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「どうしよう、出来ない」
「いや、ボタン押すだけだろ早くしろよ」
パソコンの前で悩み始めて早二時間。
唸り続けている同居人へのツッコミは超速で僕の口からあふれ出た。
あまりにも大きなそれは、独り言のつもりだったらしく僕の方に抗議の視線が突き刺さる。
「何だよ」
「そんな簡単なもんじゃないんだ……!」
あまりにも深刻そうな顔をして彼は言う。
だが、こいつが今日していた事は一つしかない。
休みなので朝からずーっと好きな投稿主の動画や配信を見ていただけだった。
「どうせ推しへの感想だろ」
「そうだよ、どうせとか言うな」
「お前は読書感想文も昔から得意だったんだし、文章自体は書けてるんだろ」
「ああ、もちろんだ。渾身の思いを形にはしてある」
「僕はそういう文章は書けないから、すごいよ」
「当然だ。推しは見ているだけで感情が溢れ出て来る。それを言葉にするだけだ」
フッ、とドヤ顔と共に眼鏡をくいっと上げてきたので若干苛立ちが沸きあがる。
何を真面目に相手しているのか。
まだ決め顔と何気に手を額に当ててポーズ迄取っている男にやるべきことを告げる。
「じゃあ、送るだけだろ」
「送るだけとか言うな……! 緊張で手が震えるんだぞ?」
「言っとくけど、僕が見てた限りちょいちょい全身震えてたからな。手だけじゃない」
「そ、そうか。緊張のあまり世界が揺れ始めたのかと思ってた」
「お前中心に世界は回ってんのかよ」
「そんなわけあるか! 推しを中心に回ってるに決まってるだろ!?」
「いや、それも違うから。ちょっと落ち着きなよ」
「これがおちゅちゅ……ッ」
勢いよく口の中を噛んだらしく一瞬で涙目になり口を押えて身悶える。
はぁ、とため息をつきながらもつい相手をしてしまう。
「ほら、一回深呼吸して」
「すー……、はー……よし! これが落ち着いていられるか!」
「そこからやり直すんだ」
「え、あ、うん。ダメ?」
「駄目ではないけど。落ち着いてられない理由は何?」
興奮させないよに落ち着いて聞いてみる。
目を泳がせながら、不安そうに相手は絞り出した。
「推しが俺の文章を読むかもしれないと思うと気が気じゃなくて」
「まだ送ってないのに?」
「送ったら読むかもしれない可能性が出て来るだろ」
「可能性って……読んで貰えないぐらい感想が届いてるのか」
「読んで貰えないことはない! ……はずだ。推しはちゃんと全部ちゃんと目を通してくれると思ってる! あと読み上げ配信みたいなのもある!」
「ふうん、そうなんだ。えっ? でも今可能性って……」
「忙しいときは読めなかったり、見落としたりするかもしれないだろ!」
「全部ちゃんと目を通してくれる推しの見落とす可能性にかけるなよ送るんだから」
真正面から投げかける正論に、一瞬動きが止まった。
気持ちはわからなくもない。
好きで好きでずっと見てるアイドルだとかそういうのと同じだろう。
「それはそう、だし。わかってるん、だけど……」
「じゃあ、なんで送信できないんだよ」
「重かったらどうしよう、って思うんだ」
「そんなに長文書いたの?」
こくり、と頷くと心なしか顔が青くなっていくような気がした。
好きをしたためた文章を嫌がる人間はそういない、と僕は思う。
「どんなもんの文字数?」
「に、二万文字……」
「力作だな。ちょっと読むのに時間がかかるかもしれないけどきっと喜んで」
「動画一本につき」
「ん? 今なんて?」
「動画一本で、二万文字なんだ」
感想文としてはあまり聞き慣れない文字数に気が遠くなりそうになる。
遠い昔に僕が学校で苦しめられた原稿用紙でさえ400字のはずだ。
「……お前の推し、確か毎日投稿してるよな?」
「はい。一時期お休みしてたけど、しばらくして今本調子だし」
「配信は別でやってるし、長時間もお手の物だしなんなら最長時間を超過した結果配信外もやってるぐらいだって言ってたよ、な?」
「配信は十万文字」
「……なんだって?」
「配信の感想は、十万文字」
「それってどのくらい?」
「同人誌にしたら自立するレベル」
「ごめんちょっと専門用語過ぎて、お前が何を言ってるのかわからない」
「薄めの文庫本一冊分ぐらい」
相手の後ろにある本棚にある文庫本の中で薄いものを思わず見た。
ゆっくりとしか読めない僕は、あれを読み終わるまでに一日かかる。
