2 深淵の過去

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   真っ暗だった。  真っ黒だった。  闇よりも暗く、黒よりも黒かった。  空間の(はし)か、中心か。どこにいるのか分からないところに、ぽつんと立っていた。  一筋の光すらない闇は、私の周りを包むように存在していた。 (……どこだ……? ここは……?)  ぼんやりとしたまま体を動かそうとするが、肝心の体は微動(びどう)だにしなかった。  手、足、首……らしきところを動かそうとしても、ピクリとも動かない。 (これでは……この闇から、出れないじゃないか……)  場所も把握しなければならないのに。そう考えていてもやはり体は全く動かず。このままいるしかないのか……と、(あきら)め気味でいた。  まだ眠りから覚めきれずに、私はそのまま眠ってしまった。  それからしばらく、一瞬だけ目を覚まして、そしてすぐに眠るという行為を繰り返していた。全然眠くて眠くて仕方がないのに、なぜか起きずにはいられない。  相変わらず闇は晴れず、体も全く動かなかった。  外は一体どれほどの時間が経ったのか。状況はどうなっているのか。  まるで分からない。  どうして私はここにいるのか。どうしてこんな闇の中に取り残されたのか。  いつから、独りでいることに慣れてしまっていたのだろうか。  ■■に■■されてからか。  ■■■■■を■してからか。  ■■を■■■にした時か。  ■■を■めた時か。  ■になった時か。  ……あるいは、生まれた時から?  何故、私は■■という存在として、として生まれ落ちてしまったの、か……  ふと気づいてしまう。  ……何も、思い出せない。  その事実に。  今までどう過ごしていたのか、どこで何をしていたのか、どんな姿でどんな声で、どんな『名』で呼ばれていたのか……それがまるで思い出せない。  まあ……あまり大事でもなければ、今までの人生というものに意味なんて見出せていないからだろう。  あっという間に忘れてしまったということは、そういうことなのだろう。  そう考えれば、この闇に恐怖する理由なんてなかった。むしろ、心地良いまである。 (……いっそこのまま、眠ってしまおうか……)  このままいっそ、目覚めることなく、永遠に……  そうして目を閉ざそうとした時。  目の前の闇に、うっすらとした白い影が見えた。 (……あれは……?)  その白い影を目視(もくし)する。よく見るように前のめりになるようにする。  そうするだけで、何故か少しだけ、ほんの少しだけ体を動かせるようになった。 (……もう少し、近付こう……)  ズズ……ズズ……と。()()るように、重い体を動かすように、白い影に近付いていく。  長い時間をかけて、ようやく白い影の近くまで寄ることが出来た。よく見る為に屈む。  その影はヒトの形をしていた。けれどそのヒトが男か女か、それ以上の細部は見えず顔すら分からない。  だが……このヒトには、どこか見覚えがあった。 (この子供、誰だったか……全く分からない……分からないが………)  とても愛おしい。そう思った。  どうしてかは分からないが、そう思うのだ。  見下し、(さげす)み、悦楽(えつらく)していたアレとは全くの別物。  人間で言う『哀愁(あいしゅう)』とか、『愛着』というモノ、なのだろうか? (……ああ、考えても……分からない)  だが、名称の分からないこの感情を抑える術なんてなかった。知る(よし)もなかった。衝動的に、感情のままに、ヒトの頬を撫でようと思って、右手を動かした。  初めて動かせることができたものの、右手は宙を掴むようにしか動かせず……そのヒトの、手を掴んだ。驚いた拍子で、声も出た。ひどく掠れてしまっていて、ろくなものしか出なかった。  だが、掴まれて驚いていたはずなのに、そのヒトは私の手を両手で包むように掴み直した。 (……?)  この感触に、覚えがあった。  いつだったのか、その時と比べれば、その手はだいぶ大きくなっていた。  頭の中は疑問でいっぱいだったが……その直後に、声が聞こえた。 