もっとも大切なことは最後の一回で

10/11
前へ
/11ページ
次へ
 夜も更けたころ、舟木湊のスマホが振動してメッセージの着信を告げた。  発信元は仁科航平。  本日、同僚の大橋が申請漏れという騒ぎを起こした際、駄目元でパスワードを訊ねるメッセージを送っていたため、折り返しをしてくれたのだろうと考えた。しかし、すでに解決した旨は追記で送付済み。  明日の帰着時間は事前に聞いているし、戻ってゆっくりして、夕飯でも食べに行こうと約束してある。もしや予定が変更にでもなり、その連絡だろうか。  訝しく思いながらもメッセージを開いた湊は、その文言を何度か見直してみる。しかしアプリを一旦閉じて、もう一度開いたところで内容は変わらない。  壁にかけた時計を見る。もうあまり時間はない。  部屋着を脱いで、ジーンズを穿()く。  財布とスマホ、部屋の鍵を鞄へ入れると、最寄り駅へ向かった。  改札から流れ出てくる人数は少ない。  それでも幾人かのひとを吐き出したあと、遅れるようにしてその男は現れ、待ち構えていた女性を見て目を見張った。 「どうしてここに居るんだ、湊」 「それはこっちの台詞。泊まって帰ってくるんじゃなかったの? 出張申請は宿泊で出してるんですけど?」  睨まれた男は、ばつの悪そうな顔を浮かべて視線を逸らせる。  敏腕課長、氷の男、鬼の仁科などと言われる姿はどこにもない。舟木湊にとっての仁科航平は、むしろこちらのほうである。 「だからって来なくても。危ないだろう、夜も遅いのに」 「来ないほうがよかった?」 「……いや、顔が見られて嬉しい」  そう言って近づいてきた恋人を、湊は受け止める。背中に回される手、引き寄せるちからがやけに強い。 「疲れた」 「その疲れとやらは、この香水の主が関係しているわけ?」  言うと、ばっと手を放し、自分のスーツの袖に鼻を近づける。 「違うぞ」 「べつに浮気だとは思ってないよ、言い寄られでもして、ホテルについて来られないように帰ってきたってわけね」  この男は、顔面偏差値が高いので、女ホイホイなのである。似たようなことはこれまでにもあり、いちいち浮気だなんだと疑っていてはキリがなかった。  航平が湊以外の女性に一切の興味がないことは、よく知っている。伊達に長く付き合っているわけではない。  出会いは中学。付き合ったのは高校から。  同級生には「まだ結婚してないの?」と驚かれるが、これには少々事情があった。湊の父が、娘可愛さに条件を突き付けたせいだ。  三十歳までに課長クラスに昇進しろ。  無茶もいいところであった。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加