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ケリーはティムの大学の後輩だった。
学園祭の催し物のひとつである役員チームの劇で、ヒロインに応募してきた。
「へえ~、どんな役なの?」
「ティムの相手役なんだろ?」
「まあ・・・そうなんだけど。」
サークル仲間のウィリアムとキールに絡まれたが、うまく説明できなかった。
ケリーの初対面の印象はあまりなかった。
音楽劇だったため、最終審査は歌になる。
声楽がやれそうなくらいの実力者もいたが、ティムとのバランスのため却下。
「なかなか難しいなあ。」
6人に絞られた。
「じゃ、ひとりづつステージにあがって歌ってみて。」
最終に残るだけあってそこそこうまい。
「次、ケリーさん。」
「あっ、はいっ。」
呼ばれた子は意外と小さかったが、うさぎのように跳ねてきた。
「ぎゃっ!」
そしてステージの階段でこけた・・・。
みんなが唖然とする中、彼女は跳ね起きるとステージにあがった。」
「す、すすいません・・・。お願いします!」
いや、バイタリティあるなあ・・・・。
そこしか記憶に残っていない。
あとになって思うと、どこをみても平均点以上だったから目立たなかったのだろう。
一日だけのステージでも一生懸命やってくれそうだな。
ちょっと好感が持てた。
「いい子が見つかったみたいだね。」
ウィリアムにはなんとなく伝わったようだ。
ケリーはいつもだれよりも元気で練習熱心だった。
ティムよりひとつ年下だったが、もっと下に思えるのは
彼女に姉さんがいたからだろうか。
ケリーの姉、イリヤも役員チームだった。
もっともオーディションの前から研修に出ていて
それを知ったのはすべてが決まってしまってからだったようだ。
「姉さんにすっごくおこられた!」
「どして?」
「役員の身内が残るってなにかと目立っちゃうしね~。」
「でも実力で選ばれたんだし。」
「そうなんだけどね。」
ケリーは短い髪をかき上げて笑っていた。
「いつも心配かけてるからねっ。」
一人っ子のティムには理解できない。
「あー、それね。ぼくもわからない。」
そうだ、ウィリアムも一人っ子だったな。
「うちはアニキだからなあ・・・。」
唯一兄弟もちのキールが言う。
「まあ、大事に思われてるんだろうね。」
それならなんとなくわかる。
イリヤは秀才タイプでなにごともはっきりさせる性格だったから、
後輩のなかには怖がる子もけっこういた。
「あなた、ティムね。」
イリヤに声をかけられたときはティムもドキリとしたものだ。
「妹がお世話になってます。姉のイリヤです。」
「あ、はい。こちらこそ。」
似てませんね・・・というのはひっこめておこう。
「妹は演劇経験がないので素人ですが、しっかりご指導くださいね。」
「いえ、こちらも経験ないのでいっしょです。」
「歌は・・・好きなようですけど。」
イリヤはちょっと眉を曇らせた。
なんだろう?過去になにかあったのだろうか。
「ステージには責任もって臨むと思いますけど、なにかあったらわたくしにご相談ください。」
「とても一生懸命にやってもらってるので、大丈夫だと思います。」
そうなのだ。見習うべきはこちらなのである。
「くれぐれも。」
イリヤの目が光った。
「よろしくお願いしますね。」
「あ、はい。」
イリヤが立ち去ったあともその威圧感は消えなかった。
なるほど、こわい人だ・・・。
ケリーの無邪気さがなつかしく思えた。
イリヤが心配するまでもなく、ケリーはしっかり役目を勤めあげた。
スタッフとも仲良くなって学園祭の打ち上げではおおいに楽しんだようだ。
役員チームは無事解散となり、ティムももともとの音楽サークルの活動に戻った。
「音楽、やってるんだ。」
「うん、彼らはサークル仲間だよ。」
ウィリアムとキールはたちまち打ち解けたようだ。
「ケリーはサークル入ってないの?」
「ああ、ワンゲルやってる。」
「ワンゲル部?」
「うん、ワンダーフォーゲル。山に登るやつね。」
「へえ~、そういうサークルあるんだ。」
「まあ、あんまり人いなくて開店休業中~。」
そのせいかケリーはよくティムたちと一緒にいるようになった。
ボランティアで施設のこどもたちを慰問するときなど、よくついてきた。
でも、なぜか歌うことはしなかった。
「ケリー、歌ってみたいと思わない?」
「うまいんだからやってみたらいいのに。」
なにげなく話を振ってみたことはある。
「ん-。」
いつも答えは同じ。
「いやー、やめとくね。」
そしてさみしそうに言うのだ。
「ありがとね。」
時が過ぎ、ティムは大学院へ進んだ。
