あと一メートル掘れば見つかったはずの宝について

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『あと一メートル掘れば見つかったはずの宝』というものがこの世界には必ずある。『あと一回スコップを振り下ろせば見つかったはずの宝』と言い換えてもいい。  この世界には多くのトレジャーハンターたちがおり、その多くは目的の宝を見つけられずに諦めた経験を持つ。  そして彼らや彼女らは諦める前に何度もこう思ったに違いない。 「あと一メートル掘れば宝が見つかるかもしれない」、と。  そうした葛藤と実行を繰り返し、ようやくトレジャーハンターたちは宝を見つけることを諦め、またそこに宝はないと断定し、帰りの飛行機や船の中で思うのだ。「やっぱりあと一メートル、あと一メートル掘ってさえいれば」と。  そのようにして見つからなかった宝は世界中におそらくいくつもある。そこにあって、じっと我々に見つけられるのを待っているのだ。いまこの瞬間にも。    ※ 「あと一回、これが最後だから! お願い!」  アパートのリビングで額を床に擦り付けながら、俺は初めてできた彼女に別れ話を持ちかけられたときに最後に一度だけセックスさせて欲しいと頼み込んだことを思い出していた。  顔を上げると妻の香織は変わらず鬼の形相をしたままだった。 「いい加減にして、宝を持ち帰って来たこともないのに、トレジャーハンターが聞いて呆れる」 「宝のありかは見当がついてるんだよ。あとは掘るだけ。掘るだけなんだ」 「前のときもその前のときもそう言ってたでしょう」 「これで最後にする。本当だから」  珍しく真剣なまなざしで妻を見つめる俺の気持ちが伝わったのか、少し香織から考えるような素振りを感じた。  もう一押しだ。俺が心の中でにやりと笑っていると、香織はテーブルに乗っていた一枚の紙を俺に差し出した。 「これは?」 「香織の小学校の宿題の作文。テーマは『わたしのお父さんについて』、読んでみて」  香織はそれだけ言い残すとリビングを出ていった。  残された俺は小学二年生になる娘の咲紗が書いたという作文に目を通した。 そこには俺に似ず丁寧な字でこのようなことが書かれていた。  曰く、お父さんは自称トレジャーハンターである。普段はスズメバチの駆除業者として働いている。  スズメバチが活動する春から夏にかけてお父さんは忙しくしているけど、仕事がなくなる秋から冬にかけ、家でごろごろしているか、ふと思い立ったように外国に宝探しに行く。  お金がかかるし宝を見つけたことがないので、お母さんは宝探しなんてやめて欲しいと思っている。私もお父さんが家にいないと寂しいので、できればやめて欲しい。 それでも行くのならせめてたくさんの宝を見つけてほしい……。  咲紗の作文を読んで俺は泣いた。  妻と娘にたくさんの苦労と心配をかけている自分を恥じた。そしていつまでも目当てのものを見つけられない自分自身が情けなかった。  ただ、それでも、それでも男としてやらなければならないことがあるのだ。香織もいつか分かってくれるだろう――。  俺は自分の情けなさに涙をこぼしながら、これで最後と決めたトレジャーハントに向けた準備を進めた。    ※  国吉は小学生時代から付き合いのある骨董品収集家である。  確か父親は市議会議員で国吉の弟も秘書として活動しながら次期議員として期待されているというが、口下手な国吉はそっちの活動はまるで期待されておらず、中古の家とそこそこの金だけ渡されて放任されているらしい。 といっても、国吉も俺と同じ三十代半ばであり、親からすれば放任というより「早く自立しろこのどら息子が」としか感じてはないだろうが。 「また行くのか」  安居酒屋のカウンターに隣りあって座った国石は言った。俺が国吉を飲みに誘うのは決まってトレジャーハントへの出国前日の夜だった。国吉には海外で見つけた骨董品を高値で買い取ってもらったことが何度かあった。 「ああ、明日の今ごろはパラオ諸島だ。レアな骨董品の類があればまた持って帰ってきてやるからな」 「そんなもの期待してない。それよりいいのか、出発前の最後の晩に妻子を置いて出てきて。