プライド

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 試合時間になった。  面を被り、竹刀を手に一礼して試合場に入る。蹲踞(そんきょ)して、沖田と向かい合う。面がねの向こうの沖田の整った顔に表情はない。気負いも油断もない能面のような顔。  僕は胸の内で沖田に語りかける。  なあ、沖田。竹刀じゃなくて、真剣でやりたかったよ。 「始め!」  審判の鋭い声が掛かって試合が開始された。  スッと沖田が踏み込んで来る。  速いっ!  疾風のような小手面打ちで鍔迫り合いからの引き胴。のっけからの連撃を辛うじてかわす。審判の旗が上がりかけるのを視界の隅でとらえてヒヤリとした。  これだけ速く動いたというのに、沖田の体の軸は全くブレていない。さすが全国ベスト4。レベルが桁違いだ。  今の打ち合いで僕の動きを見切ったと沖田は感じたに違いない。すぐにでも仕掛けて来るだろう。  ・・・だが、殺気ではこちらが上だ。  沖田が来る前に強引に面を打ちに行く。接近され過ぎると打突が決まりにくくなる。それを嫌がって沖田は距離を取った。そこを更に追いかけて打つ。  沖田はサッと体をずらすと、まるで竹刀を(なわ)のようにグニャと潜らせ、ムチのような小手を放つ。  並外れた発想力。剣才。  でも、わかっていた。沖田の動きは試合の動画で研究し尽くしている。沖田の発想力なら、わずかな小手の隙を見逃さない。  そして、僕はこの瞬間を待っていた。  沖田が小手打ちを放つのを見越して、迷わず胴を一閃する。  沖田の白旗が一瞬上がりかけたが、すぐに赤旗が三本上がった。 「ドウあり」  沖田のきれいな顔が大きく歪む。能面のような表情は跡形もない。  こんな無名剣士相手に。信じられない。  そんな顔をしていた。僕は微かに微笑んだ。  どうだ、沖田。真剣なら、今のでお前は死んでいたぞ。  すぐに二本目が始まる。  沖田が間合いを詰めて来た。わかっている。一本目を取られた沖田は必ず面で取り返す。他の技は面を打つための捨て技でしかない。  うまく面をかわし、試合終了時刻まで逃げ切れば僕の勝ちだ。  動画がない時代なら、絶対に僕は沖田に勝てなかった。だが、岩手の睦月や、大分の久住という全国の強豪選手の研究を沖田はしていても、無名の僕の研究はしていない。試合場での一瞬の発想力では全く及ばなくても、この半年間対沖田戦に備えて来た僕の方に勝機はある。  目を凝らして面打ちを警戒していたとき、沖田が一気に飛び込んで来た。夏の驟雨のような速さだった。次の瞬間、脳が揺れた。白旗が三本上がる。沖田に一本入った。 「メンあり」  三本目が始まった。どちらか先に一本取った方が勝ちだ。だが勝負はつかず、そのまま延長戦に突入した。  激しい攻防が続く。沖田の繰り出す鮮やかな発想力の数々に、蓄積されているデータで対応する。  しかし、重い防具の下、疲労で呼吸が苦しくなってきた。体の動きも鈍くなって行くのがはっきりとわかる。思考が形を失って行く。  ダメだ。気持ちで負けたら斬られる。  見ると沖田も面がねの向こうで口を開けて荒く息をしている。鬼の形相だ。  勝つ。絶対に。  そう誓ったとき、沖田が床を踏み鳴らして踏み込んできた。鍔迫り合いに持ち込まれ、足に激痛が走る。踏まれたのだ。  ほんの一瞬、痛みに意識を持って行かれた。その瞬間、沖田が勢いよく跳びすさる。  刹那、動画の記憶が蘇る。足を踏んだ後、沖田は引き胴で一本取った試合があった。  動画ではわざと踏んだようには見えなかった。そのため審判も一本と判断した。  でも、わざとだったのかもしれない。  ひょっとしたら是が非でも一本取るための沖田の奥の手がこれなのかもしれない。  見えた。  天才剣士の底。  その底、穿(うが)ってやる。  沖田の引き胴は無視した。全身を槍にすると、鉄壁をも貫く気合で、沖田の喉元にもろ手突きを放つ。  届けーっ!  その瞬間、足に痛みが走った。 「ドウあり」  試合は終わった。  礼をしたとき、沖田は視線を下げたまま、僕と目を合わせようとしなかった。  それを見て、妙にサバサバとした気持ちで僕は試合場を出た。
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