夫の遺言

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 あの朝、猫のマミが夫の最期を教えてくれた。その時、私と子どもたちは夫に向かって「紘ちゃん、ありがとう」「おとん、ありがとう」を繰り返した。五感のうち最後まであるのが聴覚なのだという。彼に聞こえていただろうか。届いただろうか。  改めて遺影に向かっての「紘ちゃん、ありがとう」である。あの朝の私の「ありがとう」は漠然としたものだった。でも、今のは違う。私に何も遺言しなかったことについての感謝の気持ちである。  夫が子どもたちに「結婚しろ」と言った。そのことは多少なりとも「私と結婚してよかった」と思っていたと考えていいのだろうか?   娘は夫の遺言に対し、それらしき行動を起こした様子などはなく、転職したこと以外、変わりない。私も「花嫁姿」は見せてはもらえそうにないようだ。「結婚」イコール「しあわせ」だとは思っていないし、親が未婚を気にして結婚させようとする時代でもない。このままかもしれないし、いつか誰かに出会って結婚ということがないとも言い切れない。だが全て彼女が決めていくことである。  二男にいたっては「いい人」を見つけ出すのは至難の業。どんないい人でも彼の勝手気ままに付き合わされてばかりではいい人でいられるわけがない。母親の私が言うのだからあながち間違ってはいないはずだ。夫の遺言がこの先実現可能なのか不可能なのかは誰にもわからないのである。
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