11 うそつき

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11 うそつき

 毎度同じセリフが流れてくるのを安心に感じるのと、毎回違うパターンで新鮮味を感じるのと、どちらを望む人が多いのだろう。  でもどちらにしても、わたしが喋ることはいつも同じ。放送作家が書いた台本に沿って話しているから、基本的な流れは毎日同じ。大きく変えようと思ったこともないし、変えていいとも思っていない。 「ということで、本日もお開きの時間となってしまいました。この番組では、リスナーの皆様の暮らしに役立つ情報を皆様と共に発掘、共有していくために、身近で見つけた色々な情報を常時、募集しています。グルメ、ショッピング、レジャー、イベント、道端にこんなお花が咲いてたよーなんていう情報でも、なんでも大歓迎です」  もう、何百回繰り返しただろう。台本を見ないでもつっかえずに言える。 「ゲストさんへのメッセージや番組へのご意見ご感想、リクエストや各コーナーへのコメントなど、どしどしお寄せください。宛先は、ホームページの問い合わせフォーム、メール、公式ラインなど、どちらからでも大丈夫です」 「それでは、また来週月曜日にお会いしましょう。平日9時から12時担当のイマカナこと、今井(いまい)(かなた)がお送りしました。皆様の今日が素敵な一日になりますように」  話し終わってもしばらくは息を潜めて、手元のカフボックスにあるキューランプが消えたことを確認してからヘッドホンを外す。 「はい、お疲れ様でしたー」 「お疲れ様でーす」  時々、本当にこんなんでいいのかな、と思うことがある。  たいして頭も使わず、ろくに心も動かさず、ただ台本に書いてあることを毎日繰り返す。もちろん、3時間全て決まったことだけ話しているわけではない。その日その日の情報や告知の内容に合わせて、他の担当者と通話もするし、ゲストと会話もする。大筋は決まっていても細かいところはアドリブになるし、そこはちゃんと頭も気も使う。  ただ、慣れてきていることがおざなりに聞こえたらどうしようとか、気持ちが込もっていないとクレームが来たらどうしようとか、そういう不安がないわけではない。 「イマカナちゃん、ちょっと時間ある?」 「はい、大丈夫ですけど」  机の上に散乱している原稿や筆記用具を片付けていたら、ディレクターの蒲原さんに呼び止められた。  放送終了後はいつも、用意されている仕出しのお弁当をスタッフで囲んで次の放送の打ち合わせを1、2時間程度行うのが恒例で、日々のスケジュールにその時間はきっちり組み込んである。だからそれに参加するだけならそんな声かけは必要ないはずなのに、と不思議に思う。  個別に会議スペースに連れて行かれて、なんとなく不安が広がった。  みんなといつもの席でできないような話があるのだろうか。 「ごめんね、ちょっと座ってくれる?」  言われるがままにソファーに腰掛けると、蒲原さんも向かい側の椅子に座った。 「ちょっと、新しい試みというか、昨年までの流れと違うことが決まりそうなんだけど」  わたしの親と同じくらいの世代かな、と思える蒲原さんの顔にわずかに緊張感が浮かんでいて、もしかしたら難しい話なのかも、と気持ちを引き締める。嫌な話でないといいのだけど。 「来月さ、6月、プライド月間って知ってる?」  突然、脳みそを濡れた薄布で包まれたようなひんやりとした感覚に襲われる。  緊張。動揺。混乱。不安。恐怖……ぴったりな言葉が見つからない。でも、明確な、負の感情。 「実はさぁ、今のスポンサーの一番メインのあそこ、今年の春にスポーツブランド吸収して名前変わったの、知ってるよね」 「あ、はい」 「あそこがさぁ、LGBTQアライの企業ってことで今期大々的にPRしてるんだけど、6月のプライド月間に、番組でもLGBTQ当事者をゲストに呼んでトークしてくれって言われてるんだよね」  プライド月間。LGBTQ。当事者。アライ。  落ち着け。  大丈夫。ただの会話。ただの、仕事の打ち合わせ。 