それ以外はなにも変わらなかったが、ケリーの姉イリヤは卒業していった。
家業を継ぐのだそうだ。
「妹のこと、よろしくお願いね。」
卒業祝いの花を届けにいったとき、イリヤはまたしてもそう言った。
なにをそんなに心配しているのだろうか。
「大切な妹なの。」
ティムの疑念に気づいたのか、イリヤは言葉を継いだ。
その時だけはあの厳しい感じはなかった。
なるほど、これが兄弟愛なのだな、とティムは思った。
「ケリーは卒業したらどうするの?」
「んー、普通に就職するかな。」
「特に決めてないんだ。」
「うん、家には帰りたくない。」
どうして?とは聞かなかった。
あの、イリヤの厳しいまなざしを思い出すと、
聞いてはいけないような気がした。
大学院になると研究に追われることが多くなり、
あまり一緒に過ごすことがなくなってきた。
ティムはイリヤの言葉を思うと後ろめたい気になったが、
ケリーは気にも留めていなかった。
少なくともその時はそう見えたのだ。
やがてケリーも卒業を控え、就職活動に忙しくなっていった。
それでもケリーの誕生日にはウィリアムとキールも一緒に集まった。
「来年集まれるかどうかわからないしね。」
キールの提案だった。
「プレゼント、何にするかな。」
「ティム、曲を作ってあげたらどうかな?」
「あ、それいい。記念になるし。」
「えー、そんなのでいいの?」
「大丈夫。きっと喜ぶと思うよ。」
ウィリアムの勧めでティムは短い曲を書いた。
ケリーのイメージから、弾むような明るいメロディーを作った。
「えっ、オリジナル曲?うわー、うれしいなー。ティム、ありがとう~。」
ケリーは大はしゃぎだ。
イヤホンを耳に押し当て、ケリーは何度も曲を聴いた。
「メロディ自体は簡単だから、すぐ覚えちゃうよね。」
「うん~、シンプルだけどすっきりしててきれいな曲ね。」
でも、ケリーは歌おうとはしなかった。
ティムにはなんとなく想像がついていた。
だから詞はつけなかったのだ。
はじけるような笑顔のケリーを見たのはそれが最後になった。
活動のかいあって、ケリーの就職は比較的はやめに決まった。
会社勤めをするケリーはとても想像できなかったが、
ティムたちはひとまず安心することができた。
「今度は就職祝いかなー。」
「でも忙しそうだよねえ。スケジュールとれるだろうか。」
それぞれが忙しくなり、すれ違いの時間がどんどん増えていく。
そんなある日、ティムに転機が訪れた。
かねてから興味のあった海外の大学から留学の誘いを受けたのだ。
「えー、すごいじゃん。」
「いや、自分でも想定外だし・・・。」
一番驚いているのはティム自身なのだ。
「今年の研究会の資料が評価されたんじゃないの。」
「そうかもねえ。」
「どうするの?受けるの?」
「うん、ぜひ行きたい。」
急な展開ではあったが、これはまたとないチャンスである。
受諾しない選択肢はなかった。
ティムはその日のうちに申し出をうける旨の回答をした。
まだ見ぬ研究のチャンスに胸が躍るのを抑えきれない。
あわただしく手続きを進め、ようやく落ち着いてからケリーに連絡をとった。
「留学?なんで?そんなの聞いてない。」
「急に申し入れがあってさ。」
「もう決まったの?」
「うん、もう返事したから決定。」
「そう・・・。わかった。」
そのまま電話が切れた。
数日後、今度はケリーから連絡があった。
「ごめんね。」
普段とあまりかわらない。
「いや、あまりに急なことなので自分でも驚いたくらいだから。」
「もうあんまり時間ないんだよね。」
「そうだね。準備とかもあるし、忙しくなる。」
「手続きとかあるの?」
「行くまでになんどか打合せとかしなくちゃいけない。」
「そっか・・・。」
小さなため息が聞こえた。
「また会ってくれる?」
「時間がとれれば。なるべく合わせるようにするよ。」
「ありがと。」
だが、ケリー自身にも時間の余裕がなくなっていた。
ティムのほうから誘ってもすれ違いのまま時間だけが過ぎていく。
再びケリーから連絡があったときには、出発を数か月後に控えていた。
「ティム、山に行ってみない?」
「いいけど、日にちは?」
ケリーが提案した日はどれも空いていなかった。
「どこもだめなの?こことかお休みの日だよ。」
「うーん、ごめん。そこは留学先とテレビ会議があってどうしても外せないんだよ。」
「どうして?まだ在学期間あるでしょ。こっちの学生なのに。」
「そのまま引き継ぐんだよ。向こうで研究続けられるから。」
「なに?それってなんでそういうことになるの?」
「ケリー?どうしたの。なんで怒ってる?」
