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14 表と裏
6月に入って、予定通りにプライド月間の新企画が動き始めた。
最初に企画を聞かされた時に言っていた、週1で30分の枠。それがそのまま採用されて、毎週火曜日10時からの季節ネタのコーナーがその枠になった。
初回は手始めに、という感じで、日本で最大規模のLGBTQ支援団体の代表を招いた。
この番組は、わたしがパーソナリティになって2年半ちょっと、その前は別のパーソナリティがいて、トータル5年以上は続いている。その歴史でLGBTQ関連の特集は初めてなのだという。
たまたまLGBTQアライ企業がスポンサーになったのがきっかけだったけど、放送作家も含めてLGBTQに詳しい人がいないということで、少し前にスタッフ全員でLGBTQに関する講習を受けた。その時の講師が初回のゲストで、男性同性愛者、ゲイの当事者だった。
放送にあたり、使うべき用語、使うべきでない用語をひと通り教わった。それから、SNSを中心に世間で話題になっているネタの真偽、何が本当で何がデマなのかを詳しく聞いた。ヘイトが発生するきっかけ、それが伝播する原因、ヘイトや差別の背景にある団体や思想について、わかりやすく説明を受けた。著書を何冊も寄贈してくださったので、何日もかけてそれをスタッフで順番に回し読みした。
わたしが当事者だということはスタッフには伝えられないままだったけど、アライの立場を表明して、レクチャーは少しも聞き漏らさないよう頑張って向き合った。ローカル局と言えど公共の電波には変わりなくて、些細な言い間違いでも番組存続に大きな影響を与えることもある。スタッフ全員が緊張しているのが伝わってきていた。
正直、知らないことだらけで本当にびっくりした。勉強になった。ものすごく。そして、自分のセクシュアリティからだけでなく、世の中のLGBTQに関わる全ての事実からも逃げていたことを思い知った。恥ずかしくて、情けなくて、本当にこんなコーナーを担当していいのかと自問自答を繰り返した。
それでも企画のスタートは否応なくやってきて、自分の中でまだすっきりと結論が出せないまま本番を迎えた。
わたしは結局、何をどうしていいのかわからず、ただひたすら台本をなぞるので精一杯だった。間違った表現をしてしまったらどうしよう、意図せずとも誰かを傷つける言い方になってしまったらどうしよう、と思ったら、何も言葉が思い浮かばなくなった。とにかく早く終わってくれと願った30分だった。
第一回の新企画の反響はそれなりにあって、リスナーからの反応は普段のお便りの4割増しくらいあった。ただ、新企画へのコメントの3割程度は企画そのものに対する苦情やクレームで、やはり全ての人に歓迎される話題でもないのだな、と気持ちが落ちた。しかもこの3割というのはたまたま言葉にしてこちらにぶつけてきた人たちのみをカウントしてあるので、そういう行為に出なかったけどこの企画をよく思っていない人はきっともっと多い。見えないだけで、もしかしたら賛同してくれる人より批判的に思っている人の方が多い可能性だってある。
どんなに中立的に公正な表現をしても、はなからLGBTQということだけで敬遠したり拒絶したりする人が一定数いるのはわかっていたけど、実際にその否定的な言葉を聞くのは、やっぱりしんどい。
それでも、リスナーの中にも当事者がいて、そういう人から「嬉しかった」「元気をもらった」などと言ってもらえるのは嬉しい。
まだまだ学ばなきゃいけないことがある。それを嫌というほど痛感した。
「来週、市長来るよ、市長」
ディレクターの蒲原さんが、次週の仮原稿を持って来た。
このラジオ局がある市は先月、プライド月間を前にパートナーシップ制度を導入したばかりで、市初の女性市長である林田さんは制度導入が決まるまでもずっと積極的にSNSなどを使って活動を発信していたらしい。
政治家のゲストを迎えるのは初めてで、企画内容抜きにしても身構えてしまう。しかも林田さんはかなりパワフルな印象のアクティブな人で、うまく会話が噛み合うかどうかさえ心配だった。
「イマカナちゃん、林田さんのSNS、来週までに一通りチェックしといてね」
「あ、はい」
正直、気が重い。政治に触れると、必然的にヘイトや差別を目にすることになる。政党同士の敵対はもちろん、後援団体や関連団体、支持者個人、とにかく主張の噛み合わない同士で熾烈なバトルが繰り広げられている。時にそれは、当事者の命を奪いかねないほどの悪質な言葉の暴力にもなる。当事者としては思わず目を背けたくなるほどだ。
