落下する男

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落下する男

私は今、とても後悔をしている。 自宅マンションのバルコニーから、我が身を宙に投げるまでは、後先の諸々の事情などは考えずに、ただぼんやりと、何かに急かされるように、人生の終わりを選択した。 ところがどうだろう、いざ、途方もない速度で身体が落下する間に、私の意識は覚醒して、 「死にたくはない」 と、後悔をしている。 つまり私は、この期に及んでも、生きる希望を探しているのだ。 それは頭の中で、 「足から落ちれば助かるかも知れない」 とか、 「頭から落ちるのだけはやめておこう」 といった思考が、回転木馬の如く、同一速度で交差している。 要するに私は、生きたいのである。 そういえば遥か昔、万有引力なるものを学校で教わった気もするが、建物から落下する私を見ても、ニュートンは万有引力を発見出来るのだろうか? りんごならぬ私が、ただならぬ速度で地球に引かれているというならば、私も地球を引き返している筈だ。 しかし、そんな貴重な経験を味わう余韻には浸れないのも事実で、通り慣れた歩道がぐんぐん私に迫っている。 お互いに惹かれ合うのは結構なことだが、相手が地球となるといささか考えものである。 「ものごとには身分相応、相応しい相手を見つけなさい」 と、亡くなったお母さまの口癖と、間男とドラスティックな恋愛の末(無論、皮肉である)駆け落ちした元嫁の別れ際の言葉、 「貴方は私には不釣り合いなの、未来もないし経済力もない、だからさよなら、私は私の道を進むわ。お仕合わせに、バイバイ」 が、否が応でも脳裏を掠める。 私は、落下していく極限にあって、こういった思考に陥る現象を体感しつつ、 「あゝ、これが走馬灯というやつか…と、すれば、私の身体が、硬いアスファルトへ叩き付けられるまで、私は私の想ひ出とやらにどっぷりと浸れるのかしらん?しかし、もう地面はすぐそこ、あと10秒もしたら私はこの世とグッドバイするだろう。最期の悪あがきに、生存確率を上げるべく、少しでもこの身をくねらせて、臀部から、いやいや、背中から落ちるのが懸命か?いや違うだろう、やはり足から落ちるのが無難だろうが、時既に遅く、空気抵抗に抗える程の肉体を、私は持ち合わせてはいない。ただ幸運なのは、身の丈に合わない高層マンションを購入したことである。落下する時間が長いから、死んだお母さまにも懺悔ができる訳だ。お母さま、言いつけを守れない親不孝でした。私を許してくださいませ」 云々、するとどうしたことだろう。 私の身体は、宙でぴたりと静止して、頭以外は動かせなくなった。
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