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憧れは時を超えて
夏が過ぎていく。
恒例の花火大会を明日に控え、俺は足取り軽くホールを動き回る。
ここはメイドをコンセプトにしたよくあるカフェ。
俺はこの店のキャストの一人として働いている。
店長のアズサさんが声をかけてきた。
「ちーちゃん、なんだか楽しそうね?」
「え? そうですか?」
「うんうん。何だかとってもいい感じ。何かいい事あった?」
「えっと……特には」
俺は、無意識に緩んでしまった頬を、シュッと引き締める。
アズサさんは、ぷぅと吹き出した。
「あら、とっても可愛いい!!」
アズサさんは笑うと目がなくなる。
笑顔がとっても魅力的な女性だ。
ちなみに、ちーちゃんとは俺の源氏名で、千幸という本名からそのまま名付けられた。
カランコランと来客を知らせる鐘が鳴った。
俺は、営業スマイルをつくり、スカートの裾を掴んでお辞儀をした。
「お帰りなさいませ! ご主人様!」
****
シフトが終わった。
ロッカールームで着替えていると、背中からアズサさんの声がした。
「分かった! 彼と会うんでしょ!」
「え?」
後ろを振り向いた。
アズサさんがドヤ顔をしている。
どうやら先ほどの会話の続きらしい。
「明日の花火大会。帰ってくるんでしょ? 彼」
「ええ、そうですね……」
「やっぱり、そう! バレバレなんだから! やっぱり彼氏よね、その笑顔の正体は。うんうん……」
一人納得するアズサさん。
「最近心配だったんだ、ちーちゃん……何だか元気なくて……」
「そんな事ないですよ。俺、元気ですって」
「ならいいんだけど……」
アズサさんは、何事も無かったように、制服のコスチュームを脱ぎ出す。
すぐに下着姿となった。
俺は、慌てて目を逸らす。
「ちょ、ちょっとアズサさん! 服!」
「え? あ、あーごめん、ついね……」
アズサさんはお茶目にテヘペロをして、胸元を覆った。
「でも、別にいいでしょ?」
「良くないですよ、もう!」
「どうも、ちーちゃんの事、女の子って思っちゃうのよね……」
「思わないで下さい! 俺は男です!」
「へぇ……じゃあ、女性にもムラムラしたりする?」
「そ、そんな事……俺には分からないです!」
「ふーん。かわいい! なら、あたし、ちーちゃんの事、誘っちゃおうかな……ほら! 見て! ちーちゃん!」
アズサさんは、下着姿のままセクシーなポージングをする。
俺の方が恥ずかしくなって、急いで背中を向いた。
「はぁ、はぁ、もうからかわないで下さい!!」
アズサさんは、俺を背中から抱きしめ、頭をいーこ、いーこ、と撫でた。
「ちーちゃん、本当に可愛い子。大好きよ」
まるで仲良しの女の子同士。
(いいから早く服着てくださいよ、もう! 背中に胸が当たってますって)
俺は、アズサさんのこんな所がどうも苦手だ。
****
「カンパーイ!」
高校剣道部のOB・OG会は、毎年恒例のイベントで、花火大会前日に開催されるのが慣わし。
俺は、同期生と同じテーブルにつき、隣のテーブルの会話に聴き耳を立てていた。
そのテーブルには、俺の2つ上の世代が固まっていて、俺のお兄ちゃん、つまり湊の姿もそこにあった。
誰かがお兄ちゃんに言った。
「すげぇな、湊。大手商社の本社勤務ってだけでもすごいのに、二年目で管理職待遇だって?」
「まぁな」
「俺達の中で、間違いなく一番の出世頭だな!」
会話の主役は、久しぶりに帰省して戻ってきたお兄ちゃん。
「さすが出来る男は違うなぁ……でも、今の会社でずっとは働く気はないんだろ?」
「ああ……ノウハウを身につけて、稼ぐだけ稼いだら起業する。やりたい事があるから」
「おおぉー」
お兄ちゃんの一言に一同は沸く。
「やりたい事っていうのは、まだ明かせないけどな。いつかみんなにも話すよ」
カッコいい!! と賞賛の声。
羨望の眼差しを一手に引き受ける。
聞き耳を立てていた同席の同期生たちも溜息混じりに呟く。
「はぁ……社会人になっても湊先輩ってマジ、カッコいいよな……ったく、どうして世の中はこんなに不公平なんだ?」
俺は、密かにほくそ笑む。
(ふふふ、俺のお兄ちゃんは、カッコいいんだ! そんなの当たり前だ!)
