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「云い残すことはあるか」 「……何も」  じっと裁きが下るのを待っていると、平手で打たれ、突き飛ばされた。 「忌々しい。約束さえなければあの子も山から出られなかったものを。外の者との約束がない限り、雪女は生まれた山から出ることはできず、冬が終われば眠りに就かなければならぬ。力があれば冬以外にも起きてはいられるが、親子の絆で娘の状況を知ることと念話を送ることが精々だ。あの子が火事の中にいたときも、子供の命を奪うように云ったのだ。そうすれば雪女に戻れる。火事などで死ぬことはない。……でもあの子はそうしなかった」 「どうして……」 「『あの人との子を殺すなんてできません。それぐらいなら人として死んで、この子と一緒に彼のことを待ち続けます』……そう云って死んでいった。お前があの子を人間にしたから死んだんだ」  その時のさくらのことを思うと胸が潰れそうだ。炎の中で死を待っていることしかできず、どんなにか辛く、恐ろしかったことだろう。  それでも、さくらは最期まで僕等を愛してくれていた。彼女は人間よりも人間になっていた。雪女のさくらなど、もう何処にも存在してなどいなかったのだ。  それなのに、僕は。彼女が死んだことを認めることもできずに。 「さくら……ごめん……ごめんな……」  溢れたそばから凍り付く涙を止めることができなかった。 「鬱陶しい奴め。今すぐ氷漬けにしてやりたいところだが、お前をあの子の元に送ってやるなんて癪だ。精々無為に生き続けろ」  そう云ってさくらの母が手を振ると猛吹雪が起こり、吹き飛ばされた。  気づけば山道に戻っていた。もう話すことはないということだろう。 「ありがとうございました……」  山の頂の方へ一礼した後、下っていく。  歩いていくうち茶店に差し掛かると、店主は大層驚いた顔をした。 「あんた、どこから来たんだ」  登るところを見かけなかった者が降りてきたのだから当然だろう。どう話したものか逡巡している内に「あの時の、」と気づかれた。この主人から雪女の話を聞いたのが遥か昔のことのようだ。 「その節はご迷惑をお掛けしてすみませんでした」 「……雪女に会ったんだな」 「はい……」  温かいお茶を勧められ、自分の体がどれだけ冷えていたかようやく気がつく。 「……時々雪ん子がこの辺に来るんだよ。こっちに話しかけてくるようなのはめったにいないが、昔変わった子がいたね。山の外の暮らしや、冬以外に咲く花のことを教えてほしいってせがんでくるんだ」  きっとさくらのことだろう。新しいものを見聞きする度輝かせていた瞳の美しさを思い出す。……もっと色々なものを見せてあげたかった。 「自分の領分越えたところ知ろうとするもんじゃないぞって云ったんだがね。聞きゃしないよ。誰かさんみたいにね」 「すみません……」 「外のこと知りたがるような雪女はろくな目にあわないんだ。かわいそうだよ、男も女も」 「…………でも、幸せでした」 「だろうね。恰好はひどいもんだが、あんたは憑りつかれた者の目をしちゃいない。生きていける人間の顔をしてる」 「はい。僕はもう生きていけます」  そうだ。僕は生きていける。あと一回でも会ってくれるのなら命を投げ出しても構わないと思っていたのに、さくらは僕を愛して待ち続けてくれているのだ。それに見合うような人間として生きねば、合わせる顔がないじゃないか。  さくらの気持ち。さくらとの思い出。さくらから貰ったもの全てが僕を生かしてくれる。でも貰ってばかりじゃ駄目だ。僕だってさくらを、それに僕達の子のことも、喜ばせたい。  さくら。君達が見たかったもの、君達に見せたいもの、色々なものを体験して君達に伝えるよ。そのために僕は生きる。  僕は、生きていく。
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