きみとまたランチを。

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きみとまたランチを。

届けなくっちゃ。 これは絶対にとどけなくっちゃ。 リュックの中には小さな白い箱。 淡いピンク色のリボンがかけてある。 僕は自転車をただひたすら漕いで、この小箱を届ける相手のことを考えていた。 * どうしてこうなったんだろう。 大学3年になって初のゼミの飲み会。 普段交流会に参加しないような女子が珍しく出席していてちょっと驚いた。たぶんゼミの担当教授がこれまた珍しく出席するからだったと思うのだけど。自分もそんなに積極的には出席しないから、人のことはいえないか。 そんな飲み会で。隣の席に座ったのが青崎さんだった。 同い年だけれど落ち着いて見えるし、眼鏡の反射で表情がわかりづらくて、本音をいうのなら少し苦手な女子だった。 まあ僕だって飲み会はあまり得意ではなく。 ──賑やかなノリについていくのもついていくフリをするのも。 中央か隅っこかという二択になった席決めで、隅っこのほうに流れてくるのはおそらく同類の証拠で。 「安住くん、ここ座っていい?」 青崎さんが隅っこに陣取った僕の隣にやってきたのは当然の流れだった。 * なんというか……リスのようにご飯を食べる人だな、と思った。 あと、あまり人に関心がない人だな、とも。 テーブルには他のメンバーもいるのだけれど、ほぼ誰とも目線を合わせない。 会話は頷くくらい。聞いてはいるのだろうが。 僕はちびちびとビールを飲んでいた。 弱くないけれど、これがなくなったら何か喋らないといけない気がして。 青崎さんをちらりとみると、同じようにちびちびとビールを口にしていた。顔色も変えずに。どうやら弱くはないようで。 「唐揚げ、お待たせしました!」 サラダのあとにテーブルに届いた唐揚げを机の中央に置き、僕は一応声をかけた。 「唐揚げ、好き? レモンかけなくていい?」 「ん」 一言だけ返事のようなただの相づちのような言葉を発すると、青崎さんは大皿に盛られた唐揚げを1つ、取り皿へ移した。 どうやらレモンはかけない派らしい。 僕もレモンはかけなくてもいいし、いや、こういう飲み会にくるまで唐揚げにレモンをかけることなんて知らなかったくらいで。 「唐揚げはあったかいうちにさっさと食べればだいたいおいしい」 青崎さんの至極まっとうな言葉に思わず頷いてしまった。 「だから、安住くんもささっと食べなよ。人のこと聞かなくて大丈夫だよ」 あ、一応気にしてくれたんだ。新鮮。 青崎さんはもぐもぐと唐揚げを頬張る。ほっぺたいっぱいにお肉を詰め込んでいる姿がなんだろう、なんだか。 「リス」 「え?」 「いや、リスみたい……じゃなくて、アリスさん、青崎さんってアリスって名前だったよね。どんな漢字だったかなと思って」 「有言実行の有と来栖さんとかの栖。説明しづらいから検索しといて」 それきり青崎さんは黙って、また唐揚げ。そしてビールなどを口にし始めた。 そ、そこから話がはずむものじゃないのかあああ。 青崎さんの様子に頭を抱えたくなったけれど、まあ教えてくれただけいいか。 僕はもそもそと唐揚げをつまんだ。 あったかいうちに食べよう。冷めた揚げ物は苦手だ。女子だって。冷めた子はこっちの心臓に悪いからいやだ。 そのとき、青崎さんが口を開いた。 唐揚げをもうひとつ、取り皿に乗せながら。 「安住くんは。アキラくん、でしょ? どんな漢字なの?」 * にへっと笑うところ。 ほっぺのえくぼ。 かと思うとそっけない態度。 いろいろな表情。 リス。 有栖さん。漢字はちゃんと調べた。 僕はその日から青崎さんを目で追うようになった。 ゼミは一緒だし、他の講義も同じような感じで受講しているから、基本的に行動が似てくる。 