9人が本棚に入れています
本棚に追加
真っ暗だった。
真っ黒だった。
闇よりも暗く、黒よりも黒かった。
空間の端か、中心か。どこにいるのか分からないところに、ぽつんと立っていた。
一筋の光すらない闇は、私の周りを包むように存在していた。
(……どこだ……? ここは……?)
ぼんやりとしたまま体を動かそうとするが、肝心の体は微動だにしなかった。
手、足、首……らしきところを動かそうとしても、ピクリとも動かない。
(これでは……この闇から、出れないじゃないか……)
場所も把握しなければならないのに。そう考えていてもやはり体は全く動かず。このままいるしかないのか……と、諦め気味でいた。
まだ眠りから覚めきれずに、私はそのまま眠ってしまった。
それからしばらく、一瞬だけ目を覚まして、そしてすぐに眠るという行為を繰り返していた。全然眠くて眠くて仕方がないのに、なぜか起きずにはいられない。
相変わらず闇は晴れず、体も全く動かなかった。
外は一体どれほどの時間が経ったのか。状況はどうなっているのか。
まるで分からない。
どうして私はここにいるのか。どうしてこんな闇の中に取り残されたのか。
いつから、独りでいることに慣れてしまっていたのだろうか。
■■に■■されてからか。
■■■■■を■してからか。
■■を■■■にした時か。
■■を■めた時か。
■になった時か。
……あるいは、生まれた時から?
何故、私は■■という存在として、このような存在として生まれ落ちてしまったの、か……
ふと気づいてしまう。
……何も、思い出せない。
その事実に。
今までどう過ごしていたのか、どこで何をしていたのか、どんな姿でどんな声で、どんな『名』で呼ばれていたのか……それがまるで思い出せない。
まあ……あまり大事でもなければ、今までの人生というものに意味なんて見出せていないからだろう。
あっという間に忘れてしまったということは、そういうことなのだろう。
そう考えれば、この闇に恐怖する理由なんてなかった。むしろ、心地良いまである。
(……いっそこのまま、眠ってしまおうか……)
このままいっそ、目覚めることなく、永遠に……
そうして目を閉ざそうとした時。
目の前の闇に、うっすらとした白い影が見えた。
(……あれは……?)
その白い影を目視する。よく見るように前のめりになるようにする。
そうするだけで、何故か少しだけ、ほんの少しだけ体を動かせるようになった。
(……もう少し、近付こう……)
ズズ……ズズ……と。這い寄るように、重い体を動かすように、白い影に近付いていく。
長い時間をかけて、ようやく白い影の近くまで寄ることが出来た。よく見る為に屈む。
その影はヒトの形をしていた。けれどそのヒトが男か女か、それ以上の細部は見えず顔すら分からない。
だが……このヒトには、どこか見覚えがあった。
(この子供、誰だったか……全く分からない……分からないが………)
とても愛おしい。そう思った。
どうしてかは分からないが、そう思うのだ。
見下し、蔑み、悦楽していたアレとは全くの別物。
人間で言う『哀愁』とか、『愛着』というモノ、なのだろうか?
(……ああ、考えても……分からない)
だが、名称の分からないこの感情を抑える術なんてなかった。知る由もなかった。衝動的に、感情のままに、ヒトの頬を撫でようと思って、右手を動かした。
初めて動かせることができたものの、右手は宙を掴むようにしか動かせず……そのヒトの、手を掴んだ。驚いた拍子で、声も出た。ひどく掠れてしまっていて、ろくなものしか出なかった。
だが、掴まれて驚いていたはずなのに、そのヒトは私の手を両手で包むように掴み直した。
(……?)