誇らしくってしょうがない。
悦に浸る俺。
時を待たずして酔いが回った女性陣が、隣のテーブルになだれ込んだ。
「ちょっと! いつまで男だけで飲んでるのよ!! ちょっと席変わってよ! ねぇ、湊くーん! 一緒に飲もうよ!」
「湊くん、あたしと付き合って!!!」
「ちょっと、どさくさに紛れて何抜け駆けしようとしてるのよ、あんた!」
「おい、女ども! 今は大事な男同士の話の最中だ!」
男女入り乱れて大騒ぎ。
一人困り顔のお兄ちゃん。
ふと、一瞬、俺と目が合った。
ニコッと微笑み、ウインクした。
(お、お兄ちゃん……)
胸にハートの矢が刺さる。
そして、直ぐに下腹部が熱くなっていくのを感じた。
****
ラブホテルの一室。
俺は、部屋に入るなり、お兄ちゃんに抱き付いた。
「お兄ちゃん!」
「こらこら、千幸。シャワーを浴びてからだ」
「イチャイチャしよ! いますぐ! 俺、我慢できないから!」
「……飲み会だったんだ。ほら、汗かいたし。さっぱりしたいだろ?」
「ヤダヤダ! だって、会うの久しぶりだし、俺、ずっと我慢してたんだ! だから、早く! 早く!」
「でも、匂うぞ?」
「いいの! 俺、お兄ちゃんの匂い好きだから!!」
俺は、お兄ちゃんの首に手を回しつつ、キスをせがんだ。
****
お兄ちゃんは、初恋の相手。
そして、男同士で気持ちよくなれる事を初めて教えてくれた相手でもある。
そんなお兄ちゃんの大事な部分を自分の体の中に受け入れ、一つに繋がり、愛を営む事ができる。
こんなに幸せな事ってない。
「お兄ちゃん……もっと奥まで……そう、もっと激しく突き上げて……うっ……当たってる、気持ちいい……切ないよ……」
「千幸、すごく締め付けてくる。千幸が感じているの分かるよ……俺も興奮する」
「お、お兄ちゃん……俺の中……思いっきり掻き回して……そう、そこ。ああっ……か、感じる……お兄ちゃんを感じる、体の奥で……俺、とっても幸せ……くっうっ」
「千幸、俺も幸せだよ……千幸と一緒に気持ちよくなれるのだから……うっ、でも、ごめん。もういっちゃいそうなんだ。今日の千幸、何だかとっても可愛いから、俺」
「も、もう! お兄ちゃんは、そんな風に俺をおだてて……ずるい!」
「ふふっ、照れているのか? 千幸」
「て、照れてなんかない!」
「千幸、お前は本当に可愛い。俺の千幸、好きだよ……」
「お兄ちゃん……俺だって、お兄ちゃんの事、大好き……」
俺の頭の中は、お兄ちゃんの事でいっぱいになった。
そして、声にならない断末魔と共に気を失った。
****
シャワーを終えると、俺は密かに持ち込んだメイドコスに着替え、先にソファでくつろぐお兄ちゃんの前に姿を見せた。
「ねぇ、見て! お兄ちゃん!」
お兄ちゃんは、目を見開き俺を凝視する。
「へぇ、とっても似合ってる。可愛いよ、千幸」
「でしょ! 黒のレース仕立てで、スカート短め。ほら、ここ絶対領域。ガーターベルトもエロ可愛いんだ。ねぇ、お兄ちゃん、そそるでしょ?」
俺は得意気に、えっへん、と仁王立ち。
「ああ、とってもそそるよ。こっちにおいで、千幸」
「うん」
俺は、お兄ちゃんに胸に飛び込み、そのまま膝の上にまたがった。
お兄ちゃんに、褒めてくれてありがとうの意味を込めて、チュッとキス。
すると、お兄ちゃんは、俺の体をギュッと抱き締めた。
「可愛いよ、千幸。食べちゃいたい……」
「もう! お兄ちゃんは……」
望み通りの答えで大満足。
俺は、ふと気になっていた事を思い出した。
「お兄ちゃん、そういえば今の職場って可愛い子いるの?」
「何だ、千幸。唐突に。気になるのか?」
「いいから答えてよ!」
「いないよ」
「本当?」
「本当だよ。千幸より可愛い子はいない。女も男も含めてね」
「へぇ、そうなんだ、ふーん」
思った通りの答え。
でも、ほっとした。
「なんだ? 嬉しそうだな」
「べ、別に……」
「嘘つけ、こら千幸! くすぐっちゃうぞ!」
「きゃっきゃ……あはは、やめてよ!! お兄ちゃん!!」
