一章 高貴な依頼

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人は過度の緊張が加わると記憶が飛ぶらしい。 唐突に、瞼の裏に急に光が差し込んだので、春宵はとっさに目をこすって居住まいを正し、もっともらしく言った。 「この轎は静かで揺れず、瞑想しがいがあります」 「まさか、寝……?」 呆れたように顔をしかめた官人の顔が、疑わしそうに春宵を覗き込んでいた。 「大変瞑想のし甲斐があります」 「……まあよいでしょう。それより、初めまして、楊貞人。早速になりますが、これよりは、轎の乗り入れがかないません。歩いていただきます」 齢は四十ほどか。姿勢がよく、地方訛りを排した官話の発音も明瞭だ。胸に鳥の刺繍の入った円領(まるえり)の袍は、たしか文官の証だったか。たぶん、普段なら道を譲らなければならないような上級官僚だ。
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