今回も一週間くらいは滞在するんだろう」 「いいんだよ、誰も俺が宝を持ち帰るなんて思ってない」 「そうじゃなくて、たった一人の夫であり父親だろう? お前、真田さんを泣かせたらただじゃおかないぞ」  真田というのは妻の旧姓だ。  俺と国吉と真田は小学六年生のときに同じクラスで、国吉は卒業式の日に真田にフラれている。まあ、クラスの女子全員に告白して全員からフラれているから恋愛感情があったか怪しいものではあるが。  それに津田という女子を含めた四人で、小学生時代はよく遊んだものだった。国吉が卒業式の日に四人の関係性を台無しにするまでは。 「もういい加減地に足つけて生きろよ。お前が探してるものは、今お前が手にしている幸せより価値のあるものなのか?」  いきなり説教臭いことを言われて、気が動転した俺はなにも言い返せなかった。  言い返せないのが悔しくて、思ってもないことを言った。 「なんだよ。お前、俺に妻子がいて幸せに暮らしてるからって嫉妬してんのか。自分が独身で趣味もくだらない骨董品集めくらいしかないからって――」  途中まで言ったところで、俺は国吉のヘロヘロなパンチを受けてみっともなく店に転がった。 「いつまでも子供みたいなことしてねーで、ちょっとは大人になれよ」  三十六にもなって人をぶん殴る奴に言われたくない。そんな目で国吉をじっと睨んでいると、国吉は鼻を鳴らして店を出て行ってしまった。  残された俺も居酒屋から追い出され、一人家路についた。  俺は国吉の言うように、本当に満たされているのだろうか。考えてみるけど、はっきりと答えは分からなかった。  ただ、ずっと、得体のしれない焦燥感のようなものが胸の中にわだかまっていることは知っていた。  あと一メートル掘れば見つかる宝は今も俺を待っているのだろうか。  さながらそれはセミが長い期間を地中で過ごして羽化するように。  分かっていることは、それが羽化できるか否かは俺にかかっているということだ。俺がその一メートルを掘れるかどうかに。 「ただいまー」  家に帰ると、電気がすべて消えていた。  時計を見ると時刻はまだ午後十時過ぎだった。嫌な予感がした。咲紗が寝ているならまだしも、香織はまだ寝るような時間じゃない。  リビングの電気をつける。胸のどこかで覚悟していた通り、そこには一枚の書き置きが残されていた。 『ごめんなさい、一度実家に戻ります』  それは飛行機がフィリピンへ飛ぶ十四時間前のことだった。    ※  成田空港からフィリピンまでは約五時間のフライトだ。そこから飛行機を乗り換えてさらにパラオ諸島まで飛ぶ。  パラオ諸島にはキャプテン・キッドが残した財宝が眠っているという知る人ぞ知る伝説があり、多くのトレジャーハンターたちが財宝を探しに来ては発見に至らず帰っていったらしい。  スコップやライトといった道具は事前に送っているので、俺は三日分の着替えと髭剃りなどの日用品だけ持って飛行機に乗り込んだ。  行くべきではない、頭では分かっていたが、あと一メートル掘れば見つかるはずの宝のことを考えると家でじっとしていることはできなかった。 「ハイ、ハヤト。久しぶり」 「ハイ、サントス。今回もよろしく」 「大丈夫? 顔色良くないよ」 「大丈夫大丈夫、ちょっと乗り物酔い」  パラオの空港で現地語の通訳兼ドライバー兼荷物持ち兼穴掘り要員のサントスと合流すると、俺たちは早速拠点となる安ホテルへと向かった。 「ハヤト、家族元気?」  サントスは早速核心をついてくる。俺がむにゃむにゃと言葉を濁していると、なにかを察したのかサントスは話題を変えた。 「ハヤト、まだ『あと一メートルの宝』のこと考えてる?」 「まあ、よく考えるよ」 「その考えは呪いよ。ハヤト呪われてる。もう来るのやめた方がいい」  いつもへらへらしてチップをねだってくる癖にたまに真面目な顔をして怖いことを言う。 「大丈夫。これが最後の一回にするから」 「皆同じこという。ただ、どうせまた最後の一メートル掘りに戻ってくる」  笑おうとしたが俺は笑えず、妙な顔をしていると目的地に着いた。  ホテルで荷物を整理している間、何度かメッセンジャーのアプリを開いたが香織からのメッセージは入っていなかった。  俺はこのまま捨てられてしまうのだろうか。心配な気持ちを抱えたまま俺は眠り、翌日、サントスと合流すると発掘場所に向かった。  ジャングルの中を蛇などの野生生物やゲリラに注意しながら進む。