未来への手紙

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手の平に収まるほどの小さな箱。テーブルの上でその箱を開ける。 15年越しに母から送られてきたものは一体何なのだろうか? それなりに興味はあった。 本来なら、もっと驚き興味津々に箱を開けるべきなんだろうけど。 私の興味は“それなり”だった。 荷物の差出人を見て母の名前だと認識はしたが実感は伴っていなかった。 私は父も母も幼い頃に死別している。 父は事故死、その数年後に母は病死したと聞いている。 それを言うと、人はやたら可哀想なものを見るような目をしてくれるのだが、実のところ私は何とも思っていない。 幼かった私には当時の記憶が無い。 だから、彼らのことはただの情報としてしか頭に入っていないのだ。 だから、15年越しの母からの贈り物を見ても、興味は“それなり”だった。 つくづく自分は情の薄い人間だと実感する。 それを「親が居ないから仕方ないね」、「児童養護施設の出身だから仕方ないね」と言う人もいる。 そうだろうか? 施設には色んな境遇の子がいて、それぞれ感情表現は豊かなものだった。 私は……特に何にも興味を示さず、何も欲しがらず、空気のように過ごしていた。 物心ついた頃から施設にいた為か、自分の境遇について何も思わなかった。 ただただ、“そういうもの”としか思っていなかった。 全身に痣を作って部屋の隅で怯えている子や、親を恋しがって泣いている子の方がよっぽど辛そうで気の毒に思えた。 けれど、その子たちは自身の抱える辛さと向き合って、必死に生きていた。 私は、それを見ているだけだった。 きっと、私の情の薄さは生まれ持ってのものなんだろう。 でも、それは悪いことでも不幸なことでもない。 人生を楽に過ごす為の便利な性能だと思っている。
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