卒塔婆山

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 夏の日の朝。  暑さで目が覚めた私はのそりと起き、カーテンを開けた。  ()は開けない。  続けて窓の向こう側に見える景色を睨む。ここまでが朝起きてから行うワンセットになった。  これが私、倉本(くらもと)里菜(りな)の日常だ。 「相変わらずヤな景色だな」  私はシャッとカーテンを閉じる。  こんな暑さなのに部屋の窓もカーテンも開けない。  だって“あの陰鬱な山”を見たくないから。  卒塔婆(そとば)(やま)。  あの山が私たちの町に建設されたのは最近のことだ。  山を建設? と、思うかもしれない。けれどこれであってる。  卒塔婆山は人工的(・・・)につくられた山だ。  人の亡骸を埋葬することだけを目的とした集団墓地。それが卒塔婆山である。  今日も早朝から業者が山で作業していて騒がしい。 「今日も今日とて運ばれてくるなあ“ブツ”が」  数年前、安楽死が日本で認められた。  政府による意向で個人の見解や選択、自由の幅を尊重するとして人の死まで自分で管理できる時代になった。  死にたい人は死に、生きたい人は生きる。  いつの間にか自殺という概念はなくなった。  だから死ぬことが悲しくて辛いという認識も薄れていった。  そうすると世間の死に対する意識が変わり、重く厳かに受け止める死に対してのイメージは180度変化して死に肯定的になった。  選択、尊重、権利、自由。  自由を尊重した果てにあるのは人間として寿命まで生きることの放棄だ。 「本末転倒じゃん。バーカ。世も末だ」  安楽死する人が思いの外多いので急遽“ブツ”を大収容できる人工的な山を建設することになった。  選ばれたのは土地のある田舎の町。  そう、私の住む町だ。  選ばれた田舎町は私の町で山が造られたのが自分の家の目の前で。 「わざわざ私の部屋の窓がある位置に建てやがって」  卒塔婆山のせいで窓が開けられなくなった。カーテンも閉めっぱだから陽当たりが超悪い。  だってあんなもの見たくない。  でも世間では私の意見とは逆で卒塔婆山は超人気スポットだった。なんと驚くのは卒塔婆山、夜イルミネーションするのである。そのせいで若者たち群がり夜は毎晩お祭り状態。  最悪すぎる。  寝覚めが悪いのも呪詛を吐くのも目元のクマが消えないのもイライラが募るのも全部あの山のせいだ! 『死は新たな門出の象徴』 『最高の状態で終わりを飾れるように』 『自分で終わりを決める自由な選択を!』 「……」  家の中でひとり朝食を食べながらテレビのチャンネルを変えた。  妙に明るい葬儀会社のコマーシャルが苦手だ。  安楽死とかいうふざけた制度のせいで死ぬ人が多いから必然と葬儀関係や終活の宣伝を見聞きする機会も増えた。 「爺ちゃんがいたら同じこと言うのに」  祖父は長い病魔との闘いとの末割りと長生きして死んだ。最期まで生にしがみついた。 「爺ちゃんが今の社会になる前に死んでてよかった」  学校でも“そういう授業”が増えたなー。 「いってきます」  返事が返ってこないとわかりつつも家を出る時には挨拶を忘れない。  鍵を閉め二階の我が部屋の窓とカーテンが閉まってることを確認。  よし、OK。登校だ。  向かいにある山を出来るだけ見ないように横切る……ように努力しても見えるものは見えるもので。  毎日ここを通らなきゃいけないのは憂うつだ。 「? なんだあれ……」  学校から家に帰る途中(不本意ながら)山の方を見ると、黒い塊みたいなものが墓の周りをあちこちと行き来しているのが見えた。  頂上付近の方だ。 「人間……?」  黒い塊はどうやら人のようだ。 「なんか墓の前でうろついてるし。墓荒らし?」  つい興味が出て行ってしまった。  卒塔婆山は埋葬目的に造られた人工的な山なのでそんなに高さはない。一時間も歩けば頂上にたどり着ける。  頂上には汚い(全体的に)男が墓に供えられたまんじゅうを食っていた。
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