奥地の洞窟まで約一時間、サントスと俺は無言で歩を進めた。  洞窟を見つけると、ヘッドライトで周囲を照らしながら道なき道を進む。  サントスは俺から数メートル後ろを「あんまり急ぐと危ないよ」とか言いながらついてきている。  すぐに、俺は見覚えのある場所へたどり着いた。  そこは去年パラオにやってきたときに目星をつけておいた場所で、安全上の理由や経費の都合で発掘を途中で断念した場所だった。  多少、土を被っていたが、そこはほとんど前来たときのままだった。俺はすぐにスコップでかつて掘った穴をそのまま掘り進めた。  サントスの姿は見えなくなっていた。いつからいないのか、まさか迷ってはいないだろうが……ともかく俺は気にせずに穴を掘り進めた。  無我夢中で土を掘り、何時間経っただろうか。穴の奥で、スコップに固いものが触れた。周囲の土を慎重に掻き分け、俺は『それ』を土の中から取り出した。黄金に光り輝いてはいないが、『それ』はまさに俺が探していたものだった。  サントスの叫び声が聞こえたのは次の瞬間だった。 「ハヤト、さっきホテルから連絡があって、お前の娘が事故にあったらしい!」  洞窟に反響する言葉の意味はしばらく分からなかったが、俺が本当に呪われているかもしれないらしいということは、かろうじて理解できた。    ※  サントスが言うには、洞窟に入ってすぐにスマホを忘れたことに気づき、俺に声をかけて(俺は夢中で聞こえていなかった)から車に取りに戻ったところ、ホテルから着信があっていた。  サントスがコールバックすると、ホテルの従業員より、先ほど日本にいる香織から国際電話があり、咲紗が事故にあったのですぐ俺に連絡するよう伝えてくれと言われたという。  慌てた俺は先ほど洞窟の中で見つけた頭蓋骨を持ったままジャングルを突っ切った。  洞窟の中で頭蓋骨を抱えていた俺を見つけ、サントスは一瞬、ぎょっとしていたが、それについて特になにも言わなかった。  国際電話が可能になる辺りまで移動してから、俺は香織に電話をかけた。  ワンコールで香織は出た。香織は泣いていた。 「あんた、こんなときに宝探しなんて、何考えてるの」それは聞いたことないほど取り乱した声だった。  俺自身、一つも落ち着いてはいなかったが、「とりあえず落ち着いて」と言い聞かせ、香織から詳しい内容を聞き取った。  まず俺を安心させたのは、それが命に別状のあるような怪我ではないということだった。  スーパーで買い物した帰りに、駐車場で咲紗が急に走り出してバックしていた車と接触し、頭を打って一時意識を失っていたらしい。  救急車を呼び、先ほどようやく検査を終えたところで、外傷は擦り傷だけ。念のため今日は入院することになったそうだ。 「とりあえず良かった……」俺が言うと、香織はまた怒った。「なにが良かったよ! 最悪。ダメ親父。甲斐性なし。人間のクズ」  俺はなにも言い返せず、そこで初めて、俺は電話を持ってないほうの手で人間の頭蓋骨を持っていることに気が付いた。 「実はさ、今、俺、人間の頭蓋骨持ってる」 「……それってなにかの比喩?」 「違う」  本当のことを話そう。日本にいる俺がいないことで不安に思っている二人のことを想いながら、俺はそう決意した。本当のことを話してダメになるのなら、それはきっとそうなった方がいいことだったのだ。 「俺の元カノのこと、知ってるよね」 「津田ちゃんでしょう。私もお葬式に行った」  小学生時代に俺と国吉と真田と、もう一人いつも一緒にいた津田ゆかり。彼女は俺の初めてできた彼女であり、二十七歳で病気でこの世を去った。 「彼女のおじいさんがさ、旧日本軍の兵士で、ペリリュー島で亡くなったんだ。まだ骨も見つかってない」  香織はなにも言わないが、電話口からかすかな息遣いが聞こえていた。 「おばあちゃんっ子だった津田は、よくおばあちゃんからそのおじいちゃんの話を聞いていて、ずっと思ってたんだって。おばあちゃんの大好きだったおじいちゃんが、知らない外国の洞窟の中で誰にも見つけられずにいるのはかわいそうだって。  そして自分でお金を貯めて、ペリリュー島へ行くことにした。国の調査もあるけど、掘る場所が決まってたり、現地民に掘ってもらったりして、自由に発掘できないんだ。