そのままソファに押し倒され、二人折り重なる。
お兄ちゃんは、真剣な目で俺をじっと見つめる。
「千幸、お前だけだ。安心しろ。俺はお前だけを見てるから」
「う、うん……」
「よし、じゃあ、気持ちがスッキリしたところで、もう一発しておこうか? 俺、お前のメイド姿みていたらこの通り、またカッチカチになってしまって」
「一発って……俺、そういう言い方は嫌だな……」
「ごめん、ごめん……じゃあ、言い直すよ。オホン、そこの可愛いメイドさん、私に夜伽をしてもらえないですか?」
「はい、喜んで、ご主人様!」
「ぷっ、あははは」
お兄ちゃんと俺は大笑いした。
****
「千幸! おかえり!!」
「お姉ちゃん?」
家の玄関の扉を開けると、意外な人の声が耳に入った。
「そうだぞ! おねぇちゃんだぞ! 我が可愛い弟よ!」
「痛いよ! お姉ちゃん!」
俺をギュッと抱きしめ、頬擦りをしてくる。
三歳上の姉。名前は、百花。
大学を卒業し、NGO 関係の仕事に就いている。
世界中を飛びまわり、困っている人達の手助けする仕事。
姉はイキイキしてる。
きっと天職というものなのだと思う。
で、仕事の合間に、こうやって突然家に帰ってくる。
「……それでさぁ、現地の人に感謝されてさ……はい、お母さん、これお土産ね」
「へぇ、何これ? ちょ、ちょっと……卑猥じゃない?」
「あははは、アフリカじゃ当たり前みたいよ。男性のシンボルに似せた彫り物って」
一通りお姉ちゃんの土産話で盛り上がった後、お姉ちゃんは俺に問いかけた。
「……で、千幸。大学卒業できそう?」
「うん、まぁ単位は取れているからね」
お母さんがここぞとばかりに口を出す。
「百花、聞いてよ! 千幸、この時期なのにまだ就職決まってないのよ」
「そうなの? 千幸」
「もう! お母さん! 余計な事言うなよ」
「だってねぇ……心配なのよ。毎日アルバイトばかりに精を出して……」
「だって、俺はやりたいことがまだ決まってないんだから仕方ないだろ!」
「また、あんたそんな事を言って……」
俺とお母さんとのいつもの言い争い。
お姉ちゃんが割って入った。
「まぁまぁ、お母さん。いいじゃない、千幸がやりたい事ができるまで待ってあげればさ」
さすがお姉ちゃん。
俺の良き理解者。
「ところで千幸、今恋してる?」
「え、どうして?」
「恋する乙女の幸せオーラが出てるから……恋人出来たのかな?」
「ど、どうかな……」
本当にお姉ちゃんは、何でもお見通しだ。
****
自分のベッドに横になり目を閉じた。
今日の出来事を思い返す。
いろいろな事があった。
バイトに行って、高校時代の部活の飲み会。
お兄ちゃんとイチャイチャして、帰省したお姉ちゃんと久しぶりに会話。
楽しかった。
明日はいよいよ花火大会。
新調した浴衣をお披露目する。
柄は、薄いピンク地に白い薔薇の花。
そう、俺が小学生の時に初めて女装したひらひらの服と同じモチーフ。
(お兄ちゃん、何て思うかな? ふふふ)
楽しみでひとりほくそ笑む。
(さて、明日のバイトは早上がりして、家で浴衣に着替えて、と)
明日の事をいろいろ考えると幸せな気持ちになれる。
でもそれは、最近ずっと悩んでいる事を忘れる為の逃避であることも分かっていた。
俺は将来一体何がしたいのだろう?
お兄ちゃんを追いかけて、ずっと追いかけて、それでいいと思っていた。
でも、お兄ちゃんはずっと先に進んでいく。もう背中すら見えない。
お兄ちゃんは、何でもできるスーパーマン。
一方、俺は?
そう、凡人、いや凡人以下なのだ。
お兄ちゃんを追いかける、だなんて、所詮俺には無理だった。
それに気づいてからは、目の前が真っ暗になった。
ただ、お兄ちゃんが「好き」と言ってくれた女装にすがり自分を保とうとした。
コンカフェで働く事だって、所詮逃避なのだ。
それは分かっている。分かっているのだけど……。
だめだ。
俺は首を振った。
(元気を出せ俺! せっかくお兄ちゃんが帰ってきてるんだ。思いっきり、お兄ちゃんに甘えて、花火大会を愉しむんだ!)