LGBTQに限ったことではないのだけど、わたしはやっぱりセクシュアルマイノリティに対するヘイトが一番しんどい。
オープンじゃなければ差別されないでしょ、とクローゼットの当事者が言われていたのを見たことがある。周囲の人も、そうだそうだと同調していた。でもそれは、わたしは違うと思う。
クローゼットとはつまり、自分が当事者だということを周りの人に知らせていない。それは同時に、周囲に相互で認識できる『仲間』がいない、ということになる。差別用語をぶつけられない代わりに、同じ悩みや苦しみを分かち合える相手がいない、ということだ。
そのため、ヘイトや差別を見てしまったら、それをたった一人で受け止めなければいけない。オープンにして直接ヘイトをぶつけられるのももちろんしんどいだろうけど、たったひとりでヘイトバトルを傍観するのも、当事者がそこにいると思わず盛り上がっているヘイトに黙って晒されているのも、どちらもしんどい。
だから、そのバトルが多く見られる政治関連のSNSは出来るだけ見ないようにしていたのだけど、今回ばかりは仕事だし仕方がない。
仕事から帰って、空いた時間を使って、わたしは言われた通りに林田市長のSNSを一通りチェックした。
一言で言ってしまえば、とても理想的で優良なダイバーシティ的マニフェストを掲げていて、時代に合った前向きな取り組みは力強くて頼もしかった。ただ、政治に疎いわたしは、林田市長の使う言葉の信憑性がいまいちわからなくて、それが口先だけのものなのか本心からなのか、それを知るほど色々調べる時間が取れるかどうか自信がなかった。
そうこうしているうちにあっという間に1週間は過ぎてしまい、プライド月間企画の第2回目の放送日がやってきた。
「本日のゲストは、我が街の市長、林田里子さんです。よろしくお願いします」
「はーい、どうぞよろしくお願いします!」
写真や記事で見たことはあっても、話しているところを見たのは今日が初めてで、噂に聞いていたアクティブな印象そのものだった。50代とは思えない、若々しくパワフルな人だ。
人当たりの良い人柄に安心しつつ、でもやっぱりテーマがテーマなので緊張しないわけではない。読み込んだ台本を慎重になぞって話を進めていく。
林田さんはSNSでの発言の通り、諸外国にだいぶ遅れをとっている日本の同性婚を含めたLGBTQサポートの現状を憂えて、小さな市区町村単位からでも変えていけることがあるのではないかとパートナーシップ制度の導入を目指したと話した。
「当たり前の話なんですよ。結婚していい人と結婚しちゃいけない人がいる、っていうところがそもそもおかしいでしょ。人権の問題です」
コメントはもっともだし、SNS発信の内容と差異もない。クローゼットの当事者としても話の内容は心強くて、心の中で拍手を送りたい気持ちだった。
ただ、なんというか、話し方に何か引っかかるものを感じて、それが何なのかを密かに観察した。そして理由はすぐに判明した。
林田さんはずっと、片手に小さなノートを持っていて、それに目を通しながら話していた。台本は林田さんの分も用意してあって、その内容の通りに進行している。それでも林田さんはノートを何度も確認しながら話している。
なるほどな、と思う。会話というより演説を聞いているような印象があったのは、話す内容が事前に用意されたものだったからか。丸々読んでいるわけではなさそうだけど、林田里子さんという人の言葉で話しているというよりは、林田市長として話すべきことをしっかり話している、という印象を受ける。
引っかかるとは思ったけど、よくよく考えてみれば自分だって放送作家が書いた台本をベースに話している。自分だけの考えで好き勝手話しているわけではない。そうだ。仕事をしているのだから、お互い、ビジネスとしての会話をしていて何もおかしくない、よな。
「すべての市民一人ひとりに寄り添うことを目指してこれからも頑張っていきたいと思っています」
林田さんのトーク力のおかげで、30分はあっという間に過ぎた。メイントークの後の情報コーナーでも気持ちよく絡んでもらえて、進行役としてはとても助かった。
きっとわたしの引っかかりは気のせい。
だってアライだよ? パートナーシップ導入してくれたご本人だよ? 政策にはっきりとLGBTQサポートって打ち出してくれてるんだよ?
