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ここの狸蕎麦を食べたなら、桜介は眼鏡の向こうにある二重の瞳を瞬き、少し口を尖らせながら嬉しそうに笑うだろう。喉を鳴らして汁を飲み干したなら、ティッシュを鷲摑みして鼻と口を豪快に拭い、両手を叩き合わせて「ごちそうさま――した!」と言うのだ。
想像の中の桜介は、いまだに高校の時の姿のままだ。
いつまでもあの頃に戻りたいと願ってしまう自分に呆れる。
イメチェンを提案したのは自分だというのに、なんというわがままだろう。
私は客の去った後のテーブルを片付ける。空の器をお盆に乗せ、跳ねた汁を布巾で拭き取った。
綺麗になった板面を見て満足し、布巾をお盆に載せた瞬間、閃いた。
そうだ。桜介の存在を自分の中から拭い去らない限り、前へ進めないのだ。
私は決意した。
未練がましく残してあった桜介の連絡先を削除しよう。
引き戸を開けて入ってきた常連に笑顔で応じ注文を聞くと、私は狭い店の中で声を張り上げた。
「ざるそば一枚!」
スマホにあった連絡先を削除した結果、私の心は幾ばくか軽くなった。
来るはずのない連絡を期待する必要がなくなり、ホッとしたのである。
今まで通り極力接点を持たないようにすれば、桜介の痕跡は徐々に薄くなり気にも留まらないようになるだろう。
――そう思っていたのだが。
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