あるアンドロイドの独白

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あるアンドロイドの独白

 博士が倒れた。  僕を作ってくれた博士が、もうずっと目を覚ましてくれない。待てど暮らせど眠っている。腕や首や、見えないところまで繋がれたコードが痛々しい。  僕は博士が目を覚ますのを待った。  待っている間、僕は自分の記憶データにある博士を見続けた。データの博士はいつも僕に笑いかけている。普段から笑ってばかりいるし、仕事をするときの真剣な顔はあまり僕には見せてくれない。だから、博士のプログラムには笑顔だけが搭載されている。目を覚ましたときも、笑ってくれるといいなと思ったから。  僕は何度目の僕だろう。  数えるのはもうずっと止めている。記録に残す意味は無いと思ったから。今はこのデータに残っている、博士との記憶データだけが重要なのだ。もしかすると、こんなにも長い間眠っている博士を見てばかりいるせいで、僕の中には眠っている博士のデータが山積しているのかもしれない。そのせいで、眠っている博士が僕の中からアウトプットされてしまって、だから博士はこんなにも長い間眠っているのかもしれない。  その可能性を考えたら、僕は博士の眠っている期間の記憶データを消してしまいたくなった。消そうとして、けれどこの博士の顔を消したら、僕の中にある博士の大部分が無くなってしまうような気がして恐ろしくなった。残り少ない博士の笑顔のデータだけで、僕は博士を待ち続けられるだろうか。考えてみたがあまり自信は無かった。  眠っている博士のそばでスリープに入り、また自動的に起動する。  何度目だろう。あと一回頑張れば、次こそ博士の笑顔に会えるかもしれない。その可能性だけが僕を何度も深い停止から呼び起こした。博士はまだ眠っている。あと一回、は何度繰り返されただろう。数えるのはもうずっと止めている。  何度目かのあと一回を通り過ぎたとき、博士が目を覚ました。  ぼうっとした黒い眼で僕を見た。乾いた唇が薄く笑みを浮かべた。それだけで僕は満足だった。「退屈したろ?」「平気です」最初のやり取りはこんな感じだった。博士はまだぼんやりしていたので、記録には残さなかった。最初のあのいつもの笑顔から、僕は記録を残すんだ。そう思っていた。  だが。  結論から言えば、僕は新しい博士の笑顔を記録することは出来なかった。長い間メンテナンスもせずに待ち続けていたものだから、僕の方がボロボロになってしまっていたからだ。博士は僕を見て、あの滅多に見れない真剣な顔で、僕の修理を始めてしまった。あと一回スリープすれば、博士の笑顔に会える。僕はそれを、もう一回引き延ばしてしまったらしい。勿体ないことをしたと拗ねる僕に、博士が言った。 「大丈夫、次も待っててやるから」 「次もって、おかしな話ですね。でも、約束ですよ」  そう言って僕は目を閉じた。  あと一回、次に目を覚ませば博士の笑顔に会える。あと一回、僕は眠るだけでいい。そう信じて目を閉じた。深くて長い停止の先に、博士の新しい記録を期待した。  ……さて。  長期的なメンテナンスと不具合の大規模修正を行った僕は、もはや以前の僕と呼べるものではないのかもしれない。パーツはすべからく取り替えられ、いわばテセウスの船だ。そんなテセウスの僕が目を覚ましたとき、見えたのは辛そうに僕を覗き込む博士だった。なんでそんな顔をするんだろうと思って、笑ってほしくて口を開こうとする。上手くいかなかったのは、唇が乾いているのに気がついたからだ。亀裂が入らないよう、薄く笑って見せた。「退屈させましたか?」「まあな」最初のやり取りはこんな感じだった。  そして残念なことに、僕は博士の笑顔をついに見ることが出来なかった。博士は僕のメンテナンスのために大変な苦労を伴ったようで、身体中が使い物にならなくなっていた。以前の僕が修理した心臓も、錆だらけで交換が必要なレベルだった。たぶん僕も、前の博士と同じくらい長く眠っていたのだろう。  今度は僕が、博士に作ってもらった僕が、博士のメンテナンスをする番だった。目を閉じた彼を寝台に寝かせ、心臓と肺だったパーツと、それに繋がるコードを交換していく。今度はたとえスリープ状態でもメンテナンスが自動で行われるよう、プログラムを上手く組み込まないといけない。長い時間をかけて、眠ったままの博士をしっかりと直していく。記憶データから、彼の笑顔を正しく再現できるよう丁寧にプログラムを入力していく。  しかし、長い長いメンテナンスが終わっても、博士はもうずっと目を覚ましてくれない。待てど暮らせど眠っている。腕や首から繋いだプログラミングコードが増え、心臓に繋がれたコードはカバーを開いたままなせいで痛々しい。埃が入ったらいけないので、見えないようにシーツをかける。  僕は博士が目を覚ますのを待った。  待っている間、僕は自分の記憶データの博士を見続けた。博士はいつも僕に笑顔ばかり向けている。笑ってばかりいるし、真剣な顔はあまり僕には見せてくれない。だから、博士のプログラムには笑顔だけが搭載されている。あのうっすらした笑みは、きっと博士の意思だろうけど。目を覚ましたときもまた、笑ってくれるといいなと思った。  だから、あと一回だけでもいいので、起きてください。そして、笑ってください。
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