夫の遺言

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*****  三年ほど前、夫は癌による痛みと闘っていた。痛み止めの薬の効果が持続せず、増量、また、増量、それによって眠っている時間が長くもなっていた。車で最速三時間半の他県に住む両親に会いに来てもらうことも会いに行くことも到底無理、残り時間にも限りがあることを感じてもいた。私は今のうちに訊ねておこうと思ったのである。 「(こう)ちゃん、おとうさんに何か言うことはない?」 「んー、ありがとう、かな」  喉の近くに転移した癌のせいで声も出にくくなっていて、言葉が聞き取りづらく時々聞き間違えてしまうことも。 「おかあさんには?」 「んー、やっぱり、ありがとう、かな」 「じゃあ、睦美(むつみ)ちゃんには?」 「んー、ありがとうしかないかな……」  夫が両親と妹に遺したのは全て「ありがとう」だった。私が無理矢理言わせたのかもしれないが、その言葉を選んだのは間違いなく夫で、三人に伝えられる一言が聞けてよかったと思った。  その数日後、同居の二男と娘がベッドの夫をのぞきこんで話かけていた時のことである。私は同じ部屋の隅で洗濯物をたたんでいた。すると、しっかりとした声で娘の名を呼び、「花嫁姿が見たかったなあ」と。続けて二男の名を呼び、「いい人を見つけて結婚しろ」と言ったのだ。少し離れていた私にもはっきり聞こえたが、その言葉は子どもたちそれぞれが父親から遺されたものだから私は黙って洗濯物をたたみ続けた。娘が夫に背を向け涙を拭っている。夫が自ら遺した言葉だった。  そして一週間後、隣県に住む長男が家族を連れ夫を見舞った。感染症の流行もあって生まれた時には会えずじまいだった、もうすぐ三ヶ月になる孫と私たちはようやく対面となったのだが、夫は目を瞑ったままで、その顔を見ることができたのかはわからない。お節介な私は長男にも何か遺してほしいと思い、夫に「何か言うことはないの?」と声をかけると、「何も言うことはない」とだけ。それが冷たくも聞こえ、疑問にも思えたのだった。
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