それで、ちょうど渡航費用が貯まったころだったよ、津田に癌が見つかったのは」 「それで、でも――」  香織にも俺が話そうとしていることが分かったようだった。 「謝って許されることじゃないけど、これまで行ったトレジャーハントっていうのは、全部津田のおじいちゃんの遺骨を探すための渡航だったんだ。死ぬ直前に、津田と俺が絶対におじいさんの骨を見つけるって約束したから。何度も本当のことを香織に言おうとしたし、諦めようとしたけど、津田のおじいちゃんの遺骨を見つければ終わりだし、次の一メートル掘ればきっと見つかると思ってるうちに、その、ずるずると……」 「あなたが持ってる頭蓋骨は、津田ちゃんのおじいさんのものなの?」 「分からない。検査には時間がかかるし、近くで遺留品が見つかるかも分からない。ただ、この島には二千以上の日本兵の遺骨が残ってるはずだから、可能性は低いかもしれない」 「そんなの、やる意味ないでしょ、それにあなたがやらなくても……」 「分かってる、これでもう本当に終わりにするし、次の便ですぐ日本に帰るよ。それで許してくれるといいけど」  香織は電話口で二分ほど黙って、 「許さないけど、少なくとも話はできる。内緒でコソコソ浮気みたいなことされるよりは」  香織は電話を切った。 「フィリピンへの便はちょうど三時間後。フィリピンから日本へは待ち時間なく行ける。その頭蓋骨とか、後のこと、私に任せればいい」  さすがサントス、意外と仕事ができる。俺はサントスにその便を予約するよう頼むと、頭蓋骨を丁寧に車の後部座席に置くと、再びジャングルの中へと向かった。 「おい、どこに行く」 「家族は無事だった。焦っても早くは帰れないから、ここでギリギリまで掘る」  洞窟は暗く、恐ろしかった。祖国のためにこのような場所で何か月も生活し、飢えや銃撃によって死んでいった人たちのことを想った。  ペリリュー島で散っていった人たちは一万人を超すという。彼らもきっと、身近な誰かのために、自分の身を捧げたのだろう。俺がしたことは間違ってはいなかった、と思う。ただ、俺は本当は彼らと同じように俺がいま最も大切にしている人たちのためにこの肉体を使うべきだったのだ。  だからこそ、最後に、俺は一メートルの土を掘る。そこで光が当たるのを待っている津田のおじいちゃんや誰かのおじいちゃんやお父さんや旦那さんたちのために。  洞窟の奥へ着いた。そこは暗くじめじめした場所だった。  咲紗が無事でよかった。生まれてきてくれて良かった。本当にありがとうございます。あなたたちにいつか暖かい光が当たりますように。  誰にともなく祈りながら、俺は最後のスコップを深く突き立てた。    ※ 「それで、どうしてこんなことになったんだ」  フィリピンにいるサントスに持たせたカメラの向こうで、国吉はじっとりとこちらを睨んでいた。俺は自宅のタブレットからそれを見ていた。 「どうしてというか、俺はただ、某市議会議員に遺骨収集事業の重要さと選挙への影響、あと息子の将来について少し話しただけで、まさかこんなことになろうとは……」 「お前は本当に昔からやっていいことと悪いことの区別がつかない。俺をこんな目に遭わせやがって」 「とかいって、親父さんから話があったのに断らなかったのは、お前も興味があった――というか津田のことが好きだったからだろう」 「馬鹿言うな。俺は貴重な骨董品を見つけたらこっそり持ち帰ろうと思っただけだ」 「あら、国吉くんって私のこと好きじゃなかったの」  隣で一緒に画面を見ていた香織がふざける。国吉は少し赤くなって「そんな訳ないだろ」と言った。照れる三十六歳は普通にキモい。俺も気を付けなければ。  パラオ諸島はからっと晴れていて海はどこまでも青く澄み渡り、遠く異国の地を画面越しに眺める咲紗も喜んでいる。 「日曜は俺が昼飯当番で今から焼き飯を作るから、サントス、後のことは任せていい?」 「オーケー、任せといて」議員から活動費をたんまりもらったサントスが得意げに答える。 「こら、待て」  俺は国吉の声を背中で聞きながらキッチンへと向かう。  卵を溶き、米を炒める。そこにはあと一メートルで見つかるはずだった宝や遺骨の気配はもうない。あるのは胡椒と、マヨネーズの美味そうな香りだけだ。
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