「……大丈夫。私は、ここにいるよ。って、言ったでしょ……」  女性の、声だった。幼さが多少残った、見知った娘の声だった。 (あ――)  瞬間。  記憶が一気に戻った。  私が何者で、どこから来たのか。  ここで、私が何をしたのか。  ……ここに来る前の二年間、どこで何をして――誰と一緒にいたのか。  痛みなんてなかった。いや、痛みはあったにしてもそれどころではなかった。  今、目の前にいる彼女は―― 『じゃあ、しーちゃんも約束して! しーちゃんがどうしても帰って来れなかったら、あたしが迎えに行くって!  絶対、ぜーったい、約束だよ!』  彼女と過ごした最後の日に、約束したことを思い出す。  ああ、やっぱり、彼女は――クロアはここに、来てくれたのか。  ――気付けば、彼女に口付けしていた。  ガシャン! と、背後で力を失った拘束具が壊れて落ちた音がしたが、気にも留めない。  一瞬か、永遠か。  それだけ長い時間が過ぎ去ったような間が空いて、ようやく離れた。 「――‼︎⁉︎??‼︎⁉︎⁇」  どうやら遅れて状況が飲み込めたクロアは、顔面から火が出るほど赤面して視線をずらしてしまった。  何故だろう。成長した分、とても愛らしい。  俯いてしまっているものの、赤面する顔を抑えているのが見える。 「……ああ……ようやく会えた」  と、ついつい言ってしまった。  そうしたら急に、クロアが勢いよく顔を上げて……ようやく私と目を合わせた。  ボサボサになってしまった黒く長い髪に、綺麗な琥珀色の瞳。  小さかったその体は大人のそれと近くなり、より華奢(きゃしゃ)になっていた。身長は、私の身長と近くなるほどになっていた。それでも私とは頭一つ分の差はあるものの、ずいぶん大きくなっていた。  その姿は――あの時と比べるとありえないほど、ボロボロな衣服を着ているのはいろいろと腹立たしいものの――やはり、クロア・アルミダだった。 「……うそ」  未だ信じられないのか、目を見開いて震えてしまっている。  まあ確かに……あの時、別れてからもう十年経ってしまっているのだ。もう二度と、会えないとも思っていても仕方がない。  それに……あのサリターンが『魔王・アルシエル』と名乗っていた上、姿形が私と似通っていれば、会うこと自体諦めてしまっていたかもしれない。  でも、今はそんなの、どうでもいい。 「久しぶり――クロちゃん」 「……しーちゃん?」  当時のあだ名で、互いに呼び合う。  ……これが、夢でないようにと祈って。死んだ先の、幻でないようにと。  思わず笑ったが、それに応えないといけない。 「そうだぞ。そのしーちゃんだよー。クロちゃん」  そう笑って、クロアを昔と同じように自分の力で潰さないように、優しく抱き寄せた。  抱き寄せると、片腕で収まっていたものの、今では両腕でないと、収まりきらなくなっていた。  本当に大きくなったんだと、予想だにしない形でだが、クロアと再会できた。  私はもう一度、会えて嬉しいのだ。 「うっ、ひっぐ……」  クロアも泣きながら、ぎゅっと抱きしめ返した。  そのまま、涙は止まることなく流れ続けていた。大泣きだった。声も殺しきれずに、わんわん泣いていた。  私自身も、目の奥から熱くなって来るのを感じながら、クロアをずっと抱きしめて頭を撫で続けた。 「うぅ……ずっど、ずっど……」 「うん」 「ずっと、ずっとぉ……ひぐっ、会いたかった……」 「うん。私も、会いたかった」 「ぐすっ……うぅ……でも、迎えにッ……きてくれる、って……ずぴっ、信じて……待ってたのぉ……」 「うん」 「でも、でもぉ……会心、じだって、思っでだ……カーラに、カーラにッ……う、裏切られて……ひっぐ」 「落ち着いてクロちゃん。深呼吸、深呼吸だ……」  時間はたっぷりあるんだ。  ゆっくりでいい。  今までの辛さも、苦しみも、痛みも、憎悪も、絶望も……全部吐き出せ。  そう言って、クロアは疲れるまでずっと泣き続けた。
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