そんな、ついで、みたいなふうを装っていろいろな場面で一緒になるようにタイミングを合わせてみたりした。 「安住くん、また会ったね」 ふわりと笑う様子が可愛らしくて僕は首だけを動かすお猿さんの人形のようにこくこくと頷いていた。 ときどきは、空き時間にコーヒーを一緒に飲んだり、ランチに行ったり。距離が近くなってきた──ような気がし始めたころ。 気がついてしまった。 彼女の視線の先に、同じゼミの先輩の姿があることを。 * 兵藤先輩は、背が高くて細身で。でも毎日シャツにジーンズの、お洒落とは無縁の男子。そこは僕も同じ。眼鏡をかけてる。それも僕と同じ。でも青崎さんの視線の先には兵藤先輩がいて、僕はいない。 じゃあ兵藤先輩と僕の違いは何なのか。 年齢? 顔立ち? ひとつやふたつの年の差なんてどうでもいいし、顔立ちだっていわゆるアイドルみたいな顔ではないにしても目鼻立ちは似たようなモノだ。 どうして僕は兵藤先輩じゃないんだろう。 * 幸いなことに青崎さんと兵藤先輩はつきあっているわけではなかった。つきあっているという噂をきいたことはなかった。 はっきり青崎さんに聞けばよかったんだけど、どうしてそんなこと聞くの? と問い返されたら、今のこのもやもやしている気持ちごと告白しなくてはならなくなってしまう。 そうこうしているうちに、4年生は卒業の季節を迎え、青崎さんの視線の先に兵藤先輩はいなくなった。みるものがそばになくなったのだから、なんとなく彼女の視界に入っていれば僕をみてくれるのではないか、という安易な打算もあって、僕は彼女をコーヒーに誘ったり大学図書館で隣に座ったりしていた。 僕たちも就職活動やゼミに忙しくなり、あっというまに卒論提出の時期になった。就職活動では名前の知らなかった会社になんとかひっかかり内定をもらっていた。青崎さんも、ときどきリクルートスーツに青い顔でゼミ室に入ってくることもあったけれど、内定をもらっていると聞いた。 もうすぐ離れてしまう。 冬が深まるころ、そんな気持ちが強くなって。 僕は彼女を誘ってランチを食べた。 相変わらずリスみたいに食べる姿が可愛かった。 「安住くん、よく誘ってくれるんだよね。ゼミの人たちとあんまり仲良くしてないから唯一といってもいいくらい」 「え、っと。迷惑、してなかった?」 兵藤先輩に見られているかもしれない、って。 むしろ見せてやりたい、って。 僕は思いながら誘い続けてきたから。 これはきっと、やっぱり迷惑だったかも。 「ぜんぜん。嬉しかったよ」 ふわりと笑う顔が、好きだ。 こんなふうに笑う顔が、僕のものならいいのに。 「あの、さ。兵藤先輩って」 「え?」 「兵藤先輩って、いたでしょ? 仲良くしてた?」 「え?」 しまった。さっきふわっと笑ってくれた彼女の顔が、一瞬でさっと曇った。 「ごめ、忘れて」 「いいよ、別に。兵藤先輩って優しかったんだよね。私の妹の、家庭教師だったの。家が近くって」 「え」 「もう疎遠になっちゃったけどね」 * 彼女に内緒にしていたことがあった。 むしろ謝らなくてはいけないことだった。 兵藤先輩が落とした物を僕は拾ったことがあった。 それは小さな箱。 淡いピンクのリボンのかかった小箱。 僕はその小箱の入ったギフトバッグを拾ったのだ。 兵藤先輩を見ている青崎さんを見ていたら、ついつい兵藤先輩単体でも見つけてしまうことが増えていた。 構内でコーヒーを飲んでいる姿を見かけたら、近くにいって座ったり。 おおよそストーカーのような真似をしていたわけで。 ──それだけでも僕は青崎さんに謝りたい気持ちがぐわっと湧いてくるんだけど。 ある日。 兵藤先輩が席を立ったときに席に残されていたギフトバッグ。 それを拾った、と表現していいのかどうか悩むところだけど。 でも実際に僕はそれを見つけて手にした。 