「現時点では週1、ゲスト枠だから20分から30分程度、紹介とインタビューで5分くらいとあとはいつもの流れに混ざってもらってワイワイ、って感じでいきたいんだって」  わたしは蒲原さんに気づかれないように、肩を上げず慎重に、そっと腹式の深呼吸を繰り返した。 「んで、確認なんだけど、イマカナちゃん、LGBTは大丈夫?」  心臓が、耳のそばまで上がってきたみたいに、鼓動が耳元で聞こえる気がする。血圧、ヤバい。  大丈夫って、どういう意味だ?  何が、大丈夫だって?  何がどうだと大丈夫だって言える?  大丈夫じゃなかったらどうなる? 「いや、人によってはさ、無理な人とか、拒否反応出る人いるからさ、念の為」  ずっと凪の状態を保っていた心の中のある一角に、ほんの小さな漣が生まれる。  どうしよう。平常心、どうやったら。 「あ、の、全然……別に、全然、いつも通りで大丈夫ですけど」  しまった。言葉が詰まる。喋りのプロ、どうした。 「ああ、良かった。じゃあ大丈夫だね。じゃあゲストがLGBTQ当事者やアライっていうこと以外は何にも変わらないから、引き続きよろしくね。難しく考えないで普通にやってくれていいから」 「……はい」 「じゃああっちの打ち合わせに合流しちゃって」  そそくさと席を立って去っていく蒲原さんの後ろ姿をじっと見送る。  頭の中で、情報と理性と感情と建前と、いろんなものが()()ぜになって、番組のパーソナリティという立場の自分が取るべき正しいと思われる結論になかなかたどり着けない。  とにかく、打ち合わせに参加しなきゃ。  立ち上がって、みんなのところまで行かなきゃ。  でも、次から次へと湧き上がってくる泥のような濁った感情を、どうしても止めることができなかった。  もしわたしが「無理」と言ったらどうするつもりだったのだろう。  わたしごときが断ったところで、スポンサー企画が流れるとは思えない。それなら、そのコーナーだけ特別枠みたいにしてパーソナリティなしで別録で差し込むのか。あるいはアシスタントか別のタレントにトークの相手をさせるのか。  いや、そもそも、それって今みたいにわざわざ確認しないといけないようなネタなの? LGBTQって、セクシュアルマイノリティって、こうして『あなたは拒否反応出ませんか』と断りを入れないといけないような存在なの?  胸の中で相変わらずゴロゴロしているトゲトゲの種が、じわじわと膨らんで、その存在感を主張している。  痛いし、地味に苦しい。  無理?  どういう意味?   「イマカナさーん、早くこっちお願いしまーす」 「あ、はい。行きます」  ダメだ、仕事中。  無理やりにでもこの(ひず)んだ思考を止めて、ただ事務的に、機械のように体だけを動かして、打ち合わせに参加しなければ。 「あれ、蒲原さん、もしかして来月の企画の話でした?」  頑張って、必死に平静を装って打ち合わせの席に着くと、ADのタツくんが声をかけてきた。 「あ、うん、そうでした」 「いやぁ、ちょっとドキドキっすよねぇ。俺、今までそういう人に会ったことないんで緊張するっすー」  無難にスルーしろ。 「えー、LGBTQの人なんてクラスにひとりかふたりいるくらいの割合だっていうから、もしかしたら今までも身近にいたかもしれませんよぉ? 気づかなかっただけで」  バカ奏、話を膨らますな。 「いやそれはないっしょ、怖いこと言わないでくださいよーあはは」  ダメだ、これ以上余計なこと言うな。  話を逸らせ。 「あれ、今日のこのお店、久々ですねぇ。やったぁ!」 「そうなんすよ! お店が改装でしばらく休業してて、やっと再開したんで。美味いっすよね、俺もここの弁当めっちゃ好きっす!」  わかっている。悪気はないのだ。ただ、知識も配慮もないというだけの話。そんな人、どこにでもいるし。  いちいち気にしていたら、身が保たない。  こっちがオトナにならないと。 「あれ、引っ越し結局いつなんすか?」  余計な話題を極力スルーしつつ、明日の打ち合わせだけ取りこぼさないように必死に拾いつつ、なんとか打ち合わせは終わった。  美味しいお弁当にだいぶ救われた。 