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環が不機嫌だ。
「これ、ネタに使えない? 俺も気が進まないけどさ」
「さすがに幽霊はな。第一、配信しても見えないんじゃキャッチーじゃないし、視聴者に届けようがない。お前があそこに幽霊がいるって言うだけじゃ、動画としてつまらないだろ」
環はBatrazという名義で怪異系のVtuberをしていて、主にこの神津市内で発生する怪奇現象の検証動画を時々配信している。
俺も手伝うことはあるけど、実のところオカルト配信というのは難しいものらしい。なにせだいたいは悪いことが起きているからこそのオカルトなのだ。それを安易に配信してしまえば風評被害を生む。だから環はいつも、二次被害、つまり嫌な噂がたったり第三者が興味本位で見に来たりしないように解決してから配信する。
そして当然ながら、そんな機会はあまりない。例えば幽霊が出ていた家は、幽霊が出なくなったとしても『幽霊が出た』というレッテルになってしまうから。だから幽霊関係は配信には向かない。
だから結局、今もログに残っているのは幽霊廃墟の実態と名を打って、廃墟トンネル実況で、物理的に倒壊の危険を指摘して近寄らないように啓蒙する動画とかだ。それなりに需要はあるらしい。
それで何故こんな話になっているかと言うと、俺は幽霊が見える。環は見えないけれど、呪文とか色々知っていて、幽霊をなんとかすることはできる。だから俺は可哀想な幽霊、つまり俺にとって怖くない幽霊がいたら環に相談することにしている。だって可哀想だからさ。それに俺は環に変なものを見つけたら知らせろといわれてるから、何かあれば知らせることにしている。それでちょうど、可哀想な幽霊の件を解決したところだ。
「環、そんな怒んないで。なんかおごるからさ」
「お前に怒ってるんじゃない。あの幽霊がああなった原因について怒ってるんだよ」
俺が見つけた幽霊がかわいそうなことになっていたのは、他の何かが原因になっているらしい。俺たちが住んでいるこの神津という場所は変な因縁とか因果の意図が複雑に絡まっているらしくて、環はそれを解決しようとしているそうだ。環が言うことは、たいていよくわからない。
「ま、気にしても仕方がないな。次はきっと良いことが在るだろ」
そう呟いて、環は柏手を打った。きっと機嫌が治ったのだとホッとした。
環は基本的にとても前向きだ。嫌な気分を滞留させると嫌なものを呼びやすい。それは俺もそう思う。だからいつもなるべく悪いことは考えないようにしてる。
そんな感じで市内を駅に向かっていたところ、環は突然びくっと身じろぎして、突然振り返る。そこにはなにもない。けれども環は慌てて目を細めた。
「環? どうした」
「まさか……智樹、ちょっとじっとしてろ」
「え、何何」
そう思っていたら、何かがふわっと脛にぶつかったから慌てて飛び退く。姿は見えない。
「何? なんだ、いまの。何かいる?」
そう思っていると環がスマホを取り出して動画モードを起動した。ついでにボイスチェンジャーを起動し、画面には環がアバターで使ってる炎の姿が現れた。
「こんばんは。Batrazの不定期配信にようこそ。今回も皆様に怪奇現象をお届けします! 頂いた投げ銭は、超常現象の検証にありがたく使わせて頂きます」
突然の展開に困惑する。
「えっいきなり配信? 俺写っちゃうと困るんだけど」
「お前はこれ持ってろ。今回は珍しく権利関係とか考えずにそのまま使えるネタだ!」
唐突に投げられたスマホを慌てて構える。俺が撮影する側なら確かに俺は映らない。けど、配信にはいつも入念に打ち合わせを行った上で行う。
だからこんな風に緊急に動画を記録することは基本的にない。さっきの幽霊も一応録画してはいたけど、それはあくまで記録用だ。だから環はよっぽど気になるものがあったんだと思う。
それがさっき膝にぶつかったもの、なのか?
「Batraz. 俺は何を撮ればいいんだ?」
「そうだな、まだ見えない。もう一度ぶつかってきたら見えるようにする」
「だからそれは何なのさ」
「ひょっとしたら……すねこすり。これを捕まえられたらすごいぞ。動物ネタはウケるからな!」
珍しく環が興奮している。
「えっと、それは何?」
「知らないのか? まさか」
環が驚いたように俺を見た。界隈では一般常識なのか?
