プライド

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 父親が脳卒中で倒れたのはその翌日の夜だった。風呂から上がるなり、へなへなと倒れこみ、そのまま救急車で病院に搬送された。  高校を卒業したら、適当な私大に行くつもりだった僕の人生設計に大きな狂いが生じた。お金が足りない、と母親から言われた。大学に行くなら国立しか無理だ、と。  一般受験で国立大に合格できる学力は僕にはない。残された道はただ一つ。剣道で全国大会に出場して、スポーツ推薦枠で受験することだ。  剣道は小学一年からずっと続けている。強い。そう周囲からは言われて来た。でも、中学で剣道部に入ると、自分の剣道が全く通用しない相手がいくらでもいることに気づかされた。  剣才の圧倒的な違いだ。  体力とか技術とかの違いではない。そうだったなら、どんなに良かっただろう。練習で克服できるのだから。でも、違う。  発想力の差だ。  立ち合っている間、剣士は常に相手の隙を突くための技を駆使し続けている。そのときの発想力で僕を上回る剣士が都内だけでも腐るほどいた。全国なんて目指すだけでも気が遠くなる。  そもそも、能天気に日本武道館を目指せるほど、僕は剣道に熱くなれなかった。高校球児が甲子園を目指すのはわかる。野球にはプロがあるから。でも、剣道にプロはない。オリンピックもない。  けれども、今僕は強制的にその目標に向かわされることになってしまった。大学全入時代に大卒じゃないと困るから、ではない。  病院のベッドで父さんが「す、ま、ん」と回らぬ呂律で頭を下げたからだ。  やるしかなかった。初めて本気で剣道に取り組んだ。毎日虎狼になって稽古に明け暮れた。 迷いがなかったわけじゃない。  勉強する気もないのに大学なんてそもそも行く意味あるのか?  別にコンビニ継げばいいじゃないか? 食っては行ける。  でも、問題はそこじゃない。  問題は香菜が「そういうところだよ」と指摘した僕の心の在り様にある。  プライド。  父さんを「息子を大学に行かせられなかった可哀そうな病気の父親」のままにしておきたくない。  僕も「可哀そうな父親の高卒の息子」にはなりたくない。  準決勝の相手は上高剣道部の沖田だ。上高は都内有数の進学校であると同時に剣道の名門校でもある。沖田は去年二年生ながら全国ベスト4に入った優勝候補筆頭だ。  正直、何だろうな、と思う。  頭が良くて、剣道も強い。その上、イケメンなのだ。香菜も彼氏の友だちだという沖田のファンだったりする。 「人生は平等じゃない。それに慣れろ」とアメリカの大富豪は言った。  OK。その通りだ。あんたみたいにもってる奴には敵わないさ。  父親が倒れる前なら、僕はそう肩をすくめただろう。  でも、そんなもんに十八で慣れてたまるかと今は思う。  この先ずっと沖田に全部負けても良い。  剣道だけじゃなく、大学も就職先も年収も付き合う彼女の数も友達も何もかも。  でも、次の試合だけは勝ってやる。  凡人の僕が沖田総司の再来と言われる剣士を叩き斬って、日本武道館に行くのだ。  それができたら、父さんはベッドで笑ってくれるだろう。母さんは泣くかもしれない。  大学進学は結果でしかない。僕にははなからどうでもいい。
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