中を見たらさすがに特別な物であると思ったから、すぐに兵藤先輩を追いかけて渡そうとした。 でも。 「それ、要らないから捨てて」 そんなことを言われて受け取ってもらえなかったのだ。 「要らないって?」 「その言葉通り。もう要らないから」 それだけ僕に言うと踵をかえしてさっと歩き出してしまった。 僕は驚いて、でももう追いかけなかった。 ただ、捨ててと言われても捨てられもしなかった。 そのギフトバッグと中の小箱は、僕の家にある。 ずっとずうっと、僕はそれを青崎さんに内緒にしてきた。 * 「妹、さん?」 「そ。2つ下。この大学は受からなかったから、別の大学にいってるけど。成績はいまいちだったのよね、顔は私の10倍キレイ」 最後に舌をちらりとだして、青崎さんは笑った。 「まあ、成績がいまいちだったから兵藤先輩が家庭教師のバイトにきてくれたんだけどね。人生って何がどうつながるか、わかんないものよね」 しみじみと呟き、青崎さんは大きなため息をついた。 「妹がね、私のこと疑って。私が兵藤先輩を好きなんじゃないかって当たり散らしてきて。そんなわけないのにさ。兵藤先輩は私のことなんて見てないし。私だって妹のことが心配で兵藤先輩の様子をうかがってただけだし」 「妹さんと、兵藤先輩って……」 「両思い、だったとおもう。私から見たら本当にお似合いで。なんせ私の100倍キレイだから」 「……さっきより倍数増えてるよ」 「あ、気づいた? だってさ、ほんとにキレイで。本当にお似合いだったんだよ……。指輪を先輩が用意してたの私知ってるんだ。サイズ聞かれたりして。でも私に相談してるって知った妹が先輩に当たり散らしちゃって。結局指輪はもらえずじまいで。でも多分、まだ。妹のほうはまだ、先輩を好きで──」 遠いところを見るようなまなざしで、青崎さんは話してくれた。 もしかしてあの小箱は。 僕は心臓がきゅうっとつかまれて、鼓動がはやくなるのを感じた。 * わからないよ。 わからないけど。 もしも、そうで。 もしかして、あれがそれ、なら。 いやきっと、もしかして、なんかじゃない。 きっと絶対にそうだ。 その指輪は絶対に──。 僕は家に帰ってあのギフトバッグをだした。 捨てるなんてできなかった。 この小箱。 淡いピンク色のリボン。 優しい色が、この小箱のすべて。 渡したかった人への気持ちがあふれている。 「青崎さん、兵藤先輩の家しってる? 連絡先だけでも」 「知ってる、けど。どうしたの」 「どうしても届けたい物があるんだ」 青崎さんに連絡をして、無理を言って兵藤先輩の情報を受け取る。 個人情報とか、知ったことじゃない。 だって、これは。 この小箱は兵藤先輩のもので。 青崎さんの妹さんに渡すはずだったもので。 ──僕が持っていてはいけないんだ。 そう思ったらもう止まらなかった。 届けなくちゃいけない。 正しい持ち主の元へちゃんと届けなくちゃいけない。 僕は自転車を漕いだ。 青崎さんの家も兵藤先輩の家も、僕が自転車で走れば届けられる距離。 届けたい。 届けたい、これを。 この小箱を──この指輪を。 願わくば、まだ。 2人の気持ちが変わっていないといいのだけれど。 変わっていないと信じる。 青崎さんの観察力を信じる。 ああそうだ。 青崎さんは僕がこの指輪を持っていたと知ったらどう思うだろうか。 あきれた顔をするだろうか。 また一緒にランチにいってくれるだろうか。 リスみたいにほっぺたを膨らませた姿を、また見せてくれるだろうか。 そうだ。 どうしてそんなに青崎さんを気になっているのか。 自分でちゃんと答えをださなければいけない。 そして、僕もこの気持ちを青崎さんに届けたい。 自転車を漕ぎながら、考える。 届けたい人のこと。 届けたい気持ちのことを。
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