あれを、相手に送るというのか。
「流石に、それは重いかもしれない」
「だろ……? だから送れないなって」
「つーかいつ書いてるんだそれ……」
「投稿された日に大まかな感想を書いて、翌日新作が上がる前に見直しながら増やして。それから時々見返しては書き足して推敲している」
「それは……本当に力作だな」
色々とツッコミたい事はあったけど音にするのはやめた。
これ以上話がややこしくなっても困ると思ったからだ。
「……だから、どうしようかなって」
「えーっと『面白くて好きです』とかじゃダメなのか?」
「短くない?」
「そりゃ、お前の感想文と比べればそうだろうけども……誰も彼もがそんなにかけるわけじゃないし、感想いらないーって明言してるわけじゃないなら喜ぶんじゃないか。反応あるほどいいんだろ、そういうのって」
「感想を、気軽に送ってくれって言ってたから送ろうと思ったんだ」
「三万文字と十万文字を」
「ああ。削りに削って送ろうと思って直してたんだけど、あれもこれも伝えたいってなっちゃって、読み返してたら動画見たくなって……」
「あ、それで動画見てたのか今日」
「そうだよ! もうわけわかんなくなっちゃって。活動大変そうだし、こんなに長い文は読んでもらうのも悪いしな」
ため息をつきながら画面にまた向き直る。
沢山書いた分全部受け止めてほしいのもあるんだろうな、と思う。
でも相手の活動を想えば、それは時間を奪う行為だからしないのもあるんだろう。
「だったら、それこそ『好きです』とか『面白いです』で良いと思うよ」
「そうかな」
「元の感想は削れないけど、気持ちは届いて欲しいんだろ?」
「……うん」
「どれだけ思ってても、好きでも何にも送らないんじゃ、相手にとってはゼロだからさ」
「そう、か。そうだよな! よし! 送ってみる!」
不安と緊張が入り混じっていた表情が和らいだ気がした。
誰だって、好きな人には嫌われたくない。
会える人だろうが、画面の向こうだろうがそれは変わらないはずだ。
カタカタとキーボードを軽く叩いて、動きが止まる。
好きです、みたいな言葉は打ち終わってるんだろう。
しばらくそのまま静止していたが、震える指先でエンターキーをターンと力強く押した。
「お、送った……!」
「よし、えらい。がんばった」
「あ、ああ……届くかな」
「届くよ、ちゃんと読んでくれるんだろ?」
「うん。そうだよな」
ふーっと深く息を吐き出して、彼は机に突っ伏した。
「すっごい緊張した」
「人に届ける言葉は、なんだって難しいよ」
「……ありがとな」
そしてしばらく突っ伏してから、僕の方を見た。
「何?」
「……感想文さ」
「三万と十万?」
「そう、誰にも読んで貰えなくても良いって思ってたんだけど」
「付き合わないぞ僕は!」
「とかいって、ちゃんと読んでくれるのがお前なんだよなぁ」
相手がにこにこしながら立ち上がると、目の前にノートパソコンの画面が迫ってくる。
「あのさ、推しを人に押し付けたらいけないんだよ!?」
「分かってるよ。でもこれだけの行き場のないパッションは受け止めてくれよ」
「やだよ長い! それこそ推しに送りなよ!」
「それは出来ない。受け止めてくれよ、行き場がなくてここに住ませてくれた時みたいにさ」
「あ、あれは上の階が火事でびしょ濡れになったの大変だなって思っただけで、一緒にするなよ!」
「まあまあ、試しに読んでみてくれよ。面白いんだよ俺の推し」
「見てない動画とかネタバレは嫌だからやだって!」
「あ、ほんと? じゃあ一緒に見ようか」
咄嗟に頭を働かせて、言い訳を考えて口にしたが、逆効果でしかなかった。
それ以外に良い避け方も思いつかないし、押しては居ないが面白いと思っているから部屋で流れているのもずっと許容し続けていたのも断る理由を減らしていた。
「そういうことじゃ……ちょっとは僕の時間も気を遣ってくれよ!」
「でも、やることなくて暇だから俺の相手してくれたんだろ?」
「悩んでたから声かけただけで、暇だったのは……事実だけど今からやることが」
「昨日のうちにやることは済ませたから後はゆっくりするだけ、ってお前が夕飯の時言ってたんだぜ?」
「くっ。や、やめろ、僕を巻き込むな……!!」
僕の叫びは相手の耳を通り抜けるように届かず、その日は推し活に付き合わされるのであった。
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