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それはもはや、思い出せぬほど遠い過去だ。
あの惨劇を目にしても。
旅の途上でひとり、絶望と孤独に震えても。
私は泣かなかった。
いや……違う。
私は、泣けなかった——。
「律、こうすれば、私からは見えぬから……」
碧葉は少し躊躇いながら律の腕を取り、そのまま体ごと、そっと引き寄せた。
「……心が泣きたがるのなら、泣かせてやれ。泣けるうちに、涙の……出るうちに」
「碧葉、さ……ま」
「涙を押し込めて、心を抑え続けると……いつしか心が乾いてしまう。だから……」
「……」
鼻先を寄せる子狐のように、律は碧葉の肩下に頭をもたせかけ——やがてぽつり、ぽつりと呟いた。
「……碧葉様、僕は……僕は人になれて、嬉しいんです。碧葉様と話せることが、とっても……とっても嬉しい……」
「……」
「……だけど……人になったことが……碧葉様と話せることが、本当なら……。母さまが、もういないことも……お空の星にしていただいたことも、みんな……みんな……本当、なんだな、って……」
律の体が小刻みに震え、急激に熱を帯びる。
「だから、僕……僕は……う、うう……っ……」
律は碧葉の胸に顔を埋めて、まだ少し抑えたようにすすり泣いた。
「……」
華奢な背中に碧葉は指先で優しく触れる。
母がしてくれたように、ぽん、ぽん、と……幼い日の遠い記憶を辿りながら。
「……か、あ、さま……」
かすれた声で呟く律。
言葉に混じる涙が、徐々に増えてゆく。
「う……う、……、母、さ……ま、……母さま、母さまぁ……っ……っ!」
「……」
——そうだ、それでいい、律。泣きたい時には、思い切り泣けばいい。
泣きじゃくる律の体を、碧葉は黙ったままじっと支えていた。
だが、やがて——碧葉の内側でも、次第に何かが揺れ始める。
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