夫の遺言

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 夫が逝って丸三年になろうとする今頃になって、ふと、あの時、長男に「何も言うことはない」と言った理由に思い当たったのだ。そして長男にも私にもそれらしき言葉を何一つ遺さなかったことが、夫の一番のやさしさだったのだと気づいた。  あの時、夫が「長男なんだからみんなを頼む」などと言ったなら、息子は自分の家族に加え、私や弟妹のことも背負わねばならなくなる。夫はどこかで長男であることにしんどさを感じていて、息子に対し「長男だから」と彼を縛りつける言葉を呑み込んだのではないだろうか。そして家族仲良く暮らしているならそれでいいと……。  私もまた「両親を頼む」などと遺されたら、こんな勝手気ままな生活などしてはいられなかった。長男の嫁という重石を抱え、あの田舎で、慣れない家で間違いなく潰れていた。一月(ひとつき)に数日、夫の両親の様子を見にいくと私が自分で決め、それをただ続けているだけである。誰かに言われて始めたことではないので、やめたければやめられる。  今でも時々夫を、夫婦だった頃を思い出し、意味のない反省や後悔をする。でも、夫婦なんてお互い様、残った方だけが反省するなんて不公平だと思い直す。浄土(あっち)で夫が何を思っているかなどわかりようもないのだから、現世(こっち)はこっちで残された時間を生きるしかない。そう思って生きていく以外にできることはないのではないか。  在宅診療になってからは私は夫を新婚当時の呼び名に戻した。それは子どもの頃から慣れ親しんだ呼び名でもあった。夫のいろいろな機能が衰えていく中、そう呼べば、私も名前で呼んでもらえるかと期待したが、最期まで「おかあさん」だった。少し寂しい気もしたが長くそう呼んできたのだから今更かえられなかったか、私の名前などすっかり忘却の彼方だったのだろう。
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