「怒るわよ。なにも知らないうちになんでも決まってるんだもの!」
「だから急に話が来たって。」
「知ってたら・・・。」
ケリーの声が変わった。
「知ってたら、仕事決めなかった・・・。」
ティムにはケリーのいうことが理解できない。
「そんな遠くにいくなら、就職しなかった。ずるいよ・・・ティム。」
最後は涙声のまま、電話が切れた。
ティムは呆然として受話器を握りしめていた。
なにか悪いことしたかな。
イリヤのまなざしが脳裏にうかんだ。
いまここにいたら彼女は何というだろうか。
そのイリヤから電話があったのは、ケリーが登山を予定していた日の翌日だった。
「ケリーが・・・遭難したの。」
「えっ!」
「ひとりで山へ行ったのね。あなたと行くはずだったのだろうけど。」
幸い生命に支障はないものの、ケリーの意識は戻らない。
「病院は?どこに?すぐ行きます。」
「大丈夫。来なくていいわ。」
イリヤの声は冷たかった。
「意識さえ戻れば問題ないから。」
それでも場所は教えてくれた。
呆然とするティムにキールとウィリアムは言葉のかけようがなかった。
どうしてもっと話をしなかったんだろう。
ティムの頭の中で同じことがぐるぐる回り続ける。
「ティム、自分を責めちゃだめだ。」
ウィリアムはずっとそばについてティムを励ましてくれた。
もちろんキールも一緒である。
「ティム、ぼくに提案がある。」
「なに?聞かせて。」
「メロディービーイングを届けよう。」
顔をみあわせたウィリアムとティムに、キールは説明した。
歌は書かない。
歌詞はケリーがめざめたら書いてほしい。
「どう?」
「そうだね・・・。」
言葉では伝えられないことも伝わるかもしれない。
「ティム、やってみよう。」
ウィリアムの言葉にティムもうなずいた。
三人はすぐに曲の制作にとりかかった。
シンプルで聞きやすい、それでいて記憶に残るような曲を。
何度も調整を繰り返し、メモリーカードに曲を収録した。
「これはぼくたちが届けてくる。お姉さん、あってくれないかもだから。」
「ああ、そうだね。お願いするよ。」
二人はメモリーカードをイリヤに託してくれた。
はじめのうちは拒否していたイリヤも、ケリーの目覚めを望む気持から、
毎日曲を聞かせ続けることを約束してくれたそうだ。
ケリー、君にこの曲が届くだろうか。
みんなの想いが伝わるだろうか。
君が目覚めるのをだれもが待っている。
どうか、どうか、この祈りを彼女へ届けて。
二週間後、イリヤから連絡があった。
「ケリーが目を開けました。」
「意識が戻ったんですか?」
「そう、ね。」
あまり歯切れのいい答えではない。
ケリーはようやく目をあけた。
だが、ケリーの記憶は失われ、言葉を発するのも容易ではなかった。
「そうですか・・・。」
「でも、このほうがよかったのかもしれない。」
「えっ?」
ティムにはイリヤの言葉が意外だった。
「明日、よかったら病院に来て。」
「いいんですか?」
「ええ、会ってもだれかわからないかもしれないけど。最後に合わせてあげたい。」
「わかりました。」
あれほど拒絶していたイリヤがケリーとあうことを認めてくれた。
病室のイリヤにはいつもの厳しさはなかった。
「ケリー・・・。」
声をかけてはみたが、ケリーにはティムがだれかわからなかった。
それでも。
君に届けたかったんだ。
イリヤがあの曲をかけてくれた。
「いつか、歌詞を書いてね。」
理解できなくてもいい。
歌詞を書いてくれることを待ってるよ。
「あ・・・、り、がと、う。」
ケリーはたどたどしく言葉を発した。
笑顔になれなくても、うまく言葉がだせなくても
ティムがだれかわからなくても
ケリーはたしかにそれを受け取った。
妹を見守るイリヤがそっと涙をぬぐっていた。
旅立ったティムを見送ってキールとウィリアムは帰路についていた。
「ねえ、キール。」
「ん、なに?」
「メロディービーイングってなんなの?」
「ウィリアムってそれ知らないでハミングつけてたの?」
「知るわけないでしょ~。」
「メロディービーイングはね、ぼくの造語だ。」
「ナニソレ。」
「でもね、ちゃんとそれは存在するんだよ。」
「聞いたことないんだけど。」
「ことだまってあるでしょ。あれの音版。」
「音の、たましい?」
「うむ。そんなかんじのやつ。」
「ああ、なんとなくわかるな。」
言葉にできない想いでも届ける方法はたしかにあった。
機内でティムのイヤフォンから流れ出る音は、いままさにケリーの病室でも流れていたのだから。
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