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翌日、あまり眠れなかったリリスの集中力はかなり欠けていた。調子なんか関係なく、仕事なのだからきちんとこなさなければ、とリリスは思う。今日の作業は刺繍レースだが、リリスの運針には迷いがあり、どうしてもいつものようには作業が捗らない。
手早さよりも丁寧に刺すことが優先されるので、リリスに文句を言う人間はいない。ただ、この日リリスが刺した四角形の隅は角度が甘く、曲線は弧が歪で、出来は明らかに精彩を欠いていた。
それでもなんとか八割方刺し終えた時、リリスは手に違和感を覚えた。指先が乾燥していて、布と糸に引っかかってしまうのだ。リリスは持ち歩いている焦げ茶の小袋から缶を取り出して塗布し、乾くのを待つ。ヴォルフィを構成する色合いと香り。駄目だ、仕事中にそんなことを考えては。リリスは気を取り直して作業に戻ろうとした。
「痛っ……!」
手元が狂いリリスは自分の指を刺した。目が覚めてよかったと前向きに考えることにしよう、そう思った瞬間リリスは自分の判断ミスに気づいた。レースに血が滴り落ちている。
せっかくがんばったのに「屈辱の匣」行きだ。痛くて悔しくて涙が出そうになるが、リリスは懸命にこらえた。
「リリスちゃん、今日はもう帰っていいって」
「これまですごくがんばっていたもの。少し休んだ方がいいわ」
「お祭り楽しんでおいでよ」
みなさんの優しさはリリスに沁みたが、だからこそつらかった。責められる方がよかった。駄目な奴だとなじられた方が楽だった。そういうことはある。
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