19 責任

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19 責任

 関東の梅雨も明けて、季節の企画は夏休み特集に変わった。  毎年、同じサイクルの繰り返し。過去の同時期とネタが被らないようにはしてあるけど、大まかな流れはだいたい一緒。情報番組なんてそんなものか。  プライド企画に対するリスナーからのコメントはスタッフ全員が目を通すことになっている。局や番組によってはディレクター側で前もって選別して、良い意見だけをパーソナリティに見せるところもあるようだけど、わたしは良い意見も悪い意見もどちらも全部把握して責任を持って喋りたいので、ひとつ残らず全て見せて欲しいと頼んである。  企画が始まってから7月半ばを過ぎた現在までで、プライド企画自体に届いたコメントは120件ちょっと。そのうち、企画に好意的なコメントは約半数。クレームやヘイトに近いものが約3割。残りはどちらともとれない意見だった。当事者やその関係者からのコメントはだいたい全体の1割程度。 「まぁ、五分五分でしょうねぇ。いろんなところでやってるアンケートとか見た感じでは」  企画放送前に蒲原ディレクターや放送作家の真野さんがなんとなく予想していた反響と大差ない結果だった。  当然、世の中のLGBTQに対するヘイトや差別を普段から嫌でも見せつけられていたので、それなりにネガティブなコメントが来ることは予想していた。ただ、そういう言葉を実際に自分で読むことは想像以上にきつくて、他人同士がSNS上で繰り広げている論点が噛み合わないような不毛な論争をただ遠くから眺めているだけなのとは桁違いにしんどかった。 「これはスポンサーの手前、さすがに読めねぇな」  蒲原さんが、コメントが印刷された用紙を真野さんに手渡す。 「……まぁ、そうですねぇ。わざわざこれを選ぶことないと思いますけど」  企画月間は終わったけど、反響は次年度以降の企画存続にも繋がることなので、内容によっては一般のお便りとして読むことがある。  SNSへの書き込みと同様に、ラジオ番組へのコメントも匿名で送ることができる。当然、そういう悪質なコメントは身元がわかる要素は皆無で、SNSへの無責任な投稿となんら変わりはない。 「イマカナちゃん、読む?」 「あ、はい。一応」  本当はそんなもの、読みたくもない。当事者ではないだろう蒲原さんや真野さんがこんなに苦虫を噛みつぶしたような顔をしているのだから、当事者のわたしはそれ以上に不快な思いをするのは目に見えている。  でも、番組で読む読まないは別としても、自分の喋った内容に対して届いた意見だ。やっぱりそこは目をつぶるわけにもいかない。 『今の世の中のLGBT様へのご配慮的な流れにうんざりします。今までそんなことしなくてもみんな平和だったのに、なんで今になってマイノリティを特別扱いしろと言い出したんですかね。誰が言い出したの? マイノリティをひいきしたせいで割りを食う普通の人たちのことも考えてほしい。ずっと聴いてきたけどLGBTに荷担しはじめたの腹たつのでもう聴きません。このスポンサーも好きだったけどもういいや。さようなら』  今まで幾度となく目にした、事実とは異なる解釈によるLGBTQ支援への拒絶反応。本意を追求してみても、実はあまりよく理解していない、という人も多い。ただ、周囲がみんな反対してるから、とか、推しがそう言ってたから、くらいな理由で安易に差別に乗っかってしまう。当然、本人に差別している意識はない。  当事者側としては、特別扱いをして欲しいわけではなく、ただ、排除しないで欲しい、というだけの訴えを、どこかで歪めて曲解させて煽っている人たちがいる。他の人たちと同じように人権を守られたい、という当たり前の願いが、セクシュアルマイノリティだから、という理由だけで潰される。普通じゃないんだから陰にこっそり隠れて文句言わずに暮らしてくださいよ、という意見に賞賛が集まる。  そんな流れを、いつでもどこでも大量に目にするようになった。 「こっちは、まぁ、ろくに放送聴いてないで書いて来てるね。ゲストさんがちゃんと説明してたことだし」  別のコメントも見せてもらう。  やっぱり、SNSでも散在しているヘイトだ。 『ひとりの女性として、LGBTQの存在を認めるわけにはいきません。