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Dos Mensajeros 〜二人のメッセンジャー〜
聖暦1580年代中頃。エルドラニア王国・王都マジョリアーナ……。
その一角に建つ瀟洒な貴族の屋敷の一室に、短い金髪のくるくる巻き毛をした若々しい顔立ちの青年──白金の羊角騎士団の伝令官アイタ・イーデスはそわそわと落ち着かない様子で立っていた。
〝走る〟という伝令官の役目柄、白の袖なしチュニックの上に古代イスカンドリア帝国風の胸当てを着け、白のキュロットを履くと腰にはショートソードだけを装備するという軽装ではあるものの、マント代わりに巻いた白のスカーフには、一つ眼から放射状に降り注ぐ光──〝神の眼差し〟を、左右から羊の巻き角が挟むという羊角騎士団の紋章が染め抜かれている。
その紋章は彼が正式に羊角騎士団の一員であること示してはいるが、アイタはつい数ヶ月前まで騎士でもなければ兵士でもなく、エルドラニアの片田舎の村出身の、手紙や小包を運ぶメッセンジャーであった。
なので、こんな立派な貴族のお屋敷などにはまるで縁がなく、まだまだ騎士として経験不足の彼は、場違い感を半端なく感じているのである。
白金の羊角騎士団──それは本来、このエウロパ世界の宗教的権威であるプロェシア教を、異教や異端から護るために組織された護教の宗教騎士団であったが、長い歳月とともに本来の意義は薄れ、近年は王侯貴族の子弟が箔付けをするためだけの、有名無実の名誉団体と化しているのが実情であった。
そんな騎士団に転機が訪れたのは、遥か海の彼方に発見された新たな大陸〝新天地〟をエルドラニアが領土となし、また、神聖イスカンドリア帝国皇帝をも兼ねる若き王・カルロマグノ一世が即位したことによる。
銀や砂糖など〝新天地〟からもたらされる莫大な富は、今やエルドラニアを支える経済の根幹となっているが、順風満帆に思えたこの経済システムにも一つの弱点があった……それは、新天地と本国を結ぶ航路で暴れ回り、エルドラニアの輸送船から掠奪の限りを尽くす海賊達の存在だ。
さらにはそこに目をつけ、アングラントやフランクルなどのエルドラニアと敵対する国々においては、私掠免状(※海賊行為してもいいよ! という国公認の許可証)を海賊に与え、むしろその蛮行を奨励して経済的打撃を与えようとしてくる始末である。
そこで、国王カルロマグノの思いついたのが、王直属の羊角騎士団を強力な精鋭部隊に再編成し、この海賊討伐の任に当てようという策であった。
王はまず最初に中流貴族の出ながらも魔法剣〝フラガラッハ〟を以て武功を立てるドン・ハーソン・デ・テッサリオを帝国最高位の騎士〝聖騎士〟に叙し、歴代、上流貴族が占めていた羊角騎士団の団長にも大抜擢。彼に騎士団の抜本的改革を託した。
するとその期待にドン・ハーソンもよく応え、無能な貴族の師弟を団から廃すると、王国内はもちろん、イスカンドリア帝国領内ばかりか国外へも旅し、それに代わる有能な人材を身分問わず広く集めたのである。
アイタ・イーデスも、そうしてその人並み外れた超人的俊足を買われ、やはりハーソンにスカウトされた新たな団員の一人であった。
そして現在、他の団員ともども王都にある本部へと集合し、いよいよ新天地へ向かうための新型戦闘艦の完成を待つ傍ら、武芸や操船技術の訓練に明け暮れていたのであるが、そんなアイタに急な伝令官としての任務が言い渡された。
「──よくぞ来てくれた。伝令官殿。アイタ君と申したかな?」
「は、はい。アイタ・イーデスです……あ、あのう……おいらに届けてほしい手紙というのは……」
高級材を使った執務用机の向こう側、同じく高価そうな椅子から立ち上がり、歓迎の意を伝えてくる屋敷の主、ドン・マサリオ・デ・ヒグラシアに、アイタはガチガチに緊張しながらもおそるおそる本題を切り出した。
「うむ……この密書をルパーナ県のアルセナ城にいるフィリシカ・デ・ミネルバーナ夫人のもとへ届けてほしい。もちろん内密にだ。たとえ旦那のミネルバーナ卿であってもフィリシカ夫人本人以外にはけして見せてはならん。どこに敵対勢力が潜んでいるかわからんからな」
アイタの問いに、色白で高身長の引き締まったガタイをしたその若き貴族は、机の引き出しより一通の封書を取り出して彼へと差し出す。
密書なので当然のことながら、赤い蝋に指輪の紋章を押し、その開封口は硬く封印が施されている。
「て、敵対勢力……団長の言ってた通りっすね……」
その封書を受け取ったアイタは、任務を命じれる際、団長ハーソンの語っていたことを思い出す──。
「──本来、貴族の厄介事に我らが手を貸してやる義理などないのだが、ドン・マサリオは宰相スシロウテス枢軸卿の側近でな。さすがに無碍にもできん。それに有力貴族なら恩を売っといて損はないだろう。なにせ、俺は騎士団の改革を巡って名家の方々からお覚えよろしくないんでな」
金髪碧眼の絵に描いたような美青年団長は、苦々しげに眉根を寄せながら愚痴るようにそう言っていた。
枢軸卿とは、プロフェシア教会の最高位・預言皇に準ずる高位の聖職者である。
本来はプロフェシア教会の総本山サント・ケファーロ大聖堂で神と預言皇に仕えるのが彼らの役割であるが、その権威と学識を背景に各国の王権において執政を司る者も少なくはない?
