエステルの顔を思い出そうとしているのに、黒ベールと黒文様しか思い出せない。  ああ、そうか。私は、醜いと遠ざけてエステルの顔すらまともに見ていなかったのだな。  あの美しい女が本当にエステルならば、隣にいる若い男はおそらくフリーベイン公爵だ。  公爵もウワサのように顔を隠していないし醜くもない。  二人のあとを追っていると、エステルが楽しそうに笑った。まるで花がひらくような明るい笑みだった。  悪くない。いや、むしろ良い。  醜かったエステルから黒文様が消えてなぜか美しくなっている。これなら私の婚約者にふさわしい。今のエステルなら、大切にすることができるし心から愛することができる。  エステルは力が強い聖女だから王子である私の妻になるべきだ。ほしい。絶対に彼女がほしい。  吸い寄せられるようにエステルに近づき、その肩にふれようとしたら、手を叩き落とされた。  ハッと我に返ると公爵が私のエステルを抱き寄せ、こちらをにらみつけていた。すぐに二人を護衛していたフリーベインの騎士に取り囲まれる。 「ちっ!」  そのあとは、フリーベインの騎士からうまく逃げ、またボロ宿に戻ってきた。せますぎる部屋には、ヒビが入った鏡がかけられている。  私は顔を隠していたフードを下ろした。鏡に映る私の顔に黒文様はまだない。  そのことに安心して深いため息をついた。  腰あたりに浮かびあがった黒文様は、少しずつ私の身体に広がっている。このままにしておけば、いつか昔のエステルのように顔にまで黒文様が浮かび上がってしまう。  だが、エステルの黒文様は消えていた。きっと彼女は黒文様を消すことができるようになったんだ。 「……まだ間に合う」  エステルは公爵の婚約者になっているが、まだ婚姻したわけじゃない。エステルを王都に連れ戻し、私と婚姻すればいい。  そうすれば、元通り。  いや、今の美しいエステルなら元通りどころか完璧だ。  好都合すぎる展開に私は笑いをこらえることができなかった。
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