****
カフェは、花火大会当日だと言うのに大盛況。
朝から大入りで、俺は休む間もなく右へ左へと動きまわる。
くたくただけど、この後お兄ちゃんと会えると思えば俄然頑張れる。
「ちーちゃん、いい笑顔! 頑張ろうね!」
「はい! アズサさん!」
もうすぐシフトが終わる。
胸がそわそわしだして、気もそぞろ。
と、その時、とある客をご案内する事になった。
嫌な予感がした。
「ご注文がお決まり次第、お呼びください」
「ちょっと待ちな……」
その客は、俺の手首をギュッと握った。
「君、本当は男なんだろ?」
「え!?」
背筋が凍り付く思いがした。
まさか、バレた?
「そっちで話そう。来い」
その客は、俺の手を引いて無理やりトイレの個室に連れ込んだ。
客は言った。
「人は騙せても俺は騙せないぞ」
「何を言っているんですか!! あたしが、男だなんて……」
「じゃあ、これはなんだ?」
「ううっ……」
いつの間にかスカートの中に手を入れられて、男のものを鷲掴みにされていた。
客はにやりと笑う。
「バラされたくないだろ? 悪いようにはしない……いう事を聞けばだがな。ひひひ」
客は、自分のズボンをするっと脱いだ。
****
その客は、俺の髪の毛をひっぱり自分の股間にあてがおうとする。
「さぁ、しゃぶりな。本当は、こうされるのが望みなんだろ? 女の格好までして男を相手にしてんだからよ。俺は、お前を女のように扱い、可愛がってやろうってんだ。感謝して欲しいぐらいだぜ」
「お、お願いですから……許してください……」
「……ったく、強情な奴だな。いいのか? 言いふらすぞ? この店には男が混じっているって」
「べ、別に……そうなればお店を辞めるだけです」
「はぁ?? 考えてみろよ? そうなればお前が恥をかくだけじゃねぇ。店に迷惑が掛かるって事だ。口コミ商売で成り立っている業界だ、変な噂が立てばあっという間に潰れるかもな」
「潰れるって。そんな……」
「おしゃぶりの後は、ケツを掘ってやっからな。しっかり、女のように気持ちよくしてやる。オラ! 早く、しゃぶれ!!」
いやだ、いやだ。
お兄ちゃん意外のものを口の中に入れるなんて、絶対にいやだ。
無理やり口を開かそうとするのを、俺は必死にこらえる。
が、もうダメ、と思ったとき、
バタン!
と、大きな音がした。
キー、と個室の扉が開く。
「警察です。ご同行願えますか?」
「な……ど、どうして……」
驚き青ざめる客。
警察官の後ろでアズサさんが心配そうに俺を見ているの見て、すぐにアズサさんが助けてくれた事が分かった。
ホッとしたら、目から涙が吹き出した。
****
アズサさんが言うには、あの客はこの界隈では有名人らしく、卑怯な手口で弱いものを脅して思い通りにしようとする、いわば常習犯との事。
「本当に、何事もなくてよかった……」
アズサさんは俺を抱き締めながら言った。
(アズサさんって本当に優しい……俺なんかに親身になって心配してくれる……)
警察の取り調べは長引き、花火が上がる時間は刻一刻と迫っていた。
(ああ、もう浴衣に着替える時間なんてない……このメイド服だって……早くお兄ちゃんの所にいかないと……)
俺は、店を飛び出した。
小走りで神社へ向かう。
群衆をかき分けて進んでいく中で、人々は、俺をいぶかし気に見る。
それはそうだろう。
場違いもはなはだしいメイド服姿。
さぞ滑稽に映っただろう。
そんな痛い視線を浴び、ふと、思い出した。
あの客の言葉。
『本当は、こうされるのが望みなんだろ? 女の格好までして男を相手にしてんだからよ』
違う違う!
そんなんじゃない!
