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「見て佐倉さん、やばくね、これ」
「お役所に言えば?」
「ここ私道なんだってさ。あ、錆がつくから服が触んないように気を付けて」
「なんでこんな不便な場所のアパートにしたのよ」
「格安だったんだって。でも見晴らしはいいよ」
階段を上ったところには同じような錆びた手すりで囲まれたちょっとしたスペースがあり、スツール代わりと思われる石が二つ、ひび割れたコンクリートに埋め込まれていた。
桜介は抱えた段ボールを地面に下ろし、下方を指さす。
「ほら、川が見えるでしょ。堤防に桜が植えられてて、もう少ししたら花見で結構人が集まるらしいよ」
「へえ」
「アパートのベランダからも見えるよ、佐倉さん」
首に掛けたタオルで汗を拭いながら、桜介は眼鏡の向こうの瞳を細めた。
私は後方を振り返る。
灰青色の川に被るように桃色のレースがかかっていた。
結局、桜介の部屋から桜を見ることは叶わなかったが、私は今こうしてひとり、あの時思い浮かべた光景を目にしている。
切なく胸が締め付けられた。
二人の距離がこんなに離れてしまうなんて思いもしていなかった頃。
桜介の存在が、自分にとってどれほど大切なのかもわかっていなかった。
もう二度と話せなくてもいい。
でも、せめて感謝は伝えたい。
君のおかげで過ごせた、宝物のような日々をありがとう。
苦しいけれど、恋する気持ちを教えてくれてありがとう。
うまく言える自信なんてまったくないけれど。
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