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祖母の遺言
祖母が危篤だと連絡が来たのは、午前の打ち合わせが終わったときだった。すぐさま上司に許可を取り電車に飛び乗った。祖母が入院している病院はここから一時間半ほどの距離だ。どうかそれまで持ちこたえてほしい、と、三島梓は電車に揺られながら祈った。
病院に到着し、祖母の病室に入ると、母がベッドの脇に座っていた。
「お母さん! おばあちゃんは?」
「今は少し安定してるみたい。でも、今日がヤマだろうって先生が。お母さん、一郎さんとこに電話してくるから、おばあちゃんのそばにいてあげて」
一郎さんとは母のいとこで、祖母の弟の息子だ。祖父、すなわち祖母の夫も、祖母の弟夫婦もすでに亡くなっているので、祖母側の親族というと、一郎さんのところくらいなのだろう。
母が去ると、「梓?」と祖母のか細い声がして、梓は慌ててベッドに駆け寄る。
「おばあちゃん、起きたの? 大丈夫? お医者さん呼ぼうか?」
「大丈夫。それより梓にお願いがあるの」
祖母は力なく顔を動かし、梓の瞳を捉えた。弱っている身体とは正反対に、その瞳の奥には力強さが感じられ、梓の心は揺れた。
「何? 私にできることなら……」
「手紙を……。私が死んだら、手紙を一緒に焼いてほしいの」
「“死んだら”なんてそんなこと言わないでよ」
梓はぎゅっと祖母の手を握った。死期を悟った祖母の最後の願いだとわかっていても、おばあちゃん子だった梓としては、おいそれと受け入れることはできなかった。
「和室にある棚の一番下の引き出し。そこに『千寿や』の缶があるの。その中に入っているから。お願いよ、絶対に」
今夜が峠だと言われていることを考えれば、こうして話すことさえ苦しくないわけがないのに、それを越えても懇願する祖母の切実な様子に、梓は「わかった」と涙をこらえ頷いた。祖母は心の底から安堵したような笑みを浮かべ、それからゆっくり、再び眠りに就いた。そして翌日、息を引き取った。
三日間の忌引き休暇をとった梓は、通夜や葬儀の準備に忙しなく動き回る母に許可を取り、祖母の家に向かった。
「千寿やの缶……あった、これか」
梓は目当ての物を見つけると、そっと取り出し畳の上に置く。祖母の秘密に触れるようで、ドキドキしながらふたを取ると、そこには、裏返された縦長の封筒が入っていた。
「大橋……実」
差出人に心当たりはない。たしか祖父の名前は「昭三」だったはず。そこでふっと、梓の緊張の糸がほどけた。代わりに、唇がほころんだ。
(おばあちゃんの結婚前の想い人とか? おじいちゃん以外の人からのラブレターを一緒に入れてほしいなんて。おじいちゃんは天国で憤慨しそうだけど、孫として……ううん、女としてはこのくらいの秘密、応援したくなっちゃうな)
祖母が生きた時代を考えれば、自由恋愛ができていたかもわからない。祖母は女学校に通っていたと聞いたことがあるし、そこそこの家だっただろう。梓は笑みを浮かべ、祖母の女学生時代に思いを馳せた。人には様々な事情がある。祖母は祖母である前に、“小林”もとい旧姓・“山本”和子という一人の女性なのだ。
軽くなった心で、梓は何の気なしに封筒を手にし、表の宛名を見た。そして眉を顰める。
「小松、恵麻様……?」
そこに書かれていたのは、祖母の名前ではなかった。
つまりこれは、大橋実という人が、小松恵麻という人にあてた手紙。なぜ祖母がこれを?
ふと缶に視線を戻すと、もう一通、封筒があることに気づいた。
「危ない、危ない。こっちもかな」
もう一通は、差出人に祖母の名前。そして宛名は小松恵麻。
二通の手紙を手にしばし考えるも、梓に真相がわかるわけがない。ひとまずこれが誰なのか、母なら知っているかもしれないと、梓は立ち上がり、実家へと戻った。
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