もう怖くて温泉にも行けないし、出かけた先で公衆トイレにも入れません。女性スペースや女性アスリートたちを守って欲しい』  LGBTQの存在を受け入れたらシス女性たちが性被害に遭う、などというデマが最近急激に広まった。性自認という概念が捻じ曲げられて伝わって、心が女性だと自称さえすれば男性でも女性専用スペースに入れる、そしてそれを(とが)めると差別したことになって罰せられる、というとんでもないデマが広まった。  この問題は特にトランスジェンダー女性に向けられたヘイトデマなのだけど、当事者たちがどんなに「それはデマですよ」と言ったところで、デマを信じて広めている人たちには伝わらない。何か強い信念でもあるのか、と思ってしまうほど、全く伝わらないのだ。  トランスジェンダーたちは、性別適合手術を施していない体を人に見られることを望んでいない。暁もそうだったし、暁がトランスだと知った時から色々勉強してみたけどやっぱりみんなそうだった。自分が望む状態でない身体を、人に見られて嬉しいわけがない。だから、異性の体のままで更衣室や浴場に入っていくわけがない。そんなことも想像できないのかと嘆かわしく思う。  もちろん、国も施設側も公衆浴場等は身体的特徴で適合する方に入るように通達している。今に始まった事ではない。昔からずっとそうだ。  トランスのふりをした人が異性の浴場やトイレに侵入して逮捕、というニュースが出ると、鬼の首をとったかのように、それ見たことかと大騒ぎする人たちがいるけど、それはただの犯罪者だし、トランスでもなんでもない。とんだとばっちりだ。 「まぁ仕方ないですかねぇ。政治家たちがこぞって差別発言するような世の中ですからねぇ」  それを、仕方ないと片付けていいわけがない。デマやヘイトに苦しんでいる当事者はたくさんいて、暴力や殺害予告の被害を受けている人もたくさんいて、現に、命を絶とうとしている人もいるのに。それを黙認するの?  わたしは、ヘイトや暴力を受けていない。当たり前だ。だってクローゼットなのだから。  本当は当事者として、このヘイトに立ち向かいたい。クローゼットのままでは当事者の声としては届かないし、アライがせいぜいだ。  でも、カミングアウトするのは怖い。  このまま、逃げて、隠れて、それで安全な場所から綺麗事のようにアライコメントを吐き続けるの?  暁。どうしたらいい?  わたし、どうやったらいいかな。  ハル、いまどこにいるの。イタリアって時差、どのくらいだっけ。仕事中かな。それとも、寝てるかな。  ハルの意見も聞きたい。  誰かと話したい。ちゃんと、オープンにして話せる誰か。  クローゼットはヘイトの直接的なターゲットにはならないけど、その代わりにとても孤独だ。カミングアウト済みの人たちが団結して話題を共有している中に入っていけない。  自業自得とはいえ、心細いし、寂しい。 「じゃあ、これと……あと、これかな。明日読むの、ね」  蒲原さんがチョイスしたコメントを見ると、本当に当たり障りのない、賛否のどちらでもないようなことが書いてあるものが数点選ばれていた。  これは、アレだ。あの、読み方が難しい、アレ。  忖度(そんたく)。  スポンサーに対して?  リスナーに対して?  それとも、当事者に対して?  これ、わたしが読むのか。嫌だなぁ。別に差別的な言葉もヘイトなニュアンスもない。いやむしろ、どの立場の人にも気遣いをした善良な言い回しがしてある。でもそれが白々しい。  全ての文章の末尾に「私は関係ないけどね」が付いて聞こえる。触れないでいてやるから余計な騒ぎ起こすなよ、と言われている気がする。自分とは関わりのない世界の出来事だと、分厚くて大きな仕切りを建てられている気になる。  わたし、何のために喋る仕事をしている?  何がしたくてこの仕事に就いた?  ただ渡された原稿を読み上げるだけ?  でも、そうだった。わたしはただの雇われのトークマシーンだ。自由な発言権なんてない。スポンサーに忖度したディレクターの指示通りに喋るだけだ。そこにわたしの主義主張を入れていいとは一度も言われていない。 「じゃ、明日もよろしくね、イマカナちゃん」 「はい。よろしくお願いします」  ラジオパーソナリティになって初めて、仕事をサボりたいと思った。
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