この感触に、覚えがあった。
いつだったのか、その時と比べれば、その手はだいぶ大きくなっていた。
頭の中は疑問でいっぱいだったが……その直後に、声が聞こえた。
「……大丈夫。私は、ここにいるよ。迎えに行くって、言ったでしょ……」
女性の、声だった。幼さが多少残った、見知った娘の声だった。
(あ――)
瞬間。
記憶が一気に戻った。
私が何者で、どこから来たのか。
ここで、私が何をしたのか。
……ここに来る前の二年間、どこで何をして――誰と一緒にいたのか。
痛みなんてなかった。いや、痛みはあったにしてもそれどころではなかった。
今、目の前にいる彼女は――
『じゃあ、しーちゃんも約束して! しーちゃんがどうしても帰って来れなかったら、あたしが迎えに行くって!
絶対、ぜーったい、約束だよ!』
彼女と過ごした最後の日に、約束したことを思い出す。
ああ、やっぱり、彼女は――クロアはここに、来てくれたのか。
――気付けば、彼女に口付けしていた。
ガシャン! と、背後で力を失った拘束具が壊れて落ちた音がしたが、気にも留めない。
一瞬か、永遠か。
それだけ長い時間が過ぎ去ったような間が空いて、ようやく離れた。
「――‼︎⁉︎??‼︎⁉︎⁇」
どうやら遅れて状況が飲み込めたクロアは、顔面から火が出るほど赤面して視線をずらしてしまった。
何故だろう。成長した分、とても愛らしい。
俯いてしまっているものの、赤面する顔を抑えているのが見える。
「……ああ……ようやく会えた」
と、ついつい言ってしまった。
そうしたら急に、クロアが勢いよく顔を上げて……ようやく私と目を合わせた。
ボサボサになってしまった黒く長い髪に、綺麗な琥珀色の瞳。
小さかったその体は大人のそれと近くなり、より華奢になっていた。身長は、私の身長と近くなるほどになっていた。それでも私とは頭一つ分の差はあるものの、ずいぶん大きくなっていた。
その姿は――あの時と比べるとありえないほど、ボロボロな衣服を着ているのはいろいろと腹立たしいものの――やはり、クロア・アルミダだった。
「……うそ」
未だ信じられないのか、目を見開いて震えてしまっている。
まあ確かに……あの時、別れてからもう十年経ってしまっているのだ。もう二度と、会えないとも思っていても仕方がない。
それに……あのサリターンが『魔王・アルシエル』と名乗っていた上、姿形が私と似通っていれば、会うこと自体諦めてしまっていたかもしれない。
でも、今はそんなの、どうでもいい。
「久しぶり――クロちゃん」
「……しーちゃん?」
当時のあだ名で、互いに呼び合う。
……これが、夢でないようにと祈って。死んだ先の、幻でないようにと。
思わず笑ったが、それに応えないといけない。
「そうだぞ。そのしーちゃんだよー。クロちゃん」
そう笑って、クロアを昔と同じように自分の力で潰さないように、優しく抱き寄せた。
抱き寄せると、片腕で収まっていたものの、今では両腕でないと、収まりきらなくなっていた。
本当に大きくなったんだと、予想だにしない形でだが、クロアと再会できた。
私はもう一度、会えて嬉しいのだ。
「うっ、ひっぐ……」
クロアも泣きながら、ぎゅっと抱きしめ返した。
そのまま、涙は止まることなく流れ続けていた。大泣きだった。声も殺しきれずに、わんわん泣いていた。
私自身も、目の奥から熱くなって来るのを感じながら、クロアをずっと抱きしめて頭を撫で続けた。
「うぅ……ずっど、ずっど……」
「うん」
「ずっと、ずっとぉ……ひぐっ、会いたかった……」
「うん。私も、会いたかった」
「ぐすっ……うぅ……でも、迎えにッ……きてくれる、って……ずぴっ、信じて……待ってたのぉ……」
「うん」
「でも、でもぉ……会心、じだって、思っでだ……カーラに、カーラにッ……う、裏切られて……ひっぐ」
「落ち着いてクロちゃん。深呼吸、深呼吸だ……」
時間はたっぷりあるんだ。
ゆっくりでいい。
今までの辛さも、苦しみも、痛みも、憎悪も、絶望も……全部吐き出せ。
そう言って、クロアは疲れるまでずっと泣き続けた。
最初のコメントを投稿しよう!