◆序◆ むかしむかし、あっただど

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 さて。  雪深い川澄の地には(いにしえ)より人々が身を寄せ合い、(つつ)ましやかな暮らしを(いとな)んでおりました。  なれどその頃はまだ、人と申せば地に生きる弱き(けもの)のひとつ。折に触れて荒ぶられる龍王様には、深い(おそ)れの念を(いだ)いております。  ひとたび水枯れや洪水が起これば、人は(おのれ)らの中から選んだ(にえ)さえ捧げながら、ただ一心に龍王様をお(まつ)り申し上げるばかり。  生きることは祈ること。  祈ることはまさに、生きる(ゆる)しを龍王様からいただくことでございました。  けれどもやがて、そんな人どもに与えられし、とある作物の種が——遥か海を越え陸を伝い、(つい)にここ川澄にまで(もたら)された「(いね)」が——移ろい(やす)い山河の恵みに身を任せるばかりだった人の暮らしを、大きく変えたのです。  次の年も、また次の年もきっと、この命を(つな)げてゆける。  人の心に希望という(あか)りが(とも)ったのだと……そんな風に申し上げても、決して大げさとは言えぬでしょう。  とは言え御存知(ごぞんじ)のように、稲は多くの水を必要とし、天候に出来高を左右されしもの。  まさに龍王様の手の内にあるような作物でありましたから、人々が一層龍王様への信心を深めたことにも何ら不思議はございません。  変わらず己を(あが)める人の姿に龍王様は大層御満足され、その返礼(へんれい)として時には人の祈りに応えて恵みの雨をお降らせになることもあり——。  人と龍王様との穏やかな蜜月(みつげつ)には、白龍と黒龍も安堵(あんど)の胸を撫でおろしたものでした。
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