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扉の隙間から桜介が問い返す声が聞こえた。
私はがっちりと掴まれた手首に目を落とし、もはや逃げられないと覚悟する。
しかし、どたどたと慌ただしい音が鳴るばかりで、部屋の主は現れない。
「何してんのかしらあの子。いつまで経っても鈍臭いわ、ねえ」
「……でも、桜介くんすっかり洗練されて、大学でも女の子に囲まれてますよ。友達もたくさんできたみたいだし」
「そうなの? その割には大学のお友達の話を聞かないけど。外見だけ繕っても所詮陰キャなんだってお兄ちゃんにからかわれても黙ってたわよ」
「お、奥ゆかしいんですよ」
おばさんはぷっと噴き出した。
「ははっ、そんな風に言ってくれるの、のりちゃんぐらいよ。まだ仲良くしてくれてたみたいで安心したわ。てっきり見放されたのかって心配してたの。だってあの子ったら……」
「おかあちゃん、佐倉さんはっ?」
扉から飛び出してきた人物は、こちらに目を向けるとすっと姿勢を正し、髪を撫でつけながら会釈した。
私はぐっと息を呑み、それに応えて首を上下する。
桜介はライトグレーのコーチジャケットを羽織り、ワインチェックのワイドパンツを身に着けていた。
部屋着というにはやたらと小綺麗である。
「あら? あんたどうして着替えたの?」
「うるせえな、さっきのは洗濯したんだよ」
「は? 今朝おろしたばかりじゃないの」
「なんか……零したんだよ」
「ええ? なにを零したのよ、あんたって子はほんとにもう!」
部屋に入ろうとする母親を、桜介が肩を押して遠ざける。
「いいから。自分でやるから。母ちゃん帰っていいよ」
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