「今週末、っていうかもう明日だ」  雑談、もうしたくないのに。  早く帰りたい。 「え、イマカナさん引っ越すんですか?」  タツくんに負けず劣らず明朗で、でも多少タツくんよりは空気が読めるタイムキーパーのみゆきさんが会話に入ってきた。  この人は、大丈夫かな。  いちいち、誰かと会話するたびにこんなふうに不安にならないといけないなんて、これがいつまで続くのかと気持ちが滅入る。 「そうなんですよ、今の家は夫の父の名義で、今度、親族が転勤で使いたいらしくて」  できるだけ簡潔に、でもできるだけ早く短く結論までたどりつけるように返事を組み立てる。とっとと解放されたい。 「新居、幼馴染とルームシェアなんすよね」 「あー、うん、そうそう。そんな感じです」  早く。早く終われ。 「いいなー幼馴染と同居。楽しそうっすよねー」 「えーいいなぁ。毎日女子会的な!」 「あーまぁ……そうですね、あはは」  内容について深くは考えない。ただ、適当に聞いて、適当に返事して、スルー。それでうまく切り抜ける。大丈夫。 「カレシとのラブラブ同棲も憧れるけど、やっぱり同性とが気楽でいいですよねぇ!」  考えたら負け。気に留めたら、アウト。だから、なんとかこのままで。 「マジかー羨ましいなぁ……でもイマカナさん、寂しいからってその幼馴染さんとソッチの世界行っちゃったりしないでくださいよぉ!」 「……え?」  ああ、やっぱり。  ヘタに話合わせて長引かせるんじゃなかった。こうなることなんて予想できた。とっとと片付けて帰ればよかったのに。 「タツ!! バカ!!! すみません、こいつデリカシーなくて、ほんとすみません」  みゆきさんが必死に謝ってきているけど、わたしは謝罪を求めているのかな。何をしてもらいたいのだろう。 「えー、あー……全然、なんでもないですよ。大丈夫です」 「すみません! マジで、失言っした……調子に乗りました……あ、でもマジでイマカナさんが元気になってくれたの嬉しくて、応援してて、だからその、旦那さん亡くなったこと喜んでるとかそう言いたかったとかじゃ、全然」  いつまでも言い訳じみたことを喋り続けるタツくんの頭を、みゆきさんが手にしたハンドタオルでパシッと叩いた。 「もうやめとけ、あんたもう黙ってなさい!」 「ほんと、マジ、すみませんっした……」 「や、本当に全然大丈夫なんで。気にしないで、ほら、食べましょう」 「……うっす」  ああ、そうか。  これは、ソッチの世界と言ったことに対してではなく、夫を亡くして寂しいはずなのに意外と楽しくしてることをネタにしてごめんね、という流れなのか。  LGBTQなんて身近にいない。いるわけない。  それが彼にとっての現実で、全て。  おそらく、彼以外の人にとってもだいたいそんなところ。みんな、自分とは無関係、別世界の話だと思っている。知らないから異質なものだと怖がる。怖がるから排除する。LGBTQに限らず、世の中の差別なんて本当に単純なカラクリで成り立っているのだ。  みんながみんな悪意を持って差別をしているわけではないのだろう。知らなくて、流されて、良かれと思って、つい口にしてしまう。この人のように。  わたしが罪悪感を抱くことではない。わたしは、無難に生きると決めた。特に問題ない。家族にも、友達にも、職場にも、誰にも迷惑をかけずに生きていける。余計なことをしなければ。今までもそれで大丈夫だった。  嘘をついている?  人を騙している?  そんなことがどうしたというの。誰かを傷つける嘘でもないし、騙して誰かを苦しめているわけでもない。わたしがただ口をつぐんでいるだけで、誰にも迷惑をかけていない。それを、とやかく言われたくない。  働いて、和気藹々と食事をしながら打ち合わせをして、また次の放送に備える。そして時間になったらまた同じことを喋って、自分の仕事をこなす。  それのどこが不満なの。  全くもって、うまくいっている。  大丈夫。わたしは普通に幸せな結婚をしていた未亡人に見えている。
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