そうして環は真面目な声を出し始めた。配信用のよそ行きだ。
「すねこすりというのは昭和10年発刊の現行全国妖怪辞典初出の妖怪でな。岡山の小田郡にいる奴だ」
「ここは神白県神津市だよ」
「俺はすねこすりですごく気になっていることがある」
配信モードで、すでに俺の話は聞いていなさそうだ。
「現行全国妖怪辞典では『犬の形をして雨のふる晩に通行人の股間をこすって通る』ってかいてあるんだ」
専門的すぎて、俺には既に何を言っているのかよくわからない。けれども界隈の受信者にはわかるのだろうか。
思い返せばさっき股の下を何か通っていった。犬? 犬かな。そういや環は犬が好きなんだよな。
「でもな、世界の大家のM先生がすねこすりを猫で描いたから、今の常識だとすねこすりは猫なんだよ。俺はそれがどうしても確認したい」
「え? だって見えないんだろ?」
それじゃ幽霊と一緒じゃんか、と思う。
「見えなくても『犬の形をした』と名言してるんだから、わかる何かがあるんだよ」
そうしてやはり、環は俺のいうことをすでにあまり聞いていなかった。
犬と言われればそうかもしれない。確かにさっきの膝にあたったサイズを考えれば、中型犬くらいはありそうだ。
「ともかく俺は捕まえる。犬の好きそうなものって肉だよな」
環は懐から3センチほどの謎の塊を取り出した。白っぽいそれは肉なんだろうか。てんぱった環はその様相と相まって、とても怪しげだ。思わず距離を取る。改めて俺から見る環の姿はそれだけでちょっとおかしかった。環はサブカルライターをしているのであまり気にしないのか、今日も長髪に黒いロングジレをなびかせた一見怪しげな格好をしている。でも結局モニタ越しには炎のアバターなので、実際の見た目の怪しさは反映されないのだろうなと頭のすみで呟いていると、何かが俺の膝の外側を触れ、環の方に動いた。
「環、そっちに何かいったかもしれない。見えないけど」
「視聴者のみなさん。これからすねこすりの真の姿をお届けします! 果たして犬なのか! 猫なのか!」
環のジレが不自然にたなびいた瞬間、環はいくつかの小石を周囲にばらまいた。あれは環がなにかの魔法とか呪文とかを使う時にばらまく石だ。それが何なのかは俺にはさっぱりわからない。
そして風も吹かないのにジレが複雑にもごもごと動き、それを追って環が透明な何かを捕まえる。
それを撫で回す環の動きはまるでパントマイムみたいだ。心底周囲に人がいなくてよかったと思う。不審者にしかみえない。
「それ、結局何なのさ?」
「耳が尖ってるからどっちかっていうと犬っぽい気がする」
「でもカラカルなら耳尖ってるし大きいよ」
カラカルというのはアフリカあたりにいるシュッとした猫で、この間NHLスペシャルに出ていた。
「……透明なカラカルだと俺は食い殺されてるぞ」
そういえばあれは肉食のはずだ……。暴れようとしているようなマイムに見えるけど、環に襲いかかりそうな様子はない。そんな具合。
「うーん。じゃあ見えるようにするからちゃんと録画しろよ。みなさん、今日、すねこすりと思われるものを捕獲しました。これから可視化します」
なんだかUMAみたいだなと思っていると、環は懐から出した札をその何かにペタペタと貼り付ける。札が空中に浮いているようにみえるから、これだけでも超常現象動画だと思っていると、突然札がじわりと溶けるように薄くなり、その存在が空気からにじみ出るように姿を表し始めた。
大きさは犬っぽい。それで……そこまで見て、俺はスマホを取り落として一目散に逃げた。
角を回ってそっと来た道を覗き込めば、ソレは既に逃げたようで、環が一人道の真ん中でぶったおれていた。まだ指が震えている。
なんだあれは。あれは確かに妖怪というか宇宙人というか怪獣というか、この世のものとは思えない悍ましい何かだった。あんなものに触るなんて正気を疑う。
慎重に周りにアレがいないのを確かめて戻れば、環は呆然と空を眺めていた。
「夢が壊れた……」
「うん……。途中までしか撮れてないけど、これどうしよう」
路面に転がったスマホを拾って録画を終了する。見直す気には到底なれない。
「あんなもの、流せるわけがない。お蔵入りだ。はぁ」
手を伸ばして環を助けおこす。なんだかぐったりと力なく、一緒に石を拾って回収する。
「今日はろくでもないな。おい、ケーキおごれ」
「わかったわかった」
「あ、でもここは岡山じゃないし雨もふってないな」
「そうだね」
「だからひょっとしたら、あれはすねこすりじゃないかもしれない」
「そうならいいね」
「ああ。まだ夢がある」
やっぱり環は前向きだ。
けれどもアレがこのへんに徘徊してるなら、それはそれなりに恐ろしいものだと思う。普段は見えなくてよかった。
Fin
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