翡翠の簪(かんざし)

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 はっきりとした声が降ってきて、次の瞬間、像の閉じていた目がカッと見開かれた。  千代は驚きのあまり手に持っていたランプを落としかけたが、すんでのところで持ちこたえた。  仁王像が喋った。  千代は動揺してしまい、口がきけずにいた。 「誰だ、お前は」と仁王像がもう一度言った。その顔は門の守護者らしく厳めしかった。「おれに何の用だ?」 「あ、あなたは与一さんなのですか?」  千代は気が動転していて、相手の質問に答えることも忘れ、別の質問で返してしまった。が、仁王像は別段気にしない様子で、 「その通り、おれが与一だ」  あっけらかんと答えた。 「どうしてそのような姿に……」と千代は言った。与一は元々人間であるはずだ。 「それには事情がある」 「……事情?」  話してもいいが、と与一は言った。「その前におれの質問に答えてもらおう。お前は一体誰で、何が目的でやってきた?」 「わたしの名前は千代と言います。ここにやってきたのは、与一さんに届けたいものがあるからです」 「届けたいものとは?」 「すぐには渡せません。あなたの話――事情をきいてから判断しようと思います」  千代はそこで一度言葉を切った。一瞬の間を置いてから続きを口にした。 「あなたが本物の与一さんなのか、まだわからないので」 「お前は本物の与一を知っているというのか。――面白い」  与一の口元は威嚇するように開いたままだったが、その声音には笑みが含まれていた。 「ちょうど退屈していたところだったのだ。いいだろう、おれの事情を話してやる」  だが、と与一は言った。「おれが話したあとは、お前の判断とやらもきちんときかせてもらおう。お前にも何やら事情がありそうだからな。約束できるか?」  千代はこくりと頷いた。  それから、遠い過去を思い起こすような沈黙が降りた。やがて、  おれには妻がいた、と与一は切り出した。「ゆき、という名前で年は十八だった。彼女は元々身体が弱く病気がちだった……」
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