シメハス・デ・スシロウテスも、そんな枢軸卿の一人だった。さらに彼の場合、エルドラニアにおける聖職者の頂点・ドレッド大司教でもあり、また、カルロマグノが王位に就くまでは、その母フアンナ女王の摂政を務めていたという経歴を持つ。
無能なお坊ちゃま達をクビにしたハーソンは王侯貴族の多くから恨みを買っており、そんな宰相の側近のご機嫌をとっておくのは、貴族対策として少なからず有益と考えたのだ。
「とはいえ、貴族どもの権力闘争が関わってる可能性もある。巻き込まれるのは御免こうむりたいから深入りはするな。ただし、できればでいいが、どんな内容の密書であったか探りも入れてくれ。やつら貴族の勢力図を知っておいて損はないからな──」
加えてハーソンはそう忠告をすると、その忠告に相反するような、なんとも難しい匙加減の注文までアイタにつけてくれた。
「ルパーナ県はエルドラニアでも辺境の地。遠い所、申し訳ないがよろしく頼む」
そんなハーソンの思惑を知ってか知らずか、ドン・マサリオはいたく真剣な表情をしてアイタに頼み込む。
「つまり、その貴族の奥さまに手紙を届ければイイっすね? 了解っす! もともと、おいらはそんな仕事してましたし、任せてくださいっす!」
まあ、ハーソンからの難題はともかくとして、久方ぶりに自身の足を活かせるもってこいの任務だ。彼は眼をキラキラと輝かせると、溌剌とした声でドン・マサリオに返事をした。
「失礼するっす……よーし! 羊角騎士としての初仕事、頑張るっすよ〜!」
ドン・マサリオにお辞儀をし、彼の執務室を後にしたアイタは、いくつもの美術品で飾られた華麗なる廊下を意気揚々とした足取りで玄関へと向かう。
「…………」
だが、初仕事に舞い上がるアイタはまるで気づいていなかった……そんな彼の様子を、東方製の大きな陶磁器の壺の影に身を潜め、密かに覗う一人のメイドがそこにいたことを──。
一方、その頃、同様に王都マジョリアーナに居を構えるまた別の貴族、ドン・ヤンウーノ・デ・イシドラーノの豪壮な邸宅へとアドラ・ティは赴いていた……。
長い黒髪に切れ長の眼、褐色の肌をした筋肉質の細身に白い袖なしのチュニックと古代イスカンドリア風の胸甲を着け、プリーツ入りのミニスカートを履くと羊角騎士団の紋章入りスカーフを首に巻いたその女性……なにやらアイタと似た姿をした彼女もまた、白金の羊角騎士団に属する伝令官であり、アイタともどもその脚力をハーソンに見出された一人だ。
ただし、アドラは同じ羊角騎士団でも新天地の市中警護や都市防衛などを担う〝陸戦隊〟という別働隊に配属される予定となっている。
「──ほう、かの羊角騎士団の伝令官どのが、かように美しいご婦人だったとはの」
黒髪のおかっぱ頭にすっかり日焼けした肌……豪華な応接間で対面した、いかにもなラテン系のダンディな中年貴族は、アドラの美貌を舐め回すかのようにじっくりと眺めながら少々驚いた様子でそう口を開く。
銀糸の刺繍を施したスリット入りプー・ル・ポワン(※上着)にシルクのキュロット(※カボチャパンツ)という貴族らしい服装をしてはいるが、なぜかキュロットの下にはタイツを着けず、裸足で革靴を履くという独特なセンスの持ち主でもあるようだ。
「女だからって、足に関しちゃあ、そんじゃそこらの男には負けないよ? 手紙を届ける任務だって隊長に言われてきたけど、その手紙ってのはなんだい?」
彼の言葉に気分を害したのか? アドラは貴族相手にも物怖じすることはなく、侮蔑するような視線とともにタメ口でそんな言葉をドン・ヤンウーノに返す。