大丈夫。ちゃんとプロだったし。
「お疲れ様でした、本日はありがとうございました」
「こちらこそ、楽しい収録をありがとうございました」
コーナーが終わってリクエスト曲が流れている数分の間に、退席する林田さんと挨拶を交わした。ADのタツくんが次のコーナーの準備をしつつ林田さんの退室を誘導している。わたしも曲明けの段取りを確認しないといけないのであまりゆっくりできないのだけど、せっかくのご縁なので「これからもよろしくね」というくらいのつもりでちゃんと今後につながる言葉のやり取りをしたかった。
「あの、マイノリティの人たちがマイノリティだからというだけの理由で苦しまなくていい世の中になればいいな、って思っています」
「そうですね。そうなれるように頑張るのが私の仕事ですので。一緒に頑張りましょう」
政治家然とした、きっぱりと勇ましい姿勢。物怖じしない、強かな態度。世間に本当の顔を晒していないわたしには眩しすぎて、直視できない。
「はい。応援してます」
「また呼んでくださいね」
「ぜひ」
公の場で言葉を発する仕事をしている身で特定の政治家を推すのはあまりよくないことかもしれない。でも、顔も出さずただ与えられた情報だけを読み上げる仕事をしているわたしなんかより、大きな街の長として、ひとりの政治家として、世の中を変えていく力を持っている林田さんのような人が声を上げてくれた方が、ちゃんと響くに決まっている。だから、応援したい。したいのだけど、政治家という分厚い鎧を纏った林田さんの本心を、結局読み取ることはできずじまいだった。
もし、わたしが家庭や仕事場でカミングアウト済みだったら、今回のこの企画はどうなっていただろう。セクシュアルマイノリティ当事者のラジオパーソナリティとして、ゲストと話をしていただろうか。
当事者やアライの人と、どんな話をするのだろう。その話を聞いて、リスナーたちはどんな反応をするのだろう。
考えは膨らむけど、結局自分にそんな勇気はなくて、きっと今までと同じように笑ってごまかしてすませるのだろうな、と思う。
やっぱりヘタレだな、わたし。
放送が進んで、CMに続いて収録済みのイベント紹介コーナーを流す時間帯、わたしはいつものようにトイレ休憩を取った。ついでに飲み物を買っておこうと思ってスタジオを出てすぐのところにあるラウンジに行こうとして、人が集まってワイワイ雑談しているのに気づいた。ひときわ大きな声で話している、これは、林田さん? まだ帰っていなかったのか。
「いやもうびっくりだよねぇ」
放送中に目の前で何度も聞いた、活発で覇気のある語り口。やっぱり林田さんだ。
「え、台風の被害?」
受け応えをしたのは、これはウチのスタッフの真野さん。ディレクターの蒲原さんよりは少し年下っぽい放送作家の男性。
「違う違う。マリコだってば」
声の数的に、全部で3人? いや、4人か。
真野さんと、蒲原ディレクターもいる。あとは、知らない声、林田さんに同行していた秘書さんかな。
「ああ、そっち」
蒲原さんが揶揄のニュアンスを含めて返事をしたことで、その場の空気が一変した。
「えー、どのマリコですか?」
少し天然っぽい雰囲気の秘書さんが本当にわかっていなさそうな質問をした。
「ニュース見てないの?」
「わかんないです」
「昨日大騒ぎしてましたよねぇ。須賀マリコ。作家の」
「え、なんかしたんですか?」
録音済みのものを流すコーナーは約15分ほど。まだまだ時間もあるし、挨拶がてらあの輪の中にちょっと加わってみようかな、とか思ったりして、そっと足を踏み出す。
「なんかしたっつーか……あの人、今、女の人と付き合ってんだって。カミングアウトよ、カミングアウト。公共の電波使って、日本全国に向けて」
そう説明した林田さんの声色に何かまた妙な違和感があって、踏み出そうとした足がピタリと止まる。
なんだこれ。
え、ちょっと。
「えーそうなんですね。それはタイムリーな」
「すっごいよねぇ、びっくりだよね、ほんと」
びっくり?
