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1 理想の夫婦
1ヶ月と少し前に夫の暁が亡くなった、らしい。
赴任先の南米での、取材中の飛行機事故だったという。
事故が起きた前の週に電話で話をした。
「来月あたり、一度帰国できるから」
そう話していたので、その通りにいつかフラッと帰って来そうな気がしている。今でも。
「奏といると落ち着く」
暁はよく、独り言のようにそう言っていた。
当然だ。そんなこと、当たり前なのだ。だってそれは、わたしがそうなるように心がけて演出していたのだから。
うまくいっていた。すべて、ちゃんとできていた。
優しくて穏やかな幼馴染の暁と結婚して、ちゃんと、理想的な家庭を作れていた。ちゃんと理想の夫婦に、理想の家族になれていた。
表面上は。
2日後に控えた『お別れ会』という名の葬儀のようなものに、わたしは出たくないと思っている。できれば行きたくない。
理由はいくつもあって、でもどれも自分の勝手な都合。子どものわがままレベルのくだらない言い訳。
だから、嫌だけど、仕方なく出席する。嫌だけど。
暁が事故に遭ったという知らせを受けてから、わたしは、なんとなく現実味のない、なんとなく夢みたいな、なんとなくぼんやりとした日々を過ごしている。
渡せなかったなぁ、と思った。
毎日着る服を選ぶ精神的余裕もなくて、仕事以外では外出しないから汚れない、という根拠のない言い訳をしながら同じパーカーを着続けている。そのパーカーのポケットに手を突っ込むと、手のひらがカサッとポケットの中にあるものに触れる。
もう何日も入れっぱなしになっていて、角も折れて全体的にシワシワになっている。こんなになってしまったら本来の用途には使えないかも知れない。
でももうそれでもいいのだった。
だってもう、使えなくなったのだ。
もっと早く決心すべきだった。
もっとよく考えて行動に移すべきだった。
わたしは本当にバカだ。ある日突然会えなくなる可能性なんて、日常のそこらじゅうに山ほど転がっている。だからちゃんと向き合うべきだったのに。
もう遅い。手遅れだ。
暁。
もう一度会いたい。会って、ちゃんと話がしたい。
ちゃんと本当のことを話して、それでちゃんとお別れがしたかった。
どうしてこんなことになったの、と思うと涙が出そうになったけど、2日後の憂鬱を考えたらそんな感情もスッと引っ込んだ。
消えた感情を忘れられるように、ポケットの中で触れた紙をぎゅっと握った。
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