三角だって丸!

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 同居人のタカシが「非常用の買い置きってしてあるの?」と聞いてきた。こいつはいつだって唐突すぎる。 「飲み水とか保存のきく菓子みたいなのは用意してる。充電器や懐中電灯なんかと一緒に置いてあるよ」  勢い込んで聞いてきたが、一応の備えがあるとわかり少しだけ落ちついたようだ。 「だったら、いいんだ……」  俺はこの機会を逃すまいと聞き返した。 「いつもそんなこと聞かないのに、今日はどうしたんだ?」  タカシはバツが悪そうに口ごもる。こうなると絶対に話そうとしないので、俺は追求するのを諦めた。  そんな会話をしたことなどすっかり忘れていた数日後、俺たちは、翌日からの連休も家でダラダラと過ごすつもりで夕方から酒を飲んでいた。 「荷物はそれだけなのかって、あのとき言われたよな……」  タカシのペースがいつもより早い気がしていたが、案の定、酔いが回っているようだ。半年前、この家に来た日を思い出しているのだろう。  そんな彼との出会いは二年前。期間工の寮で相部屋だった。  旅好きの俺は半年契約で働き、得た資金で旅行をするという暮らしをしていた。仕事と住居を同時に得るためにそこにいた彼とは、挨拶をかわすだけの関係だ。  そして、俺は当初の予定通り旅から戻り、半年後にまた期間工として彼と再会した。 「まだここにいたんだね」  何気なくそう言うと、タカシは不機嫌そうに眉をひそめる。だけど俺は、明らかに悪そうな彼の顔色に驚いて言葉を続けられなかった。  杞憂は夜中に現実になる。  薄い壁越しにくぐもった声が聞こえてきた。ドアをあけると、タカシが腹を押さえて痛みに耐えていた。  翌朝、痛み止めを飲んで仕事に出るという彼を「具合悪くなって休んだら満了金は出ないぞ」と脅して、早番のあと病院にいく約束をさせた。 「十二指腸潰瘍だって。薬で治療できるらしい」  その夜、珍しく彼から話しかけてきた。重症化すれば外科処置が必要な場合もある、と医者に言われたそうだ。服薬で治るとわかり、ほっとした顔をしている。 「よかったな。でも無理はするなよ」  タカシのことは口数の少ない男だと思っていたが、もしかしたら違うのかもしれない。俺のなかで初対面からの印象が少しずつ変わっていった。  その後半年間、相部屋の同居人として彼と暮らした。相変わらず口数は多くなかったが、俺を信用してくれているのが伝わるようになった。表情がころころ変わるのを見るうちに離れがたくなり、契約満了したら一緒に暮らそうと誘った。俺は正社員の仕事に就き、部屋を借りた。  そうして彼はスポーツバッグ一つでやってきた。荷物はこれだけか?と俺が言ったことに、タカシが拘っていたとは気付けなかった。 「気楽で自由な暮らしを満喫してるんだ」  少しずつ自分のことを話してくれるようになった頃、タカシはそう言った。高卒で実家を出て最初に就職した会社が一年足らずで倒産したのがきっかけで住居や仕事を転々とするようになったらしい。でも不貞腐れることなく前向きに生きているのだと思っていた。 「俺の人生って三角だなぁって思うんだー」  初めて見る酔ったタカシは、いつもより顔が赤くて幼い。呂律があやしいせいで、二歳しか離れていないのが嘘のようだ。 「ん? 三角?」聞き間違えたのかと思って繰り返す。どういう意味だろう。 「そ、三角! こうね!」  タカシの手にはいつのまにか針金ハンガーがあり、それをぶんぶん振り回している。 「ここが時間、こっちはお金、それから命!」  それぞれの頂点を指差している。 「俺には時間しかないからさ、それを使って金を稼ぐだろ、で命をつなぐわけ」  極端な意見だが、俺はうん、と返した。 「だけど三角だからどれかに傾くしかないの。金を手に入れようとしたら時間はなくなるし、のんびりしてたら金は減って元気ではいられない」  そういうことか……。  俺はタカシの手からハンガーを取りあげた。少々荒いがぐぐっと力をこめて、丸く形を変えていく。筋肉には自信がある。 「これからは俺が一緒にいて、おまえの三角を全部丸に変えてやる。これからはどれかに傾いたりせずに、ころころ回っていこうぜ」 「ころころ……?」「そうだ、楽しそうだろ」  目が回りそうだね、と二人で吹き出す。馬鹿なことを言っている自覚はあるが、それも悪くなかった。 (終)
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