俺はただ……お兄ちゃんに好かれたいだけなんだ。大好きなお兄ちゃんに。
ただそれだけなのに、どうしてそこまで言われなきゃいけないんだよ。
俺は、口惜し涙をぐっとこらえた。
****
神社の境内に入った。
二人だけの秘密の特等席には、お兄ちゃんの姿があった。
「千幸、遅かったね。花火、もう始まっているよ! 早く、おいで!」
色とりどりの花火が一面の空を彩る。
それは、夜空を見上げるお兄ちゃんの目にも映った。
綺麗な瞳。
やはり、俺とは別世界の人に見える。
お兄ちゃんは俺の服装をみて、あれ? という顔をした。
約束していた浴衣じゃない。
「……千幸、何があったか話してごらん?」
俺は、お兄ちゃんに抱きついた。
そして、うわーん、と声に出して泣いた。
我慢していたものが、堰を切って溢れてくる。
止めることはできない。
ポンポンと、俺の背中を優しく撫でてくれるお兄ちゃん。
お兄ちゃんは、皆が憧れるヒーロー。
それに引き換え俺は……自分の身も守れない。
この日の為にあつらえた浴衣でさえ、お兄ちゃんに見てもらうこともできなかった。
本当に情けない。
情けなくて、悔しくて……。
「……俺、お兄ちゃんのようにカッコよくなりたい。でも、俺、ぜんぜんダメで……俺、お兄ちゃんと全然釣り合ってないんだ。本当は、お兄ちゃんの恋人でいる資格なんてないんだ。俺なんて、何の価値もない……」
「千幸、自分の事を価値がない、だなんて言ってはいけないよ」
「言うよ!! だってお兄ちゃんがカッコ良すぎなんだ!」
震える俺の手を、お兄ちゃんは優しく握り締める。
「……千幸にそう思っていてもらえているなら嬉しいな」
お兄ちゃんは、小首を傾げて微笑んだ。
包み込むような優しい笑顔。
俺は、はっと息をのんだ。
「……俺だって大した事ないんだ。ただ、千幸の憧れのお兄ちゃんになれるように頑張っているだけ。俺は誓ったんだ、あの6年前の夏に、千幸が尊敬出来る男になるって……」
「……お兄ちゃん」
「だから、心配するな。それに、お前は俺好みの可愛い弟になろうとして頑張っているのだろう?」
俺は、コクリと頷く。
「なら、俺と同じだ」
「ちっとも同じじゃない! 釣り合ってない!」
「……千幸」
「お兄ちゃんは俺のどこを好きになったの!? 俺なんかの……」
「俺の事を本当に思ってくれているところ……覚えているかい? 小学生の頃。千幸が俺を元気付けるために女装してキスしてくれた事。あの時の一生懸命で必死な顔……俺は今でも思い出せるよ」
「だって、あの時は……」
(俺、お兄ちゃんの事が大好きだったから、ただ夢中でした事で……)
思い出すと恥ずかしくて、背中の辺りがむずむずする。
ふと顔を上げると、お兄ちゃんの真剣なまなざしが有った。
「なぁ、千幸。一緒に暮らさないか?」
「え?」
「大学を卒業したら俺の所に来るんだ。嫌かい?」
嫌な訳がない。
お兄ちゃんと一緒に暮らす。それはすごく嬉しい事。
でもダメなんだ。
こんな俺が、お兄ちゃんの近くにいたら、お兄ちゃんの足を引っ張ってしまう。
足手まとい。
それが容易に想像できる。
「……なぁ。千幸、俺、お前と一緒にやりたい事があるんだ。今、その為の準備をしている」
「え?」
「どうかな。これからは、二人で一緒の夢を叶えるために進むんだ」
「二人で……夢を?」
「そう二人の夢。一緒に叶えよう。だからいいよね?」
お兄ちゃんと一緒に同じ所を目指す。
小学生の頃、お兄ちゃんと一緒に遊んでいたあの時と同じ。
お兄ちゃんの背中を追いかけて、一緒に楽しみ、悲しみ、喜び、怒り、笑う。
何て素敵なことなんだろう。
長いトンネルの先に、夢という光が見えた。
ああ、やっぱりお兄ちゃん。俺を幸せに導いてくれる。
「うん! 分かった! 俺、お兄ちゃんと同じ夢を見る!」
「ふふふ、決まったな。千幸、二人で歩んで行こう!」
「うん、お兄ちゃん! 大好き! 俺、お兄ちゃんとずっと一緒!」
俺は、お兄ちゃんの唇を奪っていた。
大輪の花が口づけをする二人を照らす。
あの夏から6年、そして恋に目覚めて12年目。
夏の終わりの変わらない思い。
この思いを未来の自分に届けたい。
6年後、いや、それよりもずっとずっと先も同じように……。
変わることなくお兄ちゃんを大好きでいたい。
俺はただただそう思った。
二人の頭上に燦然と輝くこれからも変わることのない花火を浴びながら。
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