はじめに「吟遊詩人のうた」

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はじめに「吟遊詩人のうた」

北の宿場町にある寂れた酒場。 そこに旅人が訪れたのは日も暮れ始めた頃だった。 分厚い木の扉を開け寒さから逃れるように中へと滑り込む。 外套についた雪を払うと、さらさらとした質感の雪は砂のようにあっけなく滑り落ちた。 秋になったばかりだが、雪国ともなれば日によってはこの様に雪が振る事もざらだ。 これから更に北上せねばならない事を思えば些か気も滅入るが仕方ない。 酒場は繁盛しているようで、辺りを見回すと自分と同じ旅人や冒険者、行商人などが思い思いに騒がしく話に花を咲かせていた。 どこの町でも酒場というのは騒がしい。 その光景は何故だかホッとする。 きっと長い事一人旅をしてきたせいだろう。 旅人は急き立てられるようにカウンター席へと座り、エールとライ麦のパン、肉入りのシチューを所望した。 肉入りを選んだのは偶の贅沢だ。 連れもいないのだから、こんな日くらいは多少金を使ってもいいだろう。 運ばれてきたシチューからは白い湯気が立ち上り、口に運ぶと熱く、飲み下すと冷えた身体が幾分温かくなった。 昼に焼かれたであろうパンは少し堅かったが、シチューに浸すと蕩けるように柔らかくなり、香ばしい風味が口いっぱいに広がった。 そこでエールを一口。 至福のひと時だ。 旅人は安堵の息を吐く。と、そこでふと隣が気になった。 空腹に気を取られて気が付かなかったが、どうやらカウンターには先客がいたらしい。 長い髪の男だった。 旅人はついつい隣人の姿を観察した。 大きな羽飾りがついた草色のトンガリ帽子に、同じ色のマントと上着。 白いパフスリーブ風のゆったりとしたシャツを着て、使い込まれた皮のロングブーツを履いる事から、どうやら吟遊詩人か何かのようだと感じた。 その証拠に、彼の背には相棒らしき木製の竪琴が背負われていた。 こんな田舎には珍しい客だ。 ここから西に向かえば大きな町があるが、そこに向かう途中なのだろうか。 そんな事を考えながらぼうっと見ていると、不意に詩人がこちらを向いた。 「ごきげんよう、旅のお方」 しまった、不躾にジロジロと見過ぎたか。 旅人は幾分気まずくなり、曖昧にこんばんはとだけ返した。 すると詩人は帽子の奥でくすりと静かに笑った。 もっとも、目深に被った帽子のせいで表情までは見えないが。 おまけにマントの襟を立てているためか、口元も見えづらい。 しかし彼が笑った事は確かだった。 「今夜は実にいい夜だ」 そう言われ旅人は少し困惑した。 いい夜、と彼は言ったが自分にはそう思えなかったからだ。 まあ、芸術家というのは兎角変わった感性の持ち主であったりもする。 きっと彼もまたそうした感覚の持ち主なのだろう。 そう納得する旅人を後目に、詩人は背から竪琴を下ろすと膝に抱え、ポロンと一音爪弾いた。 すると周囲の人々の関心が一斉にこちらに向いた。 田舎での娯楽は数少ない。 吟遊詩人が何か面白い話でも歌うのか。 そうした期待が向けられているのが手に取るように分かる。 旅人もまた同じ事を考えていた。 詩人はその期待に応えるように、ポロポロと竪琴を弾き始める。 「ここで出会えたのも何かの縁。折角ですから、何か語って聞かせましょう」 リクエストはありますか、そう聞かれ旅人は考えた。 暫く考えて、ふと思い付く。 旅人は言った。 有名な昔話を聞いてみたいと。 子供の頃から根無し草のような生活をしていたから、普通の人が当然知るような昔話を聞いてこなかったから。 何か頼めるだろうか、と銀貨を1枚テーブルに置くと詩人はそれに手を伸ばしもせず、くすりと笑って竪琴を奏でる。そして 「では今夜の雪に因んで、この辺りの伝承を1つ。こちらのお代は、貴方が私の話を面白いと感じたら、その時に頂きましょう」 そして、ただ爪弾いていただけの単音が複数重なり曲になり始めた。 「はるか昔。まだこの地に、今は遠き神々の残り香があった頃」 前語りが始まった。 詩人らしく美しい、良く通る声だった。 いつしか酒場の喧騒はなりを潜め、誰もがその声に聞き入った。 吟遊詩人は歌い出す。 それでは皆様 暫しの間、お耳を拝借 これはある時 ある国の とある場所での物語… 詩人の歌がしっとりと酒場に満ちていく。 気付くと誰もが口を閉じ、その歌に聞き入っていた。
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