林田さん、だよね?
なんでそんな嫌そうな言い方?
「あれ? 須賀マリコって結婚してませんでした?」
「してたしてた。離婚したけど。子どももいるよ。何人か。もう大きいんじゃないかな」
明らかな嫌悪感。言葉に滲む、蔑むようなニュアンス。
「えーそれで今さらレズ? あの歳でぇ?」
蒲原さん、その言葉は蔑称ですよ。こないだレクチャー受けたばっかりでしょう。覚えていないんですか。それにレズビアンであることにもカミングアウトにも年齢制限なんてないですよ。
須賀マリコは確か50代くらいの女性作家で、夫が有名な作曲家だったので家族の話もよくテレビでしていた。子どもが3人くらいいたと思うけど、みんなもう成人しているような年齢のはず。
「うわ、それって子どもたちどう思ってるんですかね。いくら離婚したからって母親が同性と付き合ってるとか」
「ねぇ。気持ち悪いよね」
ああ、そうか。やっぱり。
何かおかしいと思った。
言葉に、魂が乗っていなかったんだ。さっき新企画で会話をしていた時の違和感。手元に用意したメモを読んでいたから、というだけの理由ではなかった。あの時気付いたのに、なんでわたしスルーした?
クソ、完全にミスった。
「まぁいいけどねぇ。少子化対策に貢献してくれた後だし、もうあの歳で何しようがお好きにどうぞ、って感じ」
「でもできれば見えないところでお願いしますって感じですよね。子どもがいるならなおさら」
「元夫も複雑だろうねぇ。元妻が実はレズでした、とか」
「いや、男もイケたならバイなんじゃないの?」
「あ、そうか。そうだね。どっちにしろ気持ち悪いけど」
真野さん以外の3人で言いたい放題。
林田さん、差別反対だって言ったじゃん。
LGBTQアライだって言ったじゃん。
「それに、夫はマリコがバイなの知ってて結婚した可能性もあるよね」
「えーそれはヤダなぁ私。キッツい」
「まぁいろんな人がいますからねぇ」
ちょっともう、無理だ。これ以上聞いていたら何かが壊れる。この後、喋れなくなる。
足音を立てないように数歩後ずさって、廊下の角まできたら一気に振り返って走る。それで、すぐにスタジオに戻ろう。
用意された次の原稿に目を通して、流れを頭に叩き込んで、読みづらい言葉にはカナを振って、ブレスに斜線を……
そうだ。わたしにはまだやることが残っている。いっぱい。だから、ちゃんとしなければ。
大丈夫。いつも通り。何も変わらない。
わたしは何一つ変わっていない。
逃げるように戻ってきたスタジオで、残りの収録でミスがないように祈りつつ、周囲の人にバレないようにゆっくりと深く深呼吸をした。
わたしの動揺が誰にも気づかれませんように。
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