夫の遺言

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*****  夫は長男として育ち、家では親のいうことをよく聞くいい子だったようだ。睦美ちゃんから「反抗するのは私で、よく叱られていた。(あん)ちゃんは黙ってやり過ごしていた」と最近になって聞いたが、私の知る夫は勝手に決めてしまうことも多く、時にかっとなると大声で怒鳴り物に当たる人だった。  結婚後数年経っていただろうか、台所にいた私にかけた「紘一はやさしいでしょ」という義母(はは)の言葉に手が止まった。応えを待っている義母に「ええ、まあ」と言うのがやっとであったのを思い出す。  義母は今もやさしい子だったと思っているであろう夫を、私は三十年余、特にそんな風に思ったことはなかった。そういう私も夫に対しやさしくはなかったと振り返る。  夫の優先順位は一番が親(実家)、二番が仕事、三番に子ども達、そのあとに趣味やら友人やらを挟んで、ずっと下に私、もしかするとその順位表に私は存在しないのかもしれないとそう思うことも。結婚してから毎年、五月の連休は田植え、秋は子ども達の運動会が重なっても稲刈り優先し実家へと向かう。年末年始もお盆も例外なく私たち家族は全員夫の実家で過ごす。  離れて住んでいても長男としてやるべきことはやる。それが長男の役目、当然のことだと育てられたのだろうか。段々と歳老いていく両親を思い、夫の当たり前を普通にやっていただけなのかもしれない。だが、今となってはどう思って動いていたのかはわからない。
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