天国からの届け物

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   週に一度だけ、水曜日の夜に、死んだ母から届け物がくる。  それは温かい、優しい味の、今となっては懐かしい母の料理で、私や弟が学校から帰ってきたら、食卓に当たり前のように並んでいるのである。  私と弟と、そして父は、水曜日の夜だけ、かつて母が元気に存在していたころを懐かしみながら、まるでままごとのように、家族四人での食事を楽しむのだ。私たち姉弟は、いつもは家ですれ違っても目さえも合わせない父と、水曜日の夜だけは、かつての関係を取り戻すのである。いや、繰り返す、といった方が正しいか。  毎週水曜日に、母の料理が届けられるようになる前、私と弟と父は酷い状態だった。母は私たち家族を支える土台で、私たち家族を繋ぎ止める綱だった。  その母が交通事故で急に、本当に嘘みたいに突然、私たちの前から永遠に姿を消してしまったのだ。  割と仲良し家族だと自他共に認めてきた私たち家族は、母という支柱を亡くし、見る影もなく空中分解してばらばらになった。反抗期真っ盛りの私、マイペースな弟、気難しくて仕事一筋な父、一人一人別の方向に行こうとする私たちを繋ぎ止めて、一人一人手を結んで、家族という形を維持していたのは、その実、母だったのだ。  私や弟は、母が健在だったころから、どこかで父を軽蔑していたし、嫌っていた。厳しくて仕事人間の父。帰りは夜遅くて、休日さえも仕事に行くか自室に篭るのみだった父。私や弟、母の誕生日でさえもきちんと覚えていない父。愛情を感じたことはなかった。  それでも、家族四人で食卓を囲むときは、うまく家族でいられていたと思う。寡黙だが、父が会話に参加することも少なくはなかった。父が私の話で笑ったら、やっぱり少し、嬉しくて。どこかで軽蔑していても、嫌っていても、私はちゃんと父のことが好きだった。私たちは母さえいれば、ちゃんと家族だった。  私、弟、父の三人は、全員、間違えなくこの家族の構成員の一人であるのに、その三人だけが集まっても、まるで家族の形にはならなかった。家族を構成するうえで母が埋めていた欠片は、私たち一人一人の溝を埋める欠片だったのだ。  そんなことに、母を失ってからやっと気がついた私たちは、しかし、家族を取り戻すためにどうすることもできなかった。どこか無気力になっていた。  「我が家」という名の、空中分解した落ち着かない空間のなか、やがて私と弟は傷を舐め合うように距離を深めていった。お互いを、母の代わりにしようとしていた。私たち姉弟は、暇があれば父のことを悪く言うことで、お互い親しくなった気でいた。お互いの心を守るために、いわゆる共通の悪者を創り上げることで、寂しさを紛らわせていた。  そして、ゆっくりと私たち三人の形は固まっていった。すなわち、二つに分かれた。私たち姉弟と、父である。  そんなときである。一見固まったようでいて、恐ろしく歪な形に収まりつつあった私たち「家族」のもとに、母からの届け物がやってくるようになったのは。  初めて食卓に並んだ「母からの届け物」を見たとき、私と弟は当然、困惑した。母が亡くなってからインスタント食品や惣菜ばかりを口にしていた私たちにとって、食卓に並ぶ色鮮やかで温かそうなご飯は、この上なく魅力的に見えたが、それと同じくらい、恐ろしかった。だって、死者からの届け物なんて、そんなことがあるのだろうか。もし、母の名を騙る誰かからの「届け物」だったら、そんなの気味が悪い。  なかなか食卓につけずにいた私と弟を尻目に、なぜか早めに帰宅していた父は、すんなりと食事の前に腰を落ち着けた。  そして箸を取り、流れるように口に食事を運んだのだ。  呆然とする私と弟には目をやらず、父はぽつりと呟くようにして言った。 「お前たちも、食べなさい。昨日、母さんが夢に出てきて、言ったんだ。これは天国からの届け物だ、と」  なぜか、父がそう言うなら大丈夫だろう、と思ってしまった。今思えば、スピリチュアルなことは信じそうにもない人なのに。  私と弟は目と目を合わせると、やがて食卓につき、おずおずと食べ物を口に運んだ。私が初めに手をつけたのは、多分、唐揚げだった。  口に含んだ。サクッとした感触。じゅわと滲み出る肉汁、ちょっと甘い。ずっと当たり前だった味。懐かしくなってしまった味。  瞬間、私の脳みそはあるはずのない幻を映し出した。私の席の斜め前、母の定位置だった席。そこに座って、私たちの顔を見て嬉しそうに笑う。あの日まで、当たり前だった母の姿。 「……おかあさん」  間違えようがない。生まれてから毎日食べてきた、母の料理だった。  堪らなく美味しくて、もう二度と巡り会えないと思っていたこの味を感じられて嬉しくて、でも、この味を懐かしく思ってしまうことが、どうにも切なくて。  気がついたら、ほんのり甘くて優しい味だった唐揚げは、塩っぱくなっていた。  どうやら弟も同じ気持ちだったらしい。久しぶりの家族での食事は、鼻を啜る音が響く、なんとも湿っぽいものになった。  それ以来、母の料理が、毎週水曜日に届けられるようになった。私と弟と父は、その料理を囲む夜だけ、いつかのような家族に戻れるのだ。
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