翡翠の簪(かんざし)

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「ゆき――いや、今は千代というのか」  少しの間を挟んだ後、与一はそう切り出した。 「千代の、おれに届けたいものとは何だったのだ?」 「それは――」と千代は言った。「わたしの思いです。ゆきとして死ぬ間際、どうしてもあなたに伝えたかったこと」  与一さん、わたしはあなたをいつまでも愛しています。  千代の言葉を噛みしめるように与一は何度何度も頷いた。  それから与一は、千代の簪が握られている手を、彼自身の両手でそっと包み込んだ。 「これからもおれと一緒にいてくれるか」と与一が言った。 「はい、喜んで」と千代は言った。  山門を去るときだった。  千代はふと疑問に思ったことを口にした。 「仁王像は本来二体のはずですが、与一さんは元々一人で門番をしていたのですか?」  山門の前にはもう、門番は一体もいなかった。  いや、と与一は首を振った。「もう一人いたんだ。おれと同じく封印されていた男が」 「その方は与一さんより先に人間に戻ったのですね」 「そう、少し前にあいつは人間に戻ったんだ。おれの唯一の友で、あいつは人間に戻ってからも暇を見つけては門番してるおれのところにやってきたよ。話し相手になってくれてさ。情に厚いやつなんだ」  与一は嬉しそうに語っていた。 「ただ、あいつは口下手で、恥ずかしがり屋なところもあるから、話に花が咲くことなんて滅多になかったけれど」  その言葉をきいたとき、千代は自分をここまで案内してくれた男の姿を思い出していた。  千代は咄嗟に周囲に目を向けた。が、男を見つけることができなかった。 「どうした?」と与一は言った。 「いえ、ただ、ここまでわたしを案内してくれた方がいたのですけれど」 「きっと、あいつに違いねえ」  と、与一は確信に満ちた様子で言った。その声は笑っている。  千代は心の内でそっと、案内してくれた男に礼を言った。  それから二人は山門を後にし、山を下りはじめた。
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