落下する男

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こんなことなら、生きているうちに(実際は、まだ生きてはいるのだが…)三途の川とやらを渡れなかった人間の話を、真剣に聞いておけば良かったと思う。 人生とは、後悔した数だけ自分が成長出来る仕組みだ云々、私は体のいい逃げ口上を他人に語っていたが、間も無く地面に激突し、己の身体が木っ端微塵になる寸前で、静止してしまう事象なぞ想像も出来なかった。 もしも、私が何らかのカタチで生き残ったら、芥川賞や直木賞に相応しい、最高傑作の小説、表題は静止する後悔がいいだろう、を書ける筈だし、職業作家を生業として、ちいさな家でも構えて、満足出来る余生を送れるだろう。 そんな、夢にまで見た人生を妄想する中で、私はハッとした。 この静止現象は、愚かな人間に後悔といった罰を与えている、若しくは与えられている事象なのではなかろうか? それならば、神や仏、天国と地獄も存在するのだろうか? 私の後悔とは、つまらぬ女を妻にしたことと、自称作家で生涯を終えることである。 結婚当初は、それなりに愛を営み美しみ、お互いに愛おしく、また狂おしい存在だった筈で、 「アイラブユー」 と、何度も囁き合っては接吻を重ねた。 ところが、私の経済力が衰退すると、いつしか妻の愛の住処は私ではなくなって、若い間男の、しかも起業家の豪華絢爛な愛の巣へと移り代わっていた。 渡り鳥みたいだね、と、私は嫌味を言うのがやっとで、ふらふらと立ち上がり、その日以降は、たっぷりの白湯を味わいながら眠るしか出来なくなってしまった。 それというのも、商業出版で世に出した、私の小説の絶版が決まった時期と、妻との破局は重なっていて、百貨店の惣菜屋で働いていた私には、寝耳に水のハレンチな出来事、心に破壊的な損傷を与えた情事といっても過言ではない。 今更、とやかく考えてみたところで、私は間もなく死ぬのだから、後々は地獄の番人とやらに託して、早く楽になりたいと願おう。   静止現象のさ中にある私は、人生で最後のポジティブとやらに笑った。 すると、どこからか突如としてポウッ、ポウッと、懐かしい音が聞こえた。
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