第二章 江戸の狐の恩返し

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「……!」  双子の言葉に目を見開いた子狐は、手足を踏ん張り小さな体に力を込める。  うふふふふ。  金星は子狐に向かい、指を振り上げた。 「ひとぉつ。高く高く()び上がれ」  あはははは。  銀星は子狐に向かい、(かか)げた腕を(たて)にぐるりと回す。 「ふたぁつ。後ろに回って地面に戻れ」 「さあさあさあ!」 「ゆけゆけゆけ!」  けしかける双子に()かされて、必死に跳んだ子狐がくるりと宙がえりをした瞬間——浮かんだまま動きを止めた体が(まばゆ)い光に包まれる。 「……!」  言葉を失い、碧葉はただ目を見開くばかり。 「やれやれ金銀め、まこと聞かぬのう。ならば……」  苦笑しながら肩をすくめた真白は、ふいに碧葉へ問い掛ける。 「名を付けよ。この者の名を、そなたは何とする」 「名……? 私が……子狐、に……?」  今起きていることに、頭が追い付かぬ。  先刻の衝撃もまだ冷めやらぬままだ。 「……」  しかし(にわか)の問いに戸惑いながらも、碧葉の中には浮かびあがるひと文字が——。 「……(りつ)……」  碧葉は使い古した馴染みの字書(じしょ)版面(はんめん)を思い出す。  漢文(かんぶん)()(くだ)しにいつも愛用していたあの字書。  屋敷の蔵に、今では住む者のいない屋敷の小さな蔵に……きっとまだ置いたままの、分厚い字書。  気に入りの字には(しゅ)(しるし)を付けており、その中に「律」という文字があった。 ——律。行人偏(ぎょうにんべん)とは道を行くこと、(いつ)とは正しく筆を取る姿。転じて律とは人として正しく歩むべき道を示す、道標(みちしるべ)の意なり。 「……」  人として正しく歩むべき道を示す、道標。  私が今まさに、求めているもの——。
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