「ああ、いや、すまん。別に実力を疑っているわけではない。気を悪くしたのならば謝ろう。なに、ただそなたの美しさに面食らってしまってな……さて、届けてほしいのはこの密書だ」
すると、意外にもその貴族は素直に謝罪をし、彼女の容姿を褒め称えながら一通の封書をアドラの方へと差し出した。アドラにはまるで通じていないが、女性の扱いにはずいぶんと慣れた御仁の様子だ。
「届け先はルパーナ県のアルセナ城。宛先はそこに住まうフィリシカ・デ・ミネルバーナ夫人だ。これは極めてハイレベルな政治的問題が絡んでいるゆえ、くれぐれも内密に頼む。夫人の従者や親族であっても例外なくだ」
ドン・ヤンウーノは続けて、なんだかどこかで聞いたことあるような依頼内容を、その赤い蝋で封印された書簡に深刻な面持ちで付け加える。
そう……じつはこのドン・ヤンウーノもまた、ミネルバーナ夫人へ密書を届けてもらうよう、羊角騎士団に協力を求めてきた人物なのである。
アイタ同様、アドラも陸戦隊の隊長ドン・エラクルス・マイケネスを通じて、そんな任務を団長ハーソンから命じられていたのだ。
しかし、ドン・ヤンウーノはドン・マサリオとは真逆に、スシロウテス枢軸卿の権勢をよしとしない反宰相派に属する大物貴族である。
なにやら権力闘争の臭いがプンプンとするが、そうした敵対する二つの派閥双方に恩を売るとは、さすが実力だけで聖騎士にまで登りつめた団長ハーソン、なかなかに抜け目がない。
「内密にねえ……何かい? やっぱりその宰相派とのいざこざ絡みかい?」
封書を受け取ると、匙加減に悩むアイタとは異なり、アドラは遠慮もなくずけずと直接的な物言いで探りを入れてみる。
彼女もやはり隊長エラクルスから、それとなく探りを入れるよう指示を受けていたのだ。まあ、あくまでそれとなくであったが……。
「頼んでおいてなんとも都合の良い話ではあるが、この件への詮索は無用に願おう。先程も申したが、これには極めて繊細な問題が絡んでおるのでな」
だが、さすがにヤンウーノは険しい表情を作ると、言葉遣いは柔らかくも口は硬く、分をわきまえぬ彼女に釘を刺してくる。女好きな軟派男ではあっても、そこはやはり大物貴族であるようだ。
「そうかい……ま、依頼主の事情をあれこれ探らないのが運び屋ってもんだからねえ。任しときな。あたいがきっちりその密書とやらを届けてやるよ」
これ以上突いても無理そうなので、アドラはあっさり追求を諦め、そう言ってドン・ヤンウーノに親指を立ててみせる。
「おお、それは頼もしい。これにはわしの命運もかかっておる。ぜひともよろしく頼むぞ」
「ああ。大船に乗ったつもりで任せときな」
その言葉にパッと顔色を明るくするヤンウーノに見送られ、アドラは軽く片手を揚げて返事をしながら、豪勢な応接室を後にする。
「さあーてと……明日は遠出だからしっかり食べとかなきゃね。マジョリアーナにいいジビエの店とかあったかねえ……」
そして、大きく毛伸びをするとともに今日の夕飯のことを考えつつ、長い廊下を玄関の方へと歩いてゆくのだったが、彼女もアイタ同様、その存在には気づいていなかった。
「…………」
十字に交差する廊下の曲がり角。その影に身を隠し、去り行くアイタの背中に鋭い視線を向けるメイドがいたことを──。
(Dos Mensajeros 